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    読んだ本のまとめと感想を書いていきます。

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孤独な人に惹かれるという話

僕はいつでも充実した雰囲気を醸し出してる人よりも、孤独感の強い人の方に魅力を感じたりします。(もちろん例外はありますが) 何というか、今の社会の雰囲気は「ぼっち」や「陰キャ」に代表されるように、孤独に強い抵抗感がある人が多いように思えます。 中には、「友達のいない人はどこか欠落してるから怖い」と言った、甚だ表見的にしか他人を見れないことを感じさせる意見をあるそうです。 そんなにも人に囲まれてないと自己を充足させることができないのでしょうか。 承認欲求ドリブンでは、

    • 他人を想うことは無駄だという話

      人は生きていく上で、多くの人に出会う。 好きな人、嫌いな人、どうでもいい人… そう、人は生きていく上で、他人との関係性から逃れることはできない。 そして、それはあらゆる場面で生まれる。 家庭、学校、職場、、、 この関係性はあらゆる要素によって構築されており、決して主観として完全に把握することが出来ない。 だからこそ、人は他人を想い、悩み、怒るのだろう。また、この主観における「他人を想う」ことは嘘が混じることはない。好きでもない誰かを好きだと想うようなことはないだろう。 こ

      • 失われたもの

        決まっていた仕事がキャンセルになり、突然に自由な時間ができた。 風鈴の音がまだ涼しく感じるある夏の日。 Googleカレンダーを覗いて、自分が普段感じることのない心情に陥った。 「さて、なにをしようか」 嫁と子供もそれぞれ忙しそうだ。 友達誘って飲みにでも行こうかと考えたが、 誰を誘うべきか…となったあたりで考えるのをやめた。 私には趣味もないし、日常的に会うのは会社の人間くらいだ。 昔はもう少し気軽に何かを始めたり、誰かを飲みに誘うくらいのことはできたはずだが… あの

        • 大人、繋がりとは

          「圧倒的な結果を残すか、他人の役に立つか」 人との繋がりを作るにはどちらかしかない。 これに関して、妙に納得してしまったのだが、 なんとなく違和感も感じているので今一度ゆっくり考えてみる。 振り返ってみて、 学生時代にはこのどちらも必要なかったように思う。 ただ、目立ちたかったり、モテたかったり、話したかったり、 ただそれだけで他人との繋がりを持てた。 あの頃、おれに圧倒的な結果もなければ、 他人の役に立つようなこともした覚えはない。 「学校」という閉じられた世界の

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          7本
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          8本

        記事

          #読書録<痛快!コンピュータ学>

          こんばんは。 今回はTRONプロジェクトで有名な坂村健氏の著書「痛快!コンピュータ学」の読書録について綴っていければと思います。 書評と言えるほどのものではないので、あくまでも個人的な発見や未来の自分が見返したときに何かのヒントになればいいというスタンスですので、もしお目にかかられた方はお手柔らかにお願いします。 ※建設的なご指摘は歓迎です まずは著者紹介。 坂村 健(さかむら けん、1951年[1]7月25日 - )は、日本のコンピュータ科学者、コンピュータ・アーキ

          #読書録<痛快!コンピュータ学>

          5G 読書記録

          まとめ 5Gとは、「第5世代移動通信システム」のことで、これまでより高い周波数帯を用いた無線通信システムだ。5Gは大きな3つの特徴がある。「低遅延」「多数同時接続」「超高速」だ。本書はこの3つの特徴を前提として話が展開されていく。 5Gがここまで注目されているのには理由がある。1G(電話)、2G(メール)、3G(写真)、4G(動画)と世代ごとにパラダイムシフトが起きている。サービスそのものが問われることになり、これまでに数多くの巨大企業が凋落してきた。そのような背景に加

          5G 読書記録

          「勤労青年」の教養文化史 読書記録

          アブストラクト かつて、実利を超越した勉学を追い求める大衆教養主義という価値観がこの国にはあった。 現在の日本ではそのような価値観の陰すら見えない。論点は格差の是正であり、その代表格が高校無償化である。 戦後〜1960年代、明らかな格差が残る社会の中で終戦後のコペルニクス的転回(民主主義とは?)があった不透明な社会、戦後体制下への疑念・悔恨が政治・社会への関心ひいては教養に青年らが求める動機となった。 そこで台頭したのが青年団及び青年学級である。彼らは自ら集まり議論や

          「勤労青年」の教養文化史 読書記録

          子供時代の「友達」と大人になった時の「友達」の変化、大人への成熟条件

          最近、割と大人になったのかもと自覚する様になり、僕にとっての子供と大人の境界線はどこにあるのだろう。つまるところ、人間としての成熟条件として何が挙げられるかということを考えていました。 その一つとして、「友達」という言葉が持つ意味だったり、本質の変化が挙げれるのではないだろうかと考えたので、それについて話していこうと思います。 まず、個人的な経験からなのですが、子供の頃の僕にとって、友達という存在が必要不可欠でした。 その理由の一つは、メディアによる「青春像」に強

          子供時代の「友達」と大人になった時の「友達」の変化、大人への成熟条件

          「全員が黙る社会」の必然的帰結

          よく、「結果出した人間にしか意見されたくない」ということを言う人がいます。 もう少し噛み砕いて言うと、「お前に何がわかる。私のことなんか何も知らないだろ。目に見える価値を私に提示してみせろ。」ということだと思います。 まぁ、個人的な感覚としてはたぶん多くの人が持ってると思います。 しかし、僕はこれに少し違和感があって。 たぶんこのような意見が強くなるのは、あまりにも繋がりが平易になった社会性によるものだと思うのですが、それが根本的に正しいのならば、すべての人が黙ることが必

          「全員が黙る社会」の必然的帰結

          ディストピア

          ある者がある者に何かを伝えていたとして、またある者はその状況を見ていた。 伝えられている者が伝えている者に対して抱く感情をまたある者が受け取りその状況を反面教師とした場合、その第三者である者は他人へ何かを伝えることを諦めるだろう。 伝えた者と伝えられた者の快・不快は各々個人の価値観であり肯定されるべきだ。 しかし、その第三者はどうだろう? 価値観の衝突もなしに、他者同士の快・不快のみで認識した矮小な世界によって、その者の価値観に繋がっていくのだろうか。 個人の価値観

          ディストピア

          「思考」とは

          思考とは、どういうことなんだろう。 私は思考せず生きれたら楽ではないか?と思考する時がある。 しかし、私がそう思考してる時点で、私は思考から逃れることはできない。 私は私を肯定するためにも、思考とは何かということを考えたい。 これは思考する側の思考だが、思考をしないことは負債となるのでは?と思考する。 しかし、確証はない。 その思考の答えは、思考をやめる、つまり、死を迎える瞬間まで出ないのだろうか。 最善の思考、または思考しないとはなんだろう。 気分を悪くする思

          「思考」とは

          勉強の本質的な意味ってなんだろう。

          僕はこれまで勉強を競争領域として、時間を注いだことはほとんどありません。 つまり、受験勉強は全くしていません。 しかし程度の差はあれど、僕は勉強が好きな方だと自覚してます。 勉強することに苦痛を感じたりはしないし、自分の興味のある分野について、新たに発見があったり、知れたりすることは楽しいです。(因み、なぜ受験勉強をしなかったのかというと、他にやりたいことがあったのと、当時レベルの高い大学に行くためだけに受験勉強をする必要性を感じられなかったからです。それは今もですが。)

          勉強の本質的な意味ってなんだろう。

          自分の行動や言動を反芻する作業

          僕は前の記事で後悔したことがない。という旨について書いたのですが、その理由の1つであろうと考えられることについて、書いていきたいと思います。 人生生きれば生きるほど、自分の行ったことや、考えていることが積み重なり、それが財産になったり、または重荷になったりしますよね。 おそらく、それら全てを認識することは出来ないと思います。なぜなら、所詮は人間主観でしか生きられないからです。 そういう意味では、他人からの本音の意見というのは、とても貴重であるということも言えると思います。

          自分の行動や言動を反芻する作業

          他人を慮った先に、、

          社会において他人と協調するというのは大事な要素の1つではあると思うのですが「相手の気持ちを考えて!思いやりを持って!」という類には吐き気がします、、 そもそも「相手の気持ちを理解する」という前提が崩壊しているのに、どうやって思いやるというのか。 たぶんこういう事を仰ってる方は、集団におけるコンテクストに強制性を持たせるか(みんなという言葉を多用)、何となく普遍的な(それってそんな感じだよね〜と矮小化)、こう言っとけば当たり障りない(君の気持ちはすごく分かる!※分かってない)

          他人を慮った先に、、

          後悔について

          よく「後悔」って言葉を耳にする。 あーしとけば良かった。こんなことしなければ良かった。など、そんな感情の時は「後悔」になるのだろうか。 Googleで調べてみると、後悔は誰にでもあるものだ。とか、後悔しないためにみたいな記事が多い。 実際周りにも「後悔」をしていることがあるという人がいる。 僕はこれまで約20年生きてきて「後悔」を一度もしたことがない。それは現在進行形だ。 まだ、若いから大人になったら、、なんてことも言われそうだが、、 しかし、なぜ後悔するのだろう。 僕

          後悔について

          青春が終わりを告げた感

          久しぶりに母校に行く機会があって、職員の方の厚意で中に入らせてもらえた。 僕がいた四年前とほとんど何も変わらないのだが、教室毎のクラス分けが違っていたり、こんなところにこんなの置いてなかったぁと、些細なことに部外者としての自分を自覚させられる。 僕はノスタルジストなので、当時の出来事を頭の中で回想したりするのが好きだ。 実際に当時過ごしていた場所に行ってみるとその記憶もより鮮明に蘇ってくる。 不思議と楽しかった思い出も、悔しかった思い出も過ぎてしまえば、思い出として、それだ

          青春が終わりを告げた感