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文章を正確に読むとはどういうことか  あるいは柄谷行人という病

 ぼく(柄谷)の説では、漱石の『こゝろ』で死ぬKは、(北村)透谷と西田(幾多郎)の二人に対応する。Kみたいな理想主義者は、すべてを自己に還元して、欲望を断とうとする。現世的なものを全部否定する。しかし、これは破れざるをえない。すると、漱石の『行人』の一郎が言うように、宗教か自殺か狂気しかない。これが明治のインテリの問題だった。(『近代日本の批評・明治大正篇』P.85・括弧内小林)

 柄谷行人は誤読の達人である。よくぞここを読み間違えるかという間違いを繰り返している。「明治の精神」を明治十年代が持っていた多様な可能性だと決めつけたり、Kというライバルの出現によって先生は御嬢さんへの愛を意識し始めるなど噴飯物の解釈が何故か夏目漱石作品関してだけ現れるようである。確かに『行人』には、こういう台詞がある。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
 兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。(夏目漱石『行人』)

 しかしその直後、引き続いて、 

「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」(夏目漱石『行人』)

 このようにすかさず選択肢が二つ消され、一つに絞られている。すかさずなのだ。これを無視して、まるでそこで一旦話が途切れたかのように、「漱石の『行人』の一郎が言うように、宗教か自殺か狂気しかない。」と切り取ってしまうのは単なる誤読に過ぎない。そしてずばり行ってしまえば一郎の苦悩は直の心が得られないことであり、それは明治のインテリの問題として一般化できるようなものではなかろう。「一郎≒夏目漱石≒明治のインテリ」という一般化は、実はさかのぼれば江藤淳の説のあまりにもずさんな剽窃に過ぎない。しかしこの剽窃には何の根拠もない。一郎の「心配」は気が狂うことにあったとして、一郎の「問題」を考えるのであれば、むしろ、

「根本義は死んでも生きても同じ事にならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、僕は是非共生死(しょうじ)を超越しなければ駄目だと思う」
 兄さんはほとんど歯を喰いしばる勢いでこう言明しました。(夏目漱石『行人』)

 この「生死を超越」を見なければなるまい。「生死を超越」というからには自殺はそもそも出口にはならない。「生死を超越」は死んでも生きても同じ事である。「すべからく現代を超越すべしといった才人」とは「吾人はすべからく現代を超越せざるべからず」という高山樗牛を意識したものだろう。

此の世の眞相を知らむと欲せば、吾人は須らく現代を超越せざるべからず斯くて一切の學智と道德とを離れ、生まれながらの小兒の心を以て一切を觀察せざるべからず。嗚呼小兒の心乎。(高山樗牛『無題録』)

 この才人を一郎は「とにかく」と突き放している。(しかし夏目漱石は「才人」と云いながら、この高山樗牛の思想がさして深みのあるものではないことに気が付いていた筈だ。「才人」とはいわば皮肉である。)つまり「明治のインテリの問題」などと一括りされるような問題について一郎は論じている訳ではないし、そもそも「明治のインテリの問題」などと一括りされるような問題そのものの存在を否定していることなるのではなかろうか。

 ではさて一郎の言う、「生死を超越」とはどういうことかと考えてみる時、漱石がこの作品の中で「超越」という言葉をどのように使用しているかということを確認しておかねばなるまい。

「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」
 兄は吐き出すように、また懶うそうにこう云った。自分はすぐその後に跟いた。
「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質たちだから……」
「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」(夏目漱石『行人』)

 ここでは「超越」はごく平凡な意味で使われている。観念としてはあるがなかなか困難なこととして「超越」が使われているように思う。しかし、

 自分はこの間に一人の嫂をいろいろに視た。――彼女は男子さえ超越する事のできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女には始めから超越すべき牆も壁もなかった。始めから囚われない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘泥しない天真の発現に過ぎなかった。(夏目漱石『行人』)

 嫂・直はやすやすと「超越」している。この「超越」の意味はやや軽い。簡単である。この「超越」は「囚われない」という程度の意味に解釈できる。そして、

彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った裃のようなものを着ていた。その裃には骨がないので肩のあたりは柔かな線でぴたりと身体に付いていた。袖には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足してあった。彼らはみな白の括り袴を穿いていた。そうして一様に胡坐をかいた。(夏目漱石『行人』)

 この「超越」はもはや「無視」程度の皮肉である。表現として大袈裟である。この用法がもう一度現れる。

それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津が小田原の手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸れると戻り悪くなりますから、なるべく本流を伝って、筋を離れないように進む事にしましょう。(夏目漱石『行人』)

 ここでは「超越」は「構わない」程度の意味で使われている。「地理や方角を超越」とはいかもユーモラスな表現だと思うが、どうだろう。
 そしていよいよ「僕は是非共生死(しょうじ)を超越しなければ駄目だと思う」という台詞に繋がるのだが、この「超越」が「死んでも生きても同じ事」ならば、つまり死んでも生きても二郎に直を取られるのはイヤという程度の意味なのではなかろうか。
 これを大いに哲学的に掘り下げて難しそうな言葉を並べ立ててもみっともないだけだ。ここにそんなに深い哲学的な意味はない。そのことを漱石は「超越」の用い方で示している。先生は「私」に静を託した。一郎は二郎に直を託さない。これが「生死(しょうじ)を超越」の意味である。

[追記]

 ここで大上段から語られている北村透谷は一体どの北村透谷であろうか。岩波書店 から1947年に出た「北村透谷全集」は編集者によって内容を著しく改ざんされたものであった。

 この版を読んでいたとしたら、柄谷行人はもう一度読み直しせざるを得ない。というよりこの版はまだ古書店で流通していて、大変危険だ。岩波書店は回収するくらいのことをした方がいいのではなかろうか。






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