見出し画像

あべこべワールド

そーいえば、「あべこべ」って言葉を久々に使いました(笑)。

位置・順序・方向などが通常の状態とは反対であること。また、そのさま。さかさま。逆。(デジタル大辞泉より)

ということでなく、あくまで私事として、考えたコトを書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いですm(__)m。

具体的に、何があべこべかというと、「行動と発言」や「心理と態度」、「心と体」…あらゆるところで、人間は矛盾した二つの側面を抱えて生きています。

そこには、「個人としての尊厳」であったり「アイデンティティ」といったものを支える「バランスを保つ能力」が関係していると思うのです。

というのは、どうしてこんなにも不完全な生命なのでしょうか?

人々・ダム・錯覚・錯視・橋に画かれた絵

ーーーーーーーーーー

「想像力」は不完全だからこそ⁉

上記の画像は、いわゆる「錯視」を利用した絵がダムに描かれているものなのですが、「錯視」が起こる原因は「脳が完全ではない」からです。

人の脳というのは、脳科学の書籍などを読んだことがある方は知っていると思いますが、かなりいい加減だったりします。

未だ解明されていない部分も多く残っており、謎の多い部位ではあるのですが、五感から得られる情報自体が、何をもって「完全な情報」とするかの定義はしませんが、処理をする際、相当な量の情報を削り落とすことで、脳は多くの情報を蓄積することができます。

少し話が逸れますが、人工知能の話として有名な「Googleの猫」というものをご存知でしょうか?

これは、「」を人工知能が判別できるようになるには、約1,000万枚の猫の画像を必要とした、というモノです。

では、人が「猫」を識別するのに、1,000万もの「猫に関する情報」は必要でしょうか?

私たちが幼い頃、そんな膨大な数の猫を見るでしょうか?

まず1,000万匹の猫に遭遇する前に、「」だと判別できていると思うのですが、これには「想像力」が大きな役割を果たしていると思います。

ヘッドホン

ーーーーーーーーーー

聴覚の話になりますが、人の聴覚は、視覚と同じように「補完機能」が備わっています。

人との会話中に、急に騒音が鳴り響いても、「なんとなく聞こえなかった部分の言葉が分かってしまう」ことってないですか?

これは、の持つ「想像力」が、聞こえないかったはずの音を「補完」しているから「聞こえたように感じる」状態になるのです。

こーゆーのって…面白くないですか?(*'▽')

この「いい加減」だからこそ楽しくも不思議な現象というのは、数多く存在します。

漢字などを注視していると、認知機能に歪みが生じ、意味が分からなくなったり、形状が正しいのか判別できなくなってしまう「ゲシュタルト崩壊」。

コンセントなどの3つの点が集まった図形が「人の顔」に見えてしまう「シュミラクラ現象」。

向かい合った二人の人物の横顔の間に存在する空間に「何かあるのでは?」と多義的な意味を見出してしまう「ルビンの壺」など…。

ベクター画像・脳・精密機械・電子回路

ーーーーーーーーーー

「精密さ」と「曖昧さ」

ここまで書いてきたことを踏まえると、人の脳というのは、非常に高度な精密機械かのような側面もあれば、どこか抜けているような曖昧さも併せ持っていることが分かると思います。

これが人を人たらしめる要素だとは思うのですが、あまりにも絶妙過ぎるバランスの上に成り立っている私たちの「自我」や「価値観」というのは、ときに乱れ・崩れ、私たち自身を苦しめます

ところで、唐突ですが「両方あっていい」という考え方は、論理矛盾でしょうか?

人の脳というのは、「認知的不協和」に不快感を示すということは、数日前の記事にも書…いたような気がします(;´・ω・)多分(汗)。

両方あっていい」の片方がネガティブな連想を引き起こす場合、人の脳は、より矛盾を感じやすくなり、結果として「考えの二極化」が進むのではないか?と私は考えています。

つまりは「ネガティブを排除し、ポジティブに傾倒しよう」となるということです。

イラスト・陰陽・パズル・グラデーション

ーーーーーーーーーー

「陰(ネガ)」と「陽(ポジ)」は「心の両輪」

ネガティブ排除思考」に傾くと、心のバランスは崩れていきます。

大丈夫じゃないのに「大丈夫」。

落ち込んでいるのに「明るく振舞う」。

心が挫けそうなのに「頑張る」。

決して間違った志向だとは思いませんが、無自覚に行っていると、不意に糸が切れるようにメンタル不調に陥る危険性もあると思います。

人は存外、「ポジティブ思考=良い傾向」だと思いがちですが、私は少し極端な考え方だなと思っています。

ネガティブ」というのは、必ずしも排除すべき思考ではありません

むしろ、「ネガティブな思考」があるからこそ、人は「ポジティブ」で居られるのです。

グラス・カウンターバー・青い照明

ーーーーーーーーーー

「排除」ではなく「受容」する。

楽しい」という感情は、「悲しい」という感情が無ければ存在しないのではないでしょうか?

嫌い」があるから「好き」があり、「憂える」ときがあるから「喜ぶ」ときがある…。

例えば毎日好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きなものを好きなだけ手にすることができたとしたら、それは本当に「幸せ」なのでしょうか?

どこか満足のいかないものがあるからこそ、充足感を求めて、人はより良くなる道を歩み続けるのではないでしょうか?

だとするならば、「ネガティブ」は「排除」ではなく「受容」することで、心のバランスを保ったまま、私たちは「ポジティブ」を感じることができるのではないでしょうか?

受容とは「受け入れて取り込むこと」です。

落ち込むときがあっていいんです。

悲しいときは泣いていいんです。

時には感情のままに叫んだっていいんです。

自分の中には、悪い面もあるかもしれない。でも、だからこそ良い面が鮮明になり、自分が自分であるコト違和感を感じずに済むんだと思う…」

そう思えたら、いいと思います。

文字・「今日笑った?」

ーーーーーーーーーー

「あべこべ」である自分も「受容」出来たら…

人は、つい自分の心に嘘をついてしまいます。

それは決して自らを偽ろうとしているのではなく、本来は自らの心を護るための嘘なんだと思います。

ですが、そんな行為を繰り返していくうちに、心のバランスが崩れていることに無頓着になっていくこともあると思うのです。

あ…今、自分に嘘をついちゃったな…

そう感じられるうちに、そんな自分も受け入れてあげられたら、この「あべこべワールド」で、まで「あべこべ」になってしまわないのではないか?と私は考えています。

どんなあなたも、必要だから存在しているのです。

どうか嫌いにならずに、愛してあげてくださいね。

ーーーーーーーーーー

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?