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球差がゼロで何か問題でも?~平面説と測量あれこれ~

明石海峡大橋の2本の支柱の間の距離は地球が丸いために根本と頂上とで93mmの違いがあるという話がある。しかし明石海峡大橋は建設中に阪神大震災の地震の影響を受けたためであろうか、各部の実測値が公開されており、それを見る限りではこの93mmの差を見出すことはできない。つまり少なくともこれは完成後の実測値では無いということだ。理論値である。大地震もなく、地球が丸ければ、そこには93mmの違いがあるはずだという話である。しかし一般にはあたかも「そこには93mmの違いが実際の現実に存在する」というふうに受け取られている。しかしよくよく考えてみると、そもそも橋は太陽の熱や大気の風によって多かれ少なかれ"動く"らしいので、どのみち公開されている実測値も平均をとって整えたものであろうし、理論値としての「そこに93mmの違いが実際の現実に存在する」というのもさらにおかしいといえばおかしいが、まあ例によって誰も気にしない。当たり前といえば当たり前ではある。ミンナ教でずぶずぶのこの社会ではそんなこと誰も気にしない。ちなみにではあるが、その阪神大震災の地震の震源は明石海峡大橋のすぐそばであるようだが、それが地震と関係があるのかないのかは知らないし、僕も興味が無い。

さて、国家資格制度の元で行われている測量には2種類ある。「平面測量」と「測地測量」である。平面測量とは"本当は湾曲している"地面を平面と見做して行われる測量で、これはその湾曲による誤差があまりにも小さいために無視して良いということになっていて、ウィキペディアによると最大で260平方kmの範囲まではこの平面測量で行われるということだ。そしてそれ以上の範囲になったところでようやく地面の湾曲が考慮されるのだが、この場合でも別に湾曲そのものを測定するわけではなく、単に普通の(おそらく平面測量と同じメソッドであろう)測量後に、地面の湾曲による変化の修正を加えて出た数値を最終的に採用するというに過ぎない。つまりその測定値には地面の湾曲の影響が含まれている"はず"なので、それを修正して"図面のために平面に加工する"ための人工的な処理を施したものだ。さきほどの明石海峡大橋もそうだが、たとえば青函トンネルの建設においても、しばしば「地球の曲率が考慮されている」という言い方がされることがあるが、おそらくこれはその測量段階のことを指しているようには思う。明石海峡大橋も青函トンネルも共に、前者は淡路島と兵庫県の本州、後者は北海道と青森県の間の海上にあり、ここでの図面を引くときに両側の土地で共通に使える水準点が事前に存在しておらず、そこで改めて測地測量(海や川を隔てる測量は特に渡海測量と呼ばれる)を行ない、淡路島側と兵庫県本土側、また北海道側と青森県側で共用できる水準点を改めて設け、それを基準にして図面を引いた。そしてそのときつまり"地球の曲率が考慮されている"のだ。

この測地測量では地面の湾曲による測定誤差である「球差」と、大気による測定誤差である「気差」のふたつの誤差が、その測定値に含まれていると見做す。このふたつの誤差をまとめて「両差」という言い方がされるが、なにをかくそう、この「気差」と「球差」は測量上では区別しない。そこにある"はず"の誤差には「球差」と「気差」の両方が含まれているというふうに"見做している"だけである。だからこそ「両差」という言葉(つまり概念だ)が存在していると言えなくもないが、ともかくそのようにして処理を施されている。その誤差には大気の影響と地面の湾曲の両方の影響が複雑に絡まり合っているためにその区別が困難であるという事情もあるだろうが、実質的には区別することに意味も無いといえば無い。当然のことながらそれで明石海峡大橋も青函トンネルもちゃーんと出来上がり、役目を果たすからである。「両差」のうち「球差」と「気差」とをわざわざ区別することを測量士は行わない。仮に「球差」がゼロ(つまり湾曲が無い地面)であっても何も影響が無い。その場合「両差」は全て「気差」ということになるが、少なくとも国家的に定められた測量メソッドにとってはそれで問題がない。「球差」と「気差」を区別しないからだ。だから地球が実際には平面であっても現行の測量は成立しているのだ。そして橋が架かり、トンネルが貫かれる。球差がゼロで何か問題でも?

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