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科学は現代の宗教である
科学は、現代の宗教である。我々がどこから来て、この世界がどのようであるかを、科学は教え、我々は信じた。これが宗教でなくていったいなんだというのか。人間とはいったい何であるか。この世界とはいったい何であるか。科学がそれを教えた。伝えた。それを信じた。信じた人によって教えられ、伝えられて、我々もまたそれを信じた。これは宗教だ。もちろんそれらしい説明があった。根拠があり、解説があった。注釈があり、結実が
もっとみる自転はゆっくりか爆速か
爆速である。これは間違いない。球体派はしばしば「24時間でたった1回転なんだからそんなゆっくりの回転を体感できるわけない」みたいなことを腐りかけの福神漬けみたいな顔で言うが、完全な戯言である。彼らは神目線でそれを言っている。彼らはまるで手に持ったテニスボールを1日かけてくるっとさせるのと同じような感覚でそれを言っているのだ。でもそれならたしかにわかることも事実ではある。それはたしかに"ゆっくり"だ
もっとみるわからないことを赦せるかフラットアース
フラットアース論はとにかくわからないことが多い。太陽はどんなふうになっているのか、星はいったい何をしているのか、南極のいちばん奥はどうなっているのか、天蓋はほんとうにあるのか。そして、そもそもこの"場"はいったい何なのか(この言い方はツイッターでおおばやしさんが使っていた。場、いい表現だ)、神あるいは造物主はほんとうにいるのか。しかしこの「わからなさ」の実情は、実のところ現行科学で説明されていた部
もっとみるコロナとミンナ教と私 ~真実はブサイクでも真実~
コロナが存在していないことにほとんどの人が気がついていない。これはとんでもないことである。もはや見慣れた光景ではあるが、実際にはとんでもないことだ。こんな簡単な話がわからないというのはちょっと尋常ではない。僕がコロナが無い可能性に気がつき、その最終判断を下した(そのとき僕はハラリとマスクを外したのだった)のは2020年の4月の終わりだった。この頃はまだ僕は地球が丸くないことも知らないし、周囲の人た
もっとみるWhat is "現代フラットアース”?
フラットアーサーのあいだでは、ときどき「現代フラットアース」という言い方をすることがある。とはいえ特に厳密に定義が決まっているわけでもない。人によって、また場合によって、指している範囲が微妙に違ってはいる。でもそのことによって意思疎通に混乱が起きるということもない。今のところないと思う。とどのつまり、中世の西洋でのかつての平面説や仏教の須弥山説、また世界各地に残る神話などをベースにした話では無いよ
もっとみるフラットアースムーヴメントの175周年に寄せて
いま僕らがインターネットで目にしているフラットアース論はいわば球体地動説が一般に定着した後の文脈こそのものであるとしたなら、フラットアースは今年2024年で175周年になる。これは起源をサミュエル・ロウボサムが平面説を説いた1849年の著書『ゼテティック・アストロノミー』に求めたものだ。この本はヴァージョンアップされてゆき、最終的には3ヴァージョンめまで書かれることになるが、まだ16ページほどの"
もっとみるそれでも球体派は被害者である
少なくともTwitterでは、地球が丸かろうと平らだろうとどうでもいい、というふうに言う人もいる。生活と何の関係もないんだから、と。もちろんそれは文面上だけであって、ほんとうにどう考えているかまでは僕にはわからない。そういう意見の人と直接にやりとりをしたことが無いので、あまり奥の方までは知ることができていない。なので僕としては「地球の形状がどうでもいいという言明はこうこうこういうことを意味するので
もっとみる球体派とハサミは使いよう
僕がTwitterのフラットアース界隈に参戦した理由はまずはじめに「ここにも支持者がひとりいます」ということを表明しておくためだったのだけれども、それは次第に「自分もまた広めるための何かをしたい」という気持ちになっていった。2020年当初はそもそもフラットアースという単語でさえ目にすることは珍しかったので、まずはそういうトピックがあるということだけは絶対に知られなくてはいけないと思った。もちろんそ
もっとみるもしも球体派に遭遇したなら
Twitter等でフラットアース(地球平面説)について肯定的な発信をすると、球体派と呼ばれる人たちがリプをしてくるときがあります。そんなふうにもしも球体派に遭遇したなら、ブロックするかミュートすることをお勧めします。球体派はものを考える技術や技法にうまく親しまず、習熟できず、また向上心も無いというだけでなく、そもそもコミュニケーション能力が欠落してすっぽ抜けていることでも知られています。顔も知らな
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