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セルゲイ・ロズニツァ『ミスター・ランズベルギス』ランズベルギスとリトアニア独立のコンテクスト

大傑作。セルゲイ・ロズニツァ通算29作目。本作品は1988年から1991年にかけて、リトアニアのソ連からの独立運動を年代順に描いた作品である。ソ連の経済的な低迷を背景に、ソ連最高指導者となったミハイル・ゴルバチョフは二つの政策、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報開示)を打ち出したが、リトアニア共産党指導部はその受け入れに消極的だった。しかし、ポーランドの"連帯"の台頭、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(彼はポーランド人であり東欧民主化の精神的支柱だったとされる)の働きかけなどを背景に、バルト三国でも独立への機運が高まり始め、遂には市街地でのデモも始まる。そして1988年6月3日、共産党員/非共産党員問わず知識人35名が集まって結成された民主化を指示する団体"サユディス"が発足する。その指導者が題名にもなっている音楽学者ヴィータウタス・ランズベルギスだった。以降、映画は決定的瞬間を捉え続ける記録映像と89歳となった2021年のランズベルギスの対面インタビュー映像を交互に挟みながら、独立への道をひた走るリトアニアの姿を追っていく。熱気を湛えながら集まる群衆と代わる代わる演説をする人々というアーカイブ映像パートの構成は、本差品と同じ時代に起こったソ連8月クーデターを扱った『The Event』に近い。同作ほど熱に浮かされたような感覚には陥らないが、それでも運動の最初期からリトアニア共和国の誕生まで一部始終を4時間たっぷりかけて"体感"させ"共有"するため、まるで独立を願うリトアニア国民の一人になったような気分になる。独ソ不可侵条約の情報開示、バルトの道、ランズベルギスの最高会議議長選出、リトアニア独立宣言、ソ連の経済封鎖を経て、ゆっくりと着実に血の日曜日事件へと向かっていく様は非常に苦しい。血の日曜日事件だけで一つの映画に出来そうなくらい濃密にソ連による蹂躙が描かれているが、これも『バビ・ヤール』と同じく"コンテクスト"を優先した結果だろう。

以前、キネマ旬報でのロズニツァ特集記事にて、ドキュメンタリーとフィクションの類似点/相違点やドキュメンタリーの中にも同時代の記録とアーカイブ再構築のニ種類あるという話をした。過去作品の分析についてはそちらの記事に譲るとして、ここでは『バビ・ヤール』と本作品について詳しく書くことにする。前作『バビ・ヤール』は、キャリアで初めてドキュメンタリーとフィクションの両方から同じ題材を扱うという新境地を見せた。まだフィクション作品の方は完成していないが、恐らく両者を見比べることで、ロズニツァのドキュメンタリーとフィクションへの考えをより分かりやすく受け取ることが出来るだろう。そして、本作品はキャリアで初の対面インタビュー形式の映像が使用された作品となった。リトアニア独立当時のアーカイブ映像と老齢ながら矍鑠とした現代のランズベルギスのインタビューが交互に紡がれることで、同時代の記録とアーカイブ再構築という交わらなかった二つの手法を完全融合させたのだ。しかも、ランズベルギスの言葉はアーカイブへのコメンタリーではなく、逆にアーカイブもランズベルギスの言葉を単に映像化しただけの映像ではない。二つの映像は互いに補完しあい、それぞれの方向から別々にロズニツァ的な一般化を行っている。
同じ記事で、これまでのドキュメンタリーは二つずつ大きなテーマでまとめられるとも書いた。上記の通り、『バビ・ヤール』と本作品は数年のスパンを描くことで、"一つの事件に対するコンテクストを知る"二部作である。加えて、今年の新作『The Natural History of Destruction』と『The Kiev Trial』の情報を読む限りでは、これまでの手法を崩したわけではなさそうなので、『バビ・ヤール』と本作品は"これまでの手法を混ぜ合わせた新境地"二部作としてもまとめることができるだろう。

また、これまでの作品は敢えて抽象的な題名を付けることで一般化を行っていたが、本作品ではキャリア上初めて個人名が使用されている。題名"ミスター・ランズベルギス"は、冒頭でリトアニアを訪れたゴルバチョフが、聴衆の男に"ミスター・ゴルバチョフ!"と声をかけられて"ミスターと呼ぶな!"とブチギレたシーンと対応している。しかし、本作品はランズベルギスを神格化することはしていない。確かに彼は語り部として、時にいたずらっ子のような笑顔を見せながら、物語を、民衆を、そして時代を先導していくが、常に本作品の中心にあるのは彼を支えた或いは敵視した民衆である。ランズベルギスの演説に熱狂する群衆、経済封鎖を受けてガソリンスタンドに並ぶ群衆、プルンスキエネ内閣が値上げを決定して最高評議会を取り囲む群衆、ソ連の侵攻に対して立ち向かう群衆、独立を喜ぶ群衆。それは初期値を与えた場合に群衆がどう動くかという壮大な実験のようですらある。圧倒的。

・作品データ

原題:Господин Ландсбергис
上映時間:246分
監督:Sergei Loznitsa
製作:2021年(オランダ, リトアニア)

・評価:90点

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