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セルゲイ・ロズニツァ『バビ・ヤール』バビ・ヤールのコンテクスト、ホロコーストのコンテクスト

大傑作。本作品は1941年の9月29日から30日にかけて、バビ・ヤール(バービン・ヤル)峡谷で起こったホロコーストに関するメモリアルセンターのアーカイブフッテージ再構成プロジェクトから誕生した作品である。当該センターはDAUシリーズで有名な映画監督イリヤ・フルジャノフスキーを芸術監督に任命したことから色々と批判されているようで、詳しくはコチラの記事を確認されたし。ちなみに、フルジャノフスキーの参加について、ロズニツァはインタビューで"本当に考えるべきは参加している人ではなくホロコーストについてだ"(大意)としている。ウクライナ語なので雑にしか読めていないが。

本作品はキーウ近郊にあるバビ・ヤール峡谷で起こったユダヤ人虐殺とそれに関連する出来事について、アーカイブフッテージを時系列で編纂した再構築映画である。これまでロズニツァは短い期間に起こった出来事を一つのドキュメンタリー作品として発表してきた(長くても『粛清裁判』の数ヶ月という単位)。しかし、本作品では9/29と9/30の虐殺について、中心ではなくトピックの一つとして語られている。まず考えられるのは、そこまで多くのアーカイブフッテージが遺されていなかったということか。ラドゥ・ジュデはルーマニアのヤシ市から連れ去られて殺されたユダヤ人たちについてのドキュメンタリー『The Exit of the Trains』にて、故人の身分証明写真や家族写真を画面に写し、当日にどのように過ごしていたかをナレーションで語ることで、当日の風景を観客の頭に構築していった。確かに、本作品も同様に写真を用いている。しかし、それだけが理由でないのは以下の二点からも明らかである。

①"コンテクスト"とは、"ある事象を取り囲み、その適切な解釈のためのリソースを提供する枠組み"を指す。つまり、バビ・ヤールでの虐殺を"ナチスによる蛮行"という歴史上の"点"として片付けるのではなく、その前後にある出来事を一緒に捉えることで、より大きな視点を獲得するのが狙いである。映画はキーウに先駆けて戦闘が始まり、ナチスに占領された西部の街リヴィウの様子から始まる。かつてウクライナではスターリンによる計画的な大飢饉"ホロドモール"によって多くの命が失われたこともあり、ナチスドイツ軍の侵略及び占領を歓迎している様子が伺える。それは3ヶ月後に解放されるキーウでも同じだった。市内にはヒトラーのポスターが貼られ、ブロマイド写真も飛ぶように売れている。近くの収容所で逮捕されていた住民を解放したのも良い印象を与えたのかもしれない。やがて、市街地で爆発事件が起こり、それをきっかけとしてキーウの街からユダヤ人を一掃することが決定される。戦闘シーンや上記爆発事件の瞬間に至るまで、決定的な映像が残っているのも驚きだが、それをまるでその場に居合わせたかのようなエネルギーをそのまま繋ぎ合わせた映画のパワフルさにも驚かされる。

②ラドゥ・ジュデは実際の遺体の写真を最後まで見せず、徹底的にナレーションによって鑑賞者の頭の中に当時のヤシ市を構築した後、我々が想像したものを遥かに超える現実を突きつける形で写真を提示し、175分を締めくくった。本作品はバビ・ヤールという土地について、或いはウクライナという土地についての"文脈"を与えることで、ジュデとは別の切り口で記憶の風化を提示する。本作品には凍ったナチス兵士の死体、市街地で蝿の群がる死体、アインザッツグルッペンの処刑など、目を背けたくなるような直接的な映像が多々使われている。虐殺に関する言及は脱ぎ捨てられた服の写真と裁判での証言以外ないので、寧ろ直接的な映像のほうが記憶に残ってしまう。これはそのままバビ・ヤールの"文脈"を表しているのだろう。ナチスが来てもソ連が戻ってきても群衆は歓喜し、そして最終的にはバビ・ヤール峡谷は産業廃棄物埋立地と化してしまう。正しく"直接的な"体験によって忘れ去ってしまったかのように(本作品はこの点で批判されているが、私は批判は当たらないと思う)。

ちなみに、バビ・ヤール・ホロコースト・メモリアル・センターの公式サイトには本作品の断片(或いは本作品こそが集合体なのかもしれない)がいくつか公開されている。

・作品データ

原題:Бабий Яр. Контекст
上映時間:121分
監督:Sergey Loznitsa
製作:2021年(オランダ, ウクライナ)

・評価:90点

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