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2024年のコロナガチ勢たち

2023年の5月にコロナが5類扱いになって以降、はじめから任意だったマスクはさらに任意となり、また大の大人たちが集う会社組織などでも一定人数以上での会食がそれぞれにだんだんと容認されるようになっていき、次第に「コロナは明けた」というわけわからん認識が一般日本社会に広がりを見せた。現在は2024年の6月下旬なので、コロナ5類移行から1年以上が過ぎたことになる。このまま人々はコロナのことなど忘れてゆき、また来るべき次の新しい詐欺にひっかかってゆくのだろうと思われた。だが実際の現実はそうでもなかった。なんとこの2024年6月下旬においても、コロナガチ勢をまだTwitter上で発見することができる。彼らはいまだにコロナ感染対策の手を緩めず、医療界の提出するデータを収集し、分析し、そしてもちろん、コロナのことを忘れてしまった大多数の人々への落胆を口にする。そして警告する。このままでは感染爆発し、医療逼迫を起こし、パニックになると。

これははっきり言ってとんでもないことである。彼らのツイートは凄まじい。あたかも現在が2024年であることを忘れてしまいそうになるほどの濃密なノスタルジアをあなたはそこで感じることができる。内容やテンションがほとんど2020年の2月や3月のそれと瓜ふたつなのである。まだ志村が死なず、飲食店が営業自粛せず、マスクや感染対策についての社会的コンセンサスも無かった時期のそれだ。だがそのツイート日時記録は2024年であるし、もちろんワクチン接種などのこの4年間のトピックも内容に含まれてくる。だからこれは間違いなく2024年現在のものだ。そしてそれらの見解はそこそこの支持を得ていることがコメント欄や引用ツイートから察することができる。つまり同じように感じている人たちが少なからずいるということだ。まず思うのは、これは何かのジョークではないか、ということだ。これは皮肉のわかる人間に向けて放たれた、洗練され先鋭化されたブラックジョークのようなものではないか、と、まず疑ってしまう。だがどうやらそうではないらしいことが次第にわかってくる。彼らはおそらく本気だ。本気で言っているのだ。彼らはこの2024年の6月下旬の段階において、本気で感染対策を継続させ、なんとなく流れるにまかせてユルユルにゆるんでしまった大多数の市民を糾弾し、また警告している。あー怖い。

しかしながら、「これは何かのジョークのようなものなのではないか」という手触りや感触は、おそらくフラットアース論への目線も同じなのではないかと僕は想像する。ある人がたまたま何かの拍子にフラットアースのツイートを発見してしまったら、「ん?これは何かのジョークではないか」と思うことうけあいなのではないか?2024年にもなって、いや21世紀の日本で、地球が平らだと言っている。文面から言って本人は大真面目のようだ。なんだこれは。いったいどういうことなんだ。ははあ、これは何かのジョークだろう、と。いやはや怖いねハハハ、と。だが違う。違うことが次第にわかってくる。プロフ画面から、コメント欄から、引用ツイートから、同じようなことを言っているツイートを他にも発見する。本気だ。彼らはおそらく本気だ。21世紀の日本で、彼らはほんとうに地球が平らだと言っているのだ。そうだ、僕は本気だ。

さて、彼ら"2024年のコロナガチ勢"を僕は今のところふたつの点でリスペクトまたは尊重し、ひとつの点で小馬鹿にしている。リスペクトしている点のうちのひとつはビーテレやマワリのミンナのクーキに影響されずに公式のデータを用いて推論し結論し展望しているところで、もうひとつは少数派であることに耐えていることだ。後者はむしろ共感に近い。少数派でいることは多かれ少なかれ辛いし面倒くさいことも多い。お互いに頑張りましょう。そして小馬鹿にしているところは、もちろん、ナマの現実の観察ができていないところである。それさえ出来ればそもそもコロナが無いことがわかる。ついでに地球が丸くないこともわかる。自転だってしていないのだ。ともあれ彼ら2024年のコロナガチ勢たちは政府や国民達の挙動こそもはや壮大なブラックジョークにしか見えていないだろうが、実はそもそもの情報自体がちょっとしたジョークみたいなものであったとわかる。もちろんその先には絶望が待っているが、まあ心配はいらない。僕のようなフラットアーサーたちが多かれ少なかれすでにそれを経験済みなので、力になれるのではないか。巨人のそれではないが、いつでも肩を貸せる。と思う。

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