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なぜフラットアースを広める必要があるか?

では今度はこちら側の事情についても少し話そう。なぜ私は(あるいはフラットアーサーは)フラットアースを広める必要があるのか?について。これもしばしば"非"フラットアーサーによって問われているトピックだ。さて何故だろうか。改めて僕は胸に手をあててみる。これまでにも何度か語ってきたことだが、これほど致死的に重大な情報を、つまり地球は丸くはなく宇宙空間も無いのではないか?という"問いかけ"を、僕もまたインターネットを通じて、見知らぬ誰か(たち)によって手渡されたからだ。この回ってきたバトンを自分のところで止めておくことが僕は今のところまだ出来ない。僕はその見知らぬ誰かがそういうことをしてくれたことに感謝をしている。見知らぬ誰かたちが、見知らぬ誰かたちにきっと届けと思って、インターネットにそれを流したのだ。そして僕はほとんど偶然にそれを拾い上げたのだ。いくつかのそれを拾い上げ、そして僕なりに組み、あるいはバラし、また編んだのだ。自分もまたそのひとりであらなければ、これを返しようがないと思う。受け取ったよ、ありがとう、という態度を示さなくては落ち着かない。いわば挨拶のそれのように。だがこれはあくまで僕個人の生活哲学や信条のようなもので、他のフラットアーサーたちがどのような心持ちでフラットアースを広めようとしているのかまでは僕にはわからない。けれども、これを伝えたいと思うのはとても自然なことのようには単純に思えはする。あれは嘘で本当のところはこうなんだよ、と。一度ちょっと考えてみてはくれまいか?と。

さきほど「偶然に拾い上げて、僕なりに組んだ」と言ったが、もちろんそのインターネットの海では波打ち際に色々な素材が流れ着いてくる。使えないものもいくらでもある。点検し、確認し、組んでみて、動作チェックをしなければいけない。僕もこれまでにいろんなものを拾ってきた。瞬殺でゴミ箱に行くものもあるし、数ヶ月以上かけてようやく不具合が見つかるということもある。あるいは年単位で。そして同じように、僕なりに見つけた素材を、あるいは自分なりに組んだものを、あるいはそのままの状態で、インターネットの海へ流し返した。その中には見知らぬ誰かにうまく拾われたものもあるだろうし、拾われた後で棄却されたものもあるだろう。もちろん誰にも発見されなかったものもあるはずだ。そしてそれをまだ止められない。見知らぬ呼びかけに応答していたいと思う。そのような止むに止まれぬ呼応関係は、これをフラットアース“ムーヴメント"と呼ぶに相応しいかもしれないとも思わなくもない。

さてさて、では"非"フラットアーサーがしばしば「なぜフラットアースを広める必要があるのか?」と問うのは一体何故であろう。そんなことはよく考えてみればわかるはずだ。少なくともフラットアーサーたち自身は地球が平らで宇宙空間が無いと思っていて、つまり一般常識や現行科学や公教育は間違っていると考えているわけだから、そのことを同じこの社会の成員である人たちに、いわば同胞に、それを伝えなくちゃと思うのはわりと普通のことではないか?とはいえ、2024年ももうすぐ半分を終えようとしている今となっては、だんだんとその機運も当初と比べるといくぶん落ちてきたとは思う。かれこれ4年も続いてきたコロ茶騒動を通じて、大多数の一般市民の知性のショボさにだんだんと見切りがついてきたというところがあるとは思う。僕だってそうだ。2024年にもなってコロナが無いことがわからないのに宇宙が無いことなんか到底わかるわけがないと思っている。しかしそれでも、どこの誰にどんなきっかけがあるかしれない。届け、と僕(僕ら)は波打ち際に立ち、それを送り出す。指は波音にまみれ、風が水平線を望んでいる。海鳥がサンロードを渡り、異国の雲がテトラポッドに反射する。

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