JW673 旦那様と一緒に
【景行征西編】エピソード44 旦那様と一緒に
第十二代天皇、景行天皇の御世。
西暦84年、皇紀744年(景行天皇14)。
謀反の罪で討たれた、五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)のため、墳墓と社が建造されることとなった。
墳墓は、無事に築かれ、次は、社が創建される運びとなったのであったが・・・。
ここは、三野国(今の岐阜県南部)。
監督責任者となった、武内(以下、たけし)は、三輪の君の大友主(以下、オート)と、葛城の直の宮戸彦(以下、みやさん)と共に、解説をおこなっていた。
そこには「ニッシー」の妃にして、大王の皇女でもある、淳熨斗皇女(以下、ヌーノ)の姿もあった。
ヌーノ「早く、社を建てましょう。」
たけし「か・・・かしこまりました。」
オート「その名も、伊奈波神社です。」
みやさん「鎮座地は、岐阜県岐阜市の伊奈波通にござるよ。」
オート「社伝によれば、今年、『たけし』殿が、稲葉山北西の椿原にて『ニッシー』様を祀ったのが、始まりとされております。二千年後の岐阜公園のあたりです。」
ヌーノ「祭神は、旦那様なのですね?」
たけし「はい。そして『ヌーノ』様も祀らております。」
ヌーノ「えっ? 私も?」
たけし「御妃ですから・・・。」
ヌーノ「そ・・・そうか・・・。旦那様と一緒に・・・(´;ω;`)ウッ…。」
オート「それだけではありません。『ニッシー』様の母君、日葉酢媛命こと『ひばり』様や、外祖父にあたる、彦多都彦命も祀られております。」
みやさん「ちなみに、彦多都彦命は、稲葉国造の先祖にござるよ。稲葉国とは、鳥取県東部のことにござるよ。」
ヌーノ「ん? 外祖父とは、母方の『おじいさま』のことであったな?」
たけし「はい。その通りです。」
ヌーノ「おかしいのではないか?」
たけし「えっ? どの辺がですか?」
ヌーノ「旦那様の母君『ひばり』様の父は、丹波道主王こと『ミッチー』殿ですよ? 私の『ひいおじいさま』でもありますから、間違いありません。」
たけし「言われてみると・・・。おかしいですね・・・。」
みやさん「これが、ロマンにござるよ。」
オート「そうですね。ロマンとしか、言いようがないですね。」
たけし「ロ・・・ロマン?」
ヌーノ「そのような説も有るということですか?」
みやさん「そうとも言えるし、言えないかもしれない・・・だからこそ、ロマンにござるよ。」
ヌーノ「よ・・・よくわからぬ。」
オート「ち・・・ちなみに、大連の物部の連の十千根こと『ちね』殿も祀られております。」
ヌーノ「は? なにゆえ、大連殿も祀られておるのです?」
みやさん「これも、ロマンにござるよ。」
たけし「ロマン?」
ヌーノ「よくわからぬが、私は、これからも、旦那様の御跡を慕い、朝な夕な、ひたすら御魂を慰めていきたいと思う。」
オート「国中(今の奈良盆地)には、帰らないのですか?」
ヌーノ「帰らぬ。帰りとうない。」
たけし「そ・・・そこまでの御決心なのですね?」
ヌーノ「そうじゃ。私は、この地にて、生涯を終えるつもりじゃ。」
たけし「か・・・かしこまりました。」
こうして、社も、無事に創建されたのであった。
そして、あっという間に、三年の歳月が流れた。
すなわち、西暦87年、皇紀747年(景行天皇17)3月12日。
ここは、筑紫(今の九州)の高千穂国(今の宮崎県)。
景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、あるところに行幸していた。
いっくん「ちなみに、行幸とは、天皇が外出することやで。」
ナッカ「御幸とも言うんすよ。」
シロ「して、何処に参っておるのじゃ?」
リトル(6)「父上? 何処に向かうかも知らず、御幸なさってたか?」
シロ「う・・・うむ。」
リトル(6)「仕方ないなぁ。子湯県だ!」
シロ「して『リトル』よ。二千年後の地名で申せば、何処になるのじゃ?」
リトル(6)「父上ぇぇ! 俺は『リトル』にあらず! 俺は大和童男だ! 何度も言うておる!」
シロ「わかった、わかった。して『リトル』よ。何処になる?」
リトル(6)「むむむ・・・。大和童男ぁぁ・・・。」
一体、どこに来ているのであろうか。
次回につづく
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