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自転はゆっくりか爆速か

爆速である。これは間違いない。球体派はしばしば「24時間でたった1回転なんだからそんなゆっくりの回転を体感できるわけない」みたいなことを腐りかけの福神漬けみたいな顔で言うが、完全な戯言である。彼らは神目線でそれを言っている。彼らはまるで手に持ったテニスボールを1日かけてくるっとさせるのと同じような感覚でそれを言っているのだ。でもそれならたしかにわかることも事実ではある。それはたしかに"ゆっくり"だろうからだ。そこでの彼らはその身体存在を喪ってしまっていることに気付いていない。彼らはしばしば球状地面のカーブが見えないことについて、バスケットボールの表面に止まったハエに例えることがあるが、この「自転ゆっくり説」においては彼らはハエではなく、宇宙空間から青く丸い地球を見ている神か、もしくは宇宙飛行士になっている。素晴らしいことだ、さぞ気分がいいだろう。ちなみにバスケットボールのハエである僕らにカーブが見えないというのは左右のカーブではなく前後のカーブのほうである。左右方向にはカーブしたりしなかったりするのが実際のところではある。

自転の速度はここ日本ではだいたい時速1500kmであるとされる。新幹線で時速300kmなので、時速1500kmを「ゆっくりである」と言うなら、新幹線などもはや止まっているようなものである。おそらく宇宙空間から見たら実際に止まって見えるだろう。そして新幹線を「ゆっくりした電車だ」と言う奴は頭がちょっとおかしい。少なくとも僕はそう思う。しかしそれでもその5倍の速度である自転さえゆっくりだと言う。これはもう完全に頭がおかしい。だが新幹線の例えが出たあたりで彼らは「新幹線で速度を感じないのは何故でしょう?」みたいなクイズを錆びた鉄板のような声色で突然出してくるが、それなら自転をゆっくりだと言う必要はそもそも無かったのであるが、答えは車内の空気も一緒に移動しているからだが、彼らはすでにクイズを出したことも忘れている。

そしてもちろん地球の大気が重力で引きつけられて一緒に移動しているからだとも言えるが、地球の移動は自転だけにとどまらず、公転と、太陽の移動と、宇宙の膨らみによる銀河自体の移動も関わってきて、ここにはその4方向の(しかもさらに爆速の)移動方向の違いによる加減速が存在しているが、新幹線の加減速を一切感じない奴はもはや人間ではあるまい。神である。彼らは身体を喪うことによって神になる。あるいは身体によって縛られていない霊的存在となる。科学に打ちのめされて虜となり奴隷となった球体派はまだしも、そうでないもっと普通の人でもこのあたりになると「もーわかんない、ピザでも食べよ?」みたいなことになるだろう。身体実感と既存の知識が相反するとき、彼らは1匹のハエとなり、ピザを目指して大空を飛翔してゆく。その身体はとことんまでスポイルされている。

自転はゆっくりか爆速か。爆速である。これは間違いない。時速1500kmである。もちろんどこまでの時速を"ゆっくり"と言い、どこからの時速を"速い"と言うかはTPO次第である。僕にとっては時速90kmのピッチャーの投球は速いが、イチローにとってはほとんど止まっているようなものだろう。だが時速1500kmで空間全体が移動していることを"ゆっくり"と見做すような存在は人間ではあり得ない。神である。その神は宇宙空間から太陽系を覗き込んで24時間でゆっくりと1回転する地球を見ている。だが神にとって24時間という時間の経過量がどれほど長いか、あるいは短いかは誰にもわからない。そもそも宇宙では太陽は見えっぱなしなのもあるし、神もわざわざ自らの時間観念を地球のそれに、爆烈に広大な宇宙の片隅のこんな小さな青い岩クズのそれに合わせたりしてないに決まってる。そんなこともわからないなんて、まったく人間は傲慢である。

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