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セルゲイ・ロズニツァ『新生ロシア1991』ソ連を崩壊させたあの"出来事"

圧倒的大傑作。1991年8月19日、ソ連でクーデターが発生する。何も分からずに通りに出てきてラジオに群がる民衆たちの顔には様々な感情が入り乱れた複雑な表情が浮かんでいる。困惑、期待、失望、恐怖、興奮。今何が起こっているのか、そしてこれから何が起こるのか。続いて唐突に流れてくるのはチャイコフスキー「白鳥の湖」だが、ロズニツァが勝手に付けたわけではなく、占領されたラジオ局が実際にニュースの合間に流していたらしい。本作品でも場面転換として"本来の"意味を皮肉って使われているのも印象的だ。監督通算18本目にあたる本作品はBrockade』『Revueに続くファウンドフッテージ再構築映画の三本目であり、国を根本的に変えてしまう"イベント"に図らずも巻き込まれその一分になっていく一般市民を捉えたという点で前年に製作された『Maidan』と姉妹編のような関係を持っている。大きな違いはロズニツァがカメラを持っていないこと、モノクロであることしかない。歴史は間違いなく繰り返しているのだ。

1970年代後半になってブレジネフの経済政策は破綻し始め、中国やアメリカとの関係も悪化していた。1985年に書記長になったゴルバチョフはチェルノブイリ事故への対応や積極的な過去政策への批判によって改革派と保守派の対立を招き、それはエリツィン率いる急進改革派との和解やマルタ会談による軍縮に起因する軍需産業の縮小によって鮮明化していった。また、バルト三国への軍事介入が避難され、国民からの支持も失いつつあった。そんな中、保守派の副大統領を頂点とする国家非常事態委員会が発足し、主権共和国に強力な自治権を認める新条約締結を前に、軍部と協力して政権奪取を試みることになる。それが俗に言う"ソ連8月クーデター"の真相である。

当時多くの人々はエリツィンを支持していたようで、軍部が政権奪取を宣言してもそれに対抗するようなビラが街角で読み上げられ、有名無名関わらず多くの人間が独裁に反発する演説を行っている。バリケードを築いて道を封鎖する者も現れるし、いつまで続くか分からないその封鎖に対して不快感を表す者もいる。当然ながら情報共有手段が噂くらいしかないので、少しでも情報を得ようと会話している人に群がったり、新聞社の印刷所前に群がって号外を奪い取ったりしながら最新情報/未知なる情報を得ようと躍起になる。戦車が10台も出動したらしいぞ、クリミアにいるはずのゴルバチョフの安否はどうなっているのか、エリツィンはクレムリンにいるらしいぞ、テレビでボリショイ・バレエしか流してないのはなぜだ。真偽すら不明の情報が錯綜し、取り敢えず最新の情報が得られるだろうと広場は人で埋め尽くされ、そこで演説を始める者まで現れる。そしてカメラは一人の登場人物のように熱に浮かされたかのようなレニングラードの街を彷徨い続け、その熱気と興奮は時代も国も越えて我々にまで伝染する。

本作品の凄いところは、"ドキュメンタリー"としてありがちな実際に戦車と激突したシーンや軍人など体制側の人間を一切見せないところだろう。実際には一連のクーデターで何名かの死者は出ているのだが、本作品では暴力的な衝突は一切描かず、あくまで一般市民の小さな力が集まることで国を根本的に変えたことを提示し続ける。そして、カメラは名前もない一般市民たちに寄り添うことで、まるで自分もその場にいるかのような錯覚すら与えていく。特に人で埋め尽くされた広場のシーンの高揚感は圧巻で、戦没者追悼の黙祷ではこの人数とは思えない速さで静まり返り、全員がピースサインを頭の上に掲げる。

同時に、ソ連の崩壊は新たな地獄の幕開けでもあった。崩壊によってもたらされた格差拡大や経済の停滞によって犯罪が横行したという話は以前『ロシアン・ブラザー』でも書いたが、実際にああいうことが起こっていたのだ。そして今ではスターリン時代を懐古する歴史修正が進み始めている。ヴォルゴグラードでは年の数日間をスターリングラードという名称に戻すということまで決まったのだ。

広場には前年に亡くなったヴィクトル・ツォイ率いるキノーの"Khochu peremen!" ("I Want Change!")が大音量で鳴り響いていた。セルゲイ・ソロヴィヨフ『Assa』を思い出してしまって目頭が熱くなった。ロズニツァの意図もその歌詞の通りだろう。広場を所狭しと人が埋め尽くし、地鳴りのように歓声が響き渡る。私はこの光景が忘れられない。

※追記
人々が徐々に集まって運動が大きくなっていく様子をどこかで観た覚えがあったのだが、1989年のルーマニア革命やビロード革命の映像だった。反チャウシェスク集会に集まったルーマニア人の映像を地元のテレビ局のカメラマンや家族用にカメラを持っていたお父さんなどが故国を変えるであろうイベントの記録を残そうとしていたのをNHKで観た気がする。ビロード革命はヴァーツラフ・ハヴェルの勝利宣言を聴くためにヴァーツラフ通り(あの引くほど広い大通り)が人で埋め尽くされていたのもどこかで観た気がする。

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・作品データ

原題:Sobytie
上映時間:74分
監督:Sergei Loznitsa
製作:2015年(ベルギー/オランダ)

・評価:100点

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