イーフラット

フラットアース(地球平面説)についてです。主にツイッター(https://twitte…

イーフラット

フラットアース(地球平面説)についてです。主にツイッター(https://twitter.com/KeyInEb)で活動しています。

マガジン

  • SAYONARAミンナ教

    2024年4月中旬から6月アタマまでの書きものです。

  • 平面ゾンビーズRenaissance

    2024年3月あたまから4月あたままでの書きものです。

  • もういちど自然哲学からわたしたちはやりなおす

    2024年1月下旬から2月下旬のあいだの書きものです。

  • ベスト盤

    よく読まれている記事やぜひお読みいただきたいものをセレクトしています。

  • フラットアース自然誌

    フラットアースの見地からの自然誌的な書きものです。

最近の記事

"地面は平らに見える"までギリ正しいっぽい現行科学界隈

ものの本やらそこそこ権威がありそうな解説サイトやらを眺めていると、こんなフレーズに出くわすことがしばしばある。「地面はたしかに平面に見える」と。もちろんこの後で、それがなぜ曲面と言えるかや、我々人間がバスケットボールの上に載ったハエであることや、宇宙ロケットの写真の話などが例のごとく出てきて御破算になる。この説明のパターンは毎度のことなので別に期待してもいない(いくばくかの伝統芸能みを感じてジーンとすることはあるにせよ)が、「地面は平らに見えはする」という言明の存在はなかなか

    • おじいさんは曲率を探しに

      むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは地球の曲率を探しに、出かけました。そしておじいさんはそれっきり帰ってきませんでした。ほとほと困り果てたおばあさんは桃太郎にお願いすることにしました。 「桃太郎や、どうかおじいさんを探して、連れ戻してきておくれ。」 桃太郎というのは、おばあさんが川で洗濯をしていると流れてきた大きな桃の中に入っていた男の子です。桃太郎はおばあさんに答えました。 「はい、おばあさん。僕がおじいさ

      • ひとりひとりがサイエンサー(確かに!)

        少なくとも日本のTwitterを見ている限りでは、フラットアーサーたちは皆それぞれにフラットアース以外のことについてもよく発信している。ある人はコロナについてだったり、ある人は健康についてだったり、ある人はテクノロジーについてだったりする。もちろん(僕から見て)酷い場合には、スピリチュアル関連のことだったり、さらには何故か宇宙人についてだったりするようなこともあるが、総じてフラットアースについてのみを発信するということはけっこう少ないのではないか。これはひとつには、もともと他

        • なぜフラットアースを広める必要があるか?

          では今度はこちら側の事情についても少し話そう。なぜ私は(あるいはフラットアーサーは)フラットアースを広める必要があるのか?について。これもしばしば"非"フラットアーサーによって問われているトピックだ。さて何故だろうか。改めて僕は胸に手をあててみる。これまでにも何度か語ってきたことだが、これほど致死的に重大な情報を、つまり地球は丸くはなく宇宙空間も無いのではないか?という"問いかけ"を、僕もまたインターネットを通じて、見知らぬ誰か(たち)によって手渡されたからだ。この回ってきた

        "地面は平らに見える"までギリ正しいっぽい現行科学界隈

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        • SAYONARAミンナ教
          10本
        • 平面ゾンビーズRenaissance
          10本
        • もういちど自然哲学からわたしたちはやりなおす
          10本
        • ベスト盤
          10本
        • フラットアース自然誌
          10本
        • 平面説の路地裏から
          8本

        記事

          なぜフラットアースを隠す必要があるか?

          なぜフラットアースを隠す必要があるか?これは特に"非"フラットアーサーがしばしば問うトピックである。反対に、フラットアーサーがこれを問うことはあまりないのではないかとも思う。なぜならその時点で既に地球が丸くなくて空の向こうに宇宙空間が存在していないことが(観察によって)明白であるので、そこからほぼ自動的に現行科学が意図的な嘘であると導かれ、要は一般市民にこの世界と社会について本当のことをわざと教えず嘘の知識を与えることによって「支配してコントロールしようとしている」ことがわり

          なぜフラットアースを隠す必要があるか?

          2024年のコロナガチ勢たち

          2023年の5月にコロナが5類扱いになって以降、はじめから任意だったマスクはさらに任意となり、また大の大人たちが集う会社組織などでも一定人数以上での会食がそれぞれにだんだんと容認されるようになっていき、次第に「コロナは明けた」というわけわからん認識が一般日本社会に広がりを見せた。現在は2024年の6月下旬なので、コロナ5類移行から1年以上が過ぎたことになる。このまま人々はコロナのことなど忘れてゆき、また来るべき次の新しい詐欺にひっかかってゆくのだろうと思われた。だが実際の現実

          2024年のコロナガチ勢たち

          アイル・フォロー・ザ・サンロード

          海面に太陽の像が映ってそれが観測者まで伸びてくる現象のことをサンロードという。日本語で何と言うかは知らない。ググってもうまく見当たれない。あるいはそのままサンロードで良いのかもしれない。直訳で「太陽の道」とすると、これは現行科学での天球上の太陽の通り道のことを指すことが多いようで、話が違ってくる。これが太陽ではなく月の像の場合にはムーンロードで、これもこのまま通じる言葉だ。ムーンロードはあまりお目にかかれない。まず夜に月が明るい必要があるし、海もそこそこ暗くないといけないし、

          アイル・フォロー・ザ・サンロード

          フラットアースに興味、無いですね?

          Twitterでフラットアースに対するコメントを見ていると、この人はそもそもフラットアースの論そのものには興味が無いんだなという印象を受けることも多い。たとえば「宇宙が無い」という主張に対して「GPSが使えるのは宇宙があるからだ」という反論コメントがあったりする。これはつまり「GPSが使えるのは人工衛星が飛んでいるからで、人工衛星が飛んでいるのは宇宙空間である」という意味だ。うんうん、言っていることはもちろんわかる。しかしこの人はフラットアースに興味が無い。興味があればおそら

          フラットアースに興味、無いですね?

          NASAの公式HP記事『90 Years of Our Changing Views of Earth』をみんなで読もう!

          先日NASAの公式HPにこのような記事を発見した。「90 Years of Our Changing Views of Earth」(この90年における我々のアースの見方の変遷)。 リリースは2020年。この4年のあいだ全くこの記事の存在に気づかなかったが、歴史的に重要な画像も多くアップされていてとてもおもしろい記事なので、ここで全文の読み合わせをしてみたいと思う。翻訳はDeepLにさせるが、何か不備があれば注釈を入れようとは思う。ではさっそく始めよう。 まず冒頭の導入部

          NASAの公式HP記事『90 Years of Our Changing Views of Earth』をみんなで読もう!

          遠近法に関する球体派ポンコツーズの反応から書き始めてみたー!

          フラットアース論では目の見え方に関して遠近法を考慮することを要求する。これは単に実際の目で見える視野の画像は遠近法の影響を受けたものであるということを言うだけのものだ。そして僕が日頃Twitterで付き合っている球体派ポンコツーズの選手たちはしばしば「遠近法とは絵画技術のことである」というような理由で、その見え方の説明を斥けようとすることがある。彼らは根っこがバカで先っぽが鈍重なのでまあ仕方がないのだが、それはそれとしても、この「遠近法とは絵画技術のことである」という言明それ

          遠近法に関する球体派ポンコツーズの反応から書き始めてみたー!

          球差がゼロで何か問題でも?~平面説と測量あれこれ~

          明石海峡大橋の2本の支柱の間の距離は地球が丸いために根本と頂上とで93mmの違いがあるという話がある。しかし明石海峡大橋は建設中に阪神大震災の地震の影響を受けたためであろうか、各部の実測値が公開されており、それを見る限りではこの93mmの差を見出すことはできない。つまり少なくともこれは完成後の実測値では無いということだ。理論値である。大地震もなく、地球が丸ければ、そこには93mmの違いがあるはずだという話である。しかし一般にはあたかも「そこには93mmの違いが実際の現実に存在

          球差がゼロで何か問題でも?~平面説と測量あれこれ~

          科学は現代の宗教である

          科学は、現代の宗教である。我々がどこから来て、この世界がどのようであるかを、科学は教え、我々は信じた。これが宗教でなくていったいなんだというのか。人間とはいったい何であるか。この世界とはいったい何であるか。科学がそれを教えた。伝えた。それを信じた。信じた人によって教えられ、伝えられて、我々もまたそれを信じた。これは宗教だ。もちろんそれらしい説明があった。根拠があり、解説があった。注釈があり、結実があった。誰もそれを疑うことはなかった。疑っている人を見たことがなかった。とても優

          科学は現代の宗教である

          自転はゆっくりか爆速か

          爆速である。これは間違いない。球体派はしばしば「24時間でたった1回転なんだからそんなゆっくりの回転を体感できるわけない」みたいなことを腐りかけの福神漬けみたいな顔で言うが、完全な戯言である。彼らは神目線でそれを言っている。彼らはまるで手に持ったテニスボールを1日かけてくるっとさせるのと同じような感覚でそれを言っているのだ。でもそれならたしかにわかることも事実ではある。それはたしかに"ゆっくり"だろうからだ。そこでの彼らはその身体存在を喪ってしまっていることに気付いていない。

          自転はゆっくりか爆速か

          身体とユニヴァース

          身体を宇宙と見立て、お互いに対応関係にあると見做す考え方は古代だけでなく、現代の東洋医学やインドなどでも見られる。ここでの「宇宙」とはつまりいわゆるユニヴァースという意味での宇宙だ。あるいは天だ。または天と地のシステムそれ自体のことだ。要するに現行の科学体系は「科学」という様式をとってその「天と地のシステム」を書き換えて捏造して代わりに置いた、と言えなくもない。特に宇宙空間に関しては完全な捏造でしかないが、そうすると仮にもしも身体が宇宙と対応関係にあるならば、身体に関する知識

          身体とユニヴァース

          わからないことを赦せるかフラットアース

          フラットアース論はとにかくわからないことが多い。太陽はどんなふうになっているのか、星はいったい何をしているのか、南極のいちばん奥はどうなっているのか、天蓋はほんとうにあるのか。そして、そもそもこの"場"はいったい何なのか(この言い方はツイッターでおおばやしさんが使っていた。場、いい表現だ)、神あるいは造物主はほんとうにいるのか。しかしこの「わからなさ」の実情は、実のところ現行科学で説明されていた部分が一転して途端にわからなくなったことに起因する現象でもあるとも言える。たとえば

          わからないことを赦せるかフラットアース

          第一回ミンナ教学概説A

          さて"みんなが正しい"と考えて生きて死ぬのが良いとされる宗教であるミンナ教について知ってゆく行為全般のことを僕は「ミンナ教学」と呼んでいる。2021年の春にこのミンナ教という仮説をドドーンと打ち立てて以来、僕はミンナ教における概念をいくつか発見し、それを表現するための専門用語をいくつか発明したので、今回はそれについて簡単に解説したいと思う。もちろんミンナ教学もまたひとりひとりによって為されるものであり、必ずしも僕のミンナ教学のかたちがいつもいつも正しいと言うつもりは全くない。

          第一回ミンナ教学概説A