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科学は現代の宗教である

科学は、現代の宗教である。我々がどこから来て、この世界がどのようであるかを、科学は教え、我々は信じた。これが宗教でなくていったいなんだというのか。人間とはいったい何であるか。この世界とはいったい何であるか。科学がそれを教えた。伝えた。それを信じた。信じた人によって教えられ、伝えられて、我々もまたそれを信じた。これは宗教だ。もちろんそれらしい説明があった。根拠があり、解説があった。注釈があり、結実があった。誰もそれを疑うことはなかった。疑っている人を見たことがなかった。とても優れているとされている人の意見があった。とても優れているとされている人の主張があった。とても優れているとされている人たちのグループがあって、おとなの人たちの属する世の中で認められていた。そこには長く深い歴史と苦闘と栄光の物語があった。おとぎ話があり、神話があった。ドキュメンタリーがあり、ニュースがあった。疑う人はいなかった。我々は何をしていたかというと、信じることをしていた。我々は信じることをしているんだということさえお互いに気づけなかった。それが普通だった。宗教だ。信仰だ。民俗信仰だ。とても広範囲に及ぶ、長いあいだ人々を縛っている、あの信仰だ。

いま科学は終わった。焼け野原だ。信じていることにさえ気づけないほど信じていた科学は終わった。ぜんぶ嘘だった。科学なき後にはもう何も残っていない。それ以外に無かったのだ。それ以外に無かったことを初めて知る。焼け野原だ。ぺんぺん草も生えていない。科学が通った後にはぺんぺん草も生えない。それでも風が吹く。風が吹いていて、雲が流れている。日が差し、雨が降る。夜が来て、夏が訪れる。もういちど僕らは種を撒き始めるだろう。土を耕し始め、水を引き始めるだろう。虫が寄り始め、花が咲き始め、動物が鳴き始めるだろう。新しい見方を持ち、新しい言葉を使い、新しい科学を置くだろう。尾根をヒバリが舞い、海岸にクジラが到着する。新しい景色を知り、新しい言葉を使い、新しい科学を置き、新しい思想を得るだろう。新しい人。新しい人よ。そこにいるのは新しい人だろう。僕らはお互いに気づけないほど、新しい人同士だろう。科学はいま終わった。あれほど確かで、あれほど本当で、あれほど揺るぎなくて、あれほど信じられていた科学は終わった。まだ煙はくすぶって天をのぼっている。腐った根が土壌に粘着して残っている。悲鳴が大空にこだましている。耳を澄ませば聴こえる。鼻を利かせれば嗅げる。目を開けば見れる。手を使えば触れる。いま科学は終わった。科学は、現代の宗教である。我々がどこから来て、この世界がどのようであるかを、科学は教え、我々は信じた。

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