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夏目漱石論2.0

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2022年5月の記事一覧

夏目漱石は無茶苦茶

夏目漱石は無茶苦茶

Herkesle kahve içilmez çünkü kahve yalnızlıktır. Beraber kahve içtiğin kişi yalnızlığını bozduğuna değmeli…

みんなとコーヒーはありません コーヒーは孤独だからです。 あなたがコーヒーを飲む人はあなたの孤独を壊すのにそれだけの価値があるはずです...

夏目漱石はそんなこと書いてたかな?

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noteでは起りえない事

noteでは起りえない事

 ここにまとめましたが、

 このツイートになんと巖谷國士さんご本人からたった一つの「いいね」を貰いました。1/1ですよ。これnoteでは有り得ないことですね。

 これはリツイートで小谷野敦さんご本人が回答してくれちゃっています。解ります? これ、noteではないことですよね。少なくともこれで漱石論を巡る謎の一つは解決し、小谷野敦さんにも「美禰子の旦那は銀行員」という思いこみを解消してもらうこと

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文章を正確に読むとはどういうことか②

文章を正確に読むとはどういうことか②

 こんなことを私が書いても「いや、そんなはずはない」で通り過ぎる人しか存在しないだろうが、やはり柄谷行人は夏目漱石に関して何か述べようとする度にとんでもない勘違いを露呈させる。

 この書きぶりからすると柄谷行人は田川敬太郎という名前を思い出せなかったようである。そのことはよいだろう。しかし「高等遊民」の意味まで忘れて、なぜこのように持ち出してきたのか、その神経が分からない。

 残念ながら『それ

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文章を正確に読むとはどういうことか  あるいは柄谷行人という病

文章を正確に読むとはどういうことか  あるいは柄谷行人という病

 柄谷行人は誤読の達人である。よくぞここを読み間違えるかという間違いを繰り返している。「明治の精神」を明治十年代が持っていた多様な可能性だと決めつけたり、Kというライバルの出現によって先生は御嬢さんへの愛を意識し始めるなど噴飯物の解釈が何故か夏目漱石作品関してだけ現れるようである。確かに『行人』には、こういう台詞がある。

 しかしその直後、引き続いて、 

 このようにすかさず選択肢が二つ消され

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創作世界の発見

創作世界の発見

訂正を肯んじえない読み誤り

大正五年に書かれた夏目漱石の『明暗』では、主人公・津田由雄の元恋人らしき女・清子が昔飛行機に乗ったことになっている。

日本で民間の飛行機利用が始まるのは第二次世界大戦後のことであり、これは私が確認できる史実とはあからさまに矛盾する。大正五年以前に清子が飛行機に乗るなど、けしてありえないことなのだ。

当時の飛行機は旅客機ではなく曲芸飛行機であり、おそらくまだ将来的に

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『趣味の遺伝』はどういう話か

『趣味の遺伝』はどういう話か

 夏目漱石の『趣味の遺伝』はその他の作品にいや増して、とても不思議で、奇妙で、複雑な構成の作品です。

 外国人の感想を読んでも、この作品の奇妙さに辿り着いている人は皆無です。今日、この本で、

 石原千秋さんの「進化論を超えて」を読んで、あっさりその部分がスルーされていることを確認したので、改めてその奇妙な点について整理しておこうと思い、この記事を書いています。

 私が『趣味の遺伝』を読んで、

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これから

これから

これから

                        

「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。
 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、
「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。
 忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると

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夏目漱石はなぜ三角関係に拘ったのか?あるいは谷崎潤一郎の『神と人との間』を読む

夏目漱石はなぜ三角関係に拘ったのか?あるいは谷崎潤一郎の『神と人との間』を読む

 案外タイトルの毒は気が付かれないと、そこを落ちにして書いてきたパターンが続いたので、今回は最初にやっつけてしまう。何が『神と人との間』だ。『肉塊』じゃないかと早速言いたくなる。この台詞でまた先を読まぬ内から、あの手の話かと確定してしまう。実際にあの手の話が始まり、延々と続いていく。延々と……。
 途中で読むのを止めたくなり、何でこんなものを読んでいるのかなと思いながら読み、何でこんなものを谷崎は

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読み誤る漱石論者たち ダミアン・フラナガン② 谷崎は芥川の弟子ではない。

読み誤る漱石論者たち ダミアン・フラナガン② 谷崎は芥川の弟子ではない。

 ダミアン・フラナガンが毎日新聞にまたいい加減なことを書いている。これを読むのは主に外国の人なのだろう。間違った情報が海外に発信されているとしたら、いや、実際にされているのだが、これは彼個人の問題ではなく、そのプロフィールで公にされている出身大学やこの記事を掲載している新聞社の問題でもある。
 まず基本的な誤りを指摘すれば、谷崎潤一郎は芥川龍之介の弟子ではない。敢えて言えば、永井荷風の引きで世に出

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「無」の感情が九割

「無」の感情が九割

 タイトルに「なんとかが九割」と入れると売れるとか。結果として「なんとかが九割」という本が溢れている。たとえば見た目、伝え方、話し方が九割ということは、中身は必然一割以下のどうでもいいことなのだという理屈になる。つまり人はなかなか中身には辿り着けないということ、中身を必要としていない人が多いのだということになる。つまり「中身に興味のない人が九割」というビジネス本が明日にでも出版されても可笑しくない

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夏目漱石は何が凄いんじゃ?

夏目漱石は何が凄いんじゃ?

 ベートーベンは何が凄いのかということがテレビでさらっと解説されていました。それを仮に夏目漱石でやってみるとどうなるでしょうか?

①『吾輩は猫である』の古今東西の知識に根差した機知とユーモアが凄いんじゃ。

②『坊ちゃん』のキャラクターの立て方が凄いんじゃ。

③『草枕』の「冒頭の掴み」が凄いんじゃ。

④『三四郎』の濃密な大学生活の書き方が凄いんじゃ。

⑤『それから』の高等人種のクズっぷりが

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批評の文体④

批評の文体④

 頭ごなしに「あなたの漱石作品解釈は間違っていますよ」などと云われれば、大抵の人は「あなたと私の漱石作品解釈は異なります」の間違いだろうと感じると思います。不快になったり、怒る人もいるかもしれません。
 そもそも文学において「間違い」とはどういうことだ、漢字の書き間違いはそりゃ間違いだろうが、解釈を間違いとはどのようにして証明するのか、と考えるでしょう。
 それでもやはりあなたの漱石作品解釈は間違

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