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遠近法に関する球体派ポンコツーズの反応から書き始めてみたー!

フラットアース論では目の見え方に関して遠近法を考慮することを要求する。これは単に実際の目で見える視野の画像は遠近法の影響を受けたものであるということを言うだけのものだ。そして僕が日頃Twitterで付き合っている球体派ポンコツーズの選手たちはしばしば「遠近法とは絵画技術のことである」というような理由で、その見え方の説明を斥けようとすることがある。彼らは根っこがバカで先っぽが鈍重なのでまあ仕方がないのだが、それはそれとしても、この「遠近法とは絵画技術のことである」という言明それ自体に関してはおそらく正しかろう。つまり「遠近法」という"言葉"それ自体は絵画技術の"用語"として存在しているものであって、すなわち人間の目で見える視野の画像について説明する時に使える"用語"ではない、よってそれを斥ける、というメッセージをポンコツーズはそこに含めていると思う。実にポンコツである。実際のところ、絵画技法としての遠近法が人間の目で見える視野の画像と一致するが故にその技法は存在するわけであるのだが、とはいえそれ以外の用語が見当たらないのも事実ではある。それを説明しようとすると要は絵画技法としての遠近法と同じになるので、人間の目で見える視野の画像についても「遠近法」と呼ぶわけだ。このあたりを解せない選手は基礎がなってないのでゲームにはまだ出れない。

とまれこのように、説明の"内容"ではなく"フォーマット"によってその可否を選別する傾向というのは球体派業界では大変に多く観察することができる。球体派業界で大変に多く観察することができるということはミンナ教界隈でも観察することができるということを示唆してはいるのだが、実はこの振る舞いはラクなのである。ある説明を却下したいという欲望が先行しているときに、内容を吟味することなくローコストで却下できるのがこの「フォーマットによって判断する」というメソッドなのである。服装や喋り方、あるいは性別や肌の色で人を判断するのと多かれ少なかれ似ているといえば似ているのかもしれない。要はラクなのである。いわゆる"レッテル貼り"と似てもいるが、ラクをすることが悪いとは僕は思わない。バカはラクをしたがる、ということを言いたいわけでもない。無意識にラクなやり方を採用してしまうほど興味が無いことについて首を突っ込んだりペラペラと語り飛ばしてしまうことがバカなのである。およそ物事というのはなんであれ大変に複雑である。まずそのことを知識として、あるいは一種の知恵として心得ておかねばならないが、それを理解していないが故に、ラクなやり方を採用してしまう。舐めているのである。舐めることが悪いとは言わない。舐めてしまうような物事にハンパに首を突っ込むことが問題である。それで済ませようとする態度が問題なのである。ちなみにミンナ教の世界では、そこまでの深い理解はミンナ神から求められないのでオールオッケーである。素晴らしい。

そういえば思い出した。以前に、街頭での反コロ街宣に対して「もっと見栄えのする場所でもっとキッチリした服装でやればもっとちゃんと聴いてもらえるのに」という不思議な意見を知人(反コロでない)から聞いたことがある。そういう問題では無いんだけどなと思いつつ、そのとき僕は生返事をしただけだったが、なんとも違和感が残り、しかしうまくその全容を自分の中で説明できなかった。だがこれは要は「その内容でなくそのフォーマットによって論を却下している」現象が起こっていたのであろう。今ならわかる。おそらくそれである。この「フォーマット」の究極はミンナ教ではテレビである。科学教ではおそらく査読済み論文か、あるいは公教育の教科書であろう。フォーマットによってその論や言説や意見の信憑性を計る、という振る舞いの習慣はかなり根深い。注意しなくてはならない。


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