先日NASAの公式HPにこのような記事を発見した。「90 Years of Our Changing Views of Earth」(この90年における我々のアースの見方の変遷)。
リリースは2020年。この4年のあいだ全くこの記事の存在に気づかなかったが、歴史的に重要な画像も多くアップされていてとてもおもしろい記事なので、ここで全文の読み合わせをしてみたいと思う。翻訳はDeepLにさせるが、何か不備があれば注釈を入れようとは思う。ではさっそく始めよう。
まず冒頭の導入部分。
いきなり『地球が球形であることを示す“間接的”な証拠は長い間存在していたが、20世紀になるまで写真による証拠はなかった。』と、20世紀以前の、そして、写真による証拠以外の証拠はぜんぶ“間接的”であるとすら聞こえる。アリストテレスもコペルニクスも衝撃のイントロである。NASAに言わせれば彼らの提出した見解は間接的な証拠でしかなかったのだ。
次に、以下の写真が紹介され、そのキャプションが添えられている。
これが1931年である。なかなかに平和だ。いわゆる現在のフラットアース論で言うところの「沈み込み」であるが、これが史上初だという紹介もおもしろい。なぜなら「沈み込み」は別に上空21,000フィートまで上昇しなくても発生するからである。が、科学業界的に公式的な媒体において、その目的のために撮影された写真としては、たしかに史上初なのかもしれない。だがやはりアリストテレスもコペルニクスも衝撃である。山が先端から見え、船は船底から見えなくなるって俺らだいぶ前から言ってただろと。信じてなかったのかよと。ナショジオくそくらえやと。
さて次はそれに関連した、フラットアーサーには毎度おなじみの様式の図で、さきほどのナショジオ記事に添えられていたものであるようだ。
ここは特に興味深いものは無い。そしてこのナショジオ1931年5月号の「沈み込み」写真に関してNASAによるさらに詳しい説明が続いている。
これを「湾曲の証拠である」と言い切っているのが凄い。しかしNASAが言うのであるから間違いない。これが湾曲の証拠である。アリストテレスもコペルニクスも写真技術のある時代に産まれていたらこれほどの大手柄をどこの馬の骨とも知れないアメリカの軍人なんかに奪われることはなかったであろう。なんで21,000マイルも高度が要る?アルバート・W・スティーブンス少佐?誰やと。
さてトピックは変わり、次に2枚の写真とそのキャプションがまず紹介される。
一枚目。
二枚目。
キャプションによれば右側の人物がアリストテレスとコペルニクスを出し抜いたスティーブンス少佐であろう。たしかに一見精悍ではあるが実質的には特に何も考えてなさそうな軽薄な顔つきではある。こういう奴は現代日本の民間人にもゴロゴロいて、大事なときにはあまり役に立たない傾向が強いことでよく知られている。そして続いて詳細な説明が以下である(どうやらこの記事では、まず写真を見せ、次にその簡単なキャプション、そして最後に詳細な説明がくる、という構造になっているようだ)。
とのこと。全く平和である。そんなものはわざわざ気球に乗らなくとも、わりとどこでも、たとえば"地球の丸さがわかる"という触れ込みの和歌山県の潮岬とかででも普通に地面に立って見ることが出来る。潮岬についてはよろしければ拙記事をご覧下さい。
では続き。
ついに来た。これは地上からは見れない。サブオービタルロケットとは、地球を周回する軌道まで到達する高度と速度には満たないものの、弾道を描いて飛行して数分後に地球に帰還するロケット。
そして詳細な説明が続く。
NASAは不親切なのでキャプションではわかりにくいが、先ほどの2枚の写真の2枚目がおそらく1946年にミサイルに設置されたカメラによるものだと思われる。そして説明の最後部にある気象衛星TIROS-1による1960年の写真が1枚目で、1959年のエクスプローラー6号のものはこの記事ではアップされていない。でもググったらそれらしきものがちゃんとあったのでいちおう下にアップしておく。
まったく最高である。
さて次の写真。
さあここまでくるといよいよである。ついに球体大地の全景写真が登場した。球体だ。もう決まりである。これもうガンギマリで球体である。つづく説明を読もう。
うむ、たしかに初のカラー画像だ。素晴らしい。ちなみにガガーリンが「地球は青かった」と言ったのはこの6年前の1961年のことなので、きっと当時の人々は「たしかに地球は青いけど、雲は白く、大陸はなんか汚い」と思ったことだろう。
では次の写真。
月の表面から撮影した、というのがここはミソであり、なにげに裏テーマでもある。大人は怖いね。
ふむ、ここはあまりおもしろい話が無い。次の写真にいきましょう。
たしかにこれは有名。
わざわざ着陸船も入れてあるのがたまらないショット。
はいきたー!我らがザ・ブルーマーブル!ちなみにこの写真はトリミングやアングル変更や色相の調整は行っているものの合成ナシの1発撮りとのことだそうで、ググるとちゃんとオリジナルのものが出てくる。「AS17-148-22727」という通しナンバーで知られている。これだ。
最高だ。ではつづく説明文を読もう。
こう見ていくとこの時期はNASAの絶頂期なのである。この時期の名作品群はリリースから50年を過ぎた現在でも眩しい光を放ち続け、マスターピースとして人々に影響を与え続けている。素晴らしい。
では次の写真。
合成?一般的に言ってもだいぶどうでもいい写真である。
なるほど、このコーナーは太陽系の惑星への旅がメインテーマなのであろう。どうでもいいとか言ってごめんNASAい。
うむ、やはり丸い。そして青くて白い。どうでもいいけど説明を読もう。
最後の一枚は1990年である。わりと新しい。さてここまでだいぶ長くなってきてNASAの絶頂期も過ぎてしまったが、あともう少しなので頑張りましょう。では次の写真いきますね。ファイト!
なんだこれは。これが家族写真(ファミリーポートレイト)だと?NASAの絶頂期はやはり終わったのか。
もはや混迷期または暗黒期である。だがしかしどんなにかつて隆盛を誇ったバンドにも必ずそんな時期は訪れる。そこを越えてさらに作品を残せるかが本当の勝負である。意味がわからないので説明文を読もう。
なるほど、そういういきさつがあったのである。ちなみにリマスターされる前のオリジナルの『Pale Blue Dot』はこちらである。
リマスター要る?
コロナ茶番中だというのに余計な仕事に無駄な経費を使うぐらいなら解散したほうがマシではないのか。
では次の写真。
はい?
これ前に似たようなのやってなかった?
もうダメだ。NASAは終わった。
本当に終わりだ。こんな作品で観衆に説得力を持ち得ると思ったら大間違いである。もう彼らはあの1972年(ザ・ブルー・マーブルの年だ)のスピリットを失ってしまった。
いちおう説明を読んでおこう。
どうでもいい。
さあいよいよ最後の写真だ。この写真を紹介して記事は終わっている。最後に僕のひとこと感想を書いて本note記事も終わるので、あと少し耐えてください。
なんだこれは。
説明。
また家族写真だ。これはもはや完全にネタ切れなのである。「地球上の人々はカッシーニが撮影することを事前に知らされ、カメラに向かって微笑むよう促された。」とあるが、そういう巨大なイベントによって作品の物語に彩りを添えるのがもはや関の山である。さて、この記事の最後のまとめの文章を読もう。読んでこのくだらない景色(view)とおさらばしよう。
くだらない。
さていかがだっただろうか?僕は月面着陸以前の初期のモノクロの写真群を楽しんだ。それらのうちのいくつかは以前に見たことはあったものの、その出自については知らなかったので、こうして公式筋からの情報があると嬉しいし、念のためにこうして手元に残しておくことは後できっと何かの役に立つ。そしてこれはNASAの公式HPのものなので、ソ連もアメリカもなく(だって国家制度は虚構だからさ)球体大地写真の公式ベスト盤(1931−2020)と見ていいのではないか。そのベスト盤が2020年にリリースされたというのは、実に、音楽バンドと同じで、その区切りや転換を予期させるという点では興味深くもあるし、どうでもいいといえばかなりどうでもいい。早く解散しろ。思い返せば僕自身の考え方や価値観も2020年を境に思わぬ転換を否応なく果たした。そこからの眺め(view)は、以前より醜く以前より美しい。