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自分の行動や言動を反芻する作業

僕は前の記事で後悔したことがない。という旨について書いたのですが、その理由の1つであろうと考えられることについて、書いていきたいと思います。

人生生きれば生きるほど、自分の行ったことや、考えていることが積み重なり、それが財産になったり、または重荷になったりしますよね。

おそらく、それら全てを認識することは出来ないと思います。なぜなら、所詮は人間主観でしか生きられないからです。
そういう意味では、他人からの本音の意見というのは、とても貴重であるということも言えると思います。

しかし、中々他人から自分についての的確なアドバイスというのは手に入れられません。
そもそも、自分のことを理解してもらうということ自体ハードルが高いです。
特に、積み重ねたものが多い人ほど、それを踏まえた上での意見というのは、それ相応の人物ではないと厳しいでしょう。

そこで、僕はよく自分が行った行動や言動、もしくは当時考えていたことなどを反芻します。
「実際正しかったのか?」「もっと良い選択肢があったのでは?」などです。

これをするメリットは、自分のことをメタ的に把握できるようになることでしょうか。
所詮主観ですから、限界はあるでしょうが、少なくともその作業によって、今後の展開をより深く考えて実行出来るのではないかと思います。
まぁ、分かりやすく言えば「反省」するということでしょうか。

その都度「反省」を繰り返ししてきた結果、「後悔」がないということだろうと自分の中で結論付けています。
なぜ反芻作業(反省)するのかというのも、未来を見据えているということがその作業の中に内包されているゆえに、後悔がしないというのも理由の1つかもしれません。

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