自分らしさに悩む君へ(#3 徳谷柿次郎さん)
自分のしごとをつくるゼミ 文章で生きる編
2024.1.30~4.9
参加して感じたことを書いています。
第3回 徳谷柿次郎さん
編集者 / 株式会社Huuuu代表取締役
最も伝えたいメッセージ
これを読んでいる君がもし、何かに悩んでいたら、まずは手を動かして、身体を動かして、ひとつやってみよう。「やってこ!!!」
自分らしさは、壮大な編集作業
自分らしさとは何だろう。自己紹介をする時「○○大学の」「○○会社の」と耳にすることが多い。肩書は分かりやすい。でも、そこに至る背景とセットで初めて、自分のことが相手に伝わるのかなと、僕は思う。
自分らしさは、親、友達、会社が教えてくれるものではないと思う。彼らは、色んな材料を提供してくれるが、それらを編み直して、意味づけをするのは、自分しかいない。
問題は「悩んでいるとき」「分からないとき」誰かに答えを教えて欲しい、という受け身の姿勢になっていることではないかと思う。自分について考えることは、億劫だし、辛いこともあるし、できれば避けたい。でも、この葛藤と付き合っていく覚悟のある人しか、自分らしさを定義して、やっていけないのかなとも思う。
本書にある言葉を読むと、オリジナリティにヒントがあるように僕は思う。「独自性」という意味の言葉で、語源となるオリジンには「起源」という意味がある。自分の起源を考えると、それが独自性に繋がる。勇気の貰える言葉だと思う。
自分を突き動かす、怒りの感情
火事場の馬鹿力という言葉があるように、人は追い込まれた時、本当に頑張るものだなと思う。柿次郎さんの半生を読むと、それを思い知らされるし、少し前の自分の境遇とも重なる部分がある。
柿次郎さんは、本名を洋平という。詳細は著書「お前の俺を教えてくれ」に譲るけど、これまでの自分と決別して、新しい自分で生きていく。その覚悟で26歳の「柿」の文字を背中に掘ったらしい。これを読んで「やばっ」と少し拒否反応が出たなら、逆に考えてみて欲しい。当時、その決断をした柿次郎さんの気持ちを。ぼくも逆境に立たされて、はじめて動けたし、リスクをとれた。
もし自分が、いまの環境でくすぶっていると感じているのなら、5年後、10年後、いまの環境に居続ける姿を、ありありと想像してみて欲しい。このまま30歳になったら、40歳になったら、自分はどう思うだろうか。
好きな領域は実践して学ぶ
編集者である柿次郎さんは、毎日とにかく、現場に顔を出す。拠点にしている長野から、北は北海道から、南は沖縄まで。そうして現地での思いがけない人との出会い、そこで聞いた話に、心が動かされる。その衝動を、そのまま原稿に閉じ込めて、自分の信じる価値を、ネット上に置いておく。
そんな柿次郎さんが、取材者として大切にしていることは、好きな両機は実践して学ぶこと。「この人は知ってる、話しても良い」と相手に信頼されると、普段は内に秘めていること、まとまっていない考えを話すことは、何も取材だけでない。僕らの人間関係もでも、そうだと思う。皆さんは、自分の好きな領域を実践してますか。
分からなさは、自分を開くカギになる
分からないことは、悪いことではない。「分からない」と心が動いた時、それは自分との対話でもある。逆に考えてみると、分かってしまったら面白くない、とも言える。あなたは何歳まで生きます、この人と結婚します、と分かる人生だったら、どう思うだろうか。
理不尽で死んでしまったり、自分の意志だけで、結婚相手をは決められない時代もあった。そう思うと、いまの悩みというのは、贅沢な悩みだなとも言える。
おわりに
柿次郎さんの回は、事前に受け取る情報量がマシマシだった。どの言葉も、強烈なパンチラインとして、自分の心に響いてきた。現代版「自分の中に毒を持て」だと言える。
思い返せば、僕もずっと、自分らしさに悩んでいた。僕は何者なんだろう、憧れるようなあの人になりたい、でも今の自分にはできない。ぐるぐる、頭の中で、そんな声が巡り、一人で動けなかったり、結果としてそれが人に迷惑をかけることもあった。
大学入学後、それを意識してからの約6年間、ずっとぐるぐるする中、卒業、就職もしたが、最近ようやく、それが無くなってきた感覚がある。
とにかくやってみる、そう思ってから、無くなった気がする。好きだった写真で、もっと人が喜ぶには何ができるだろうと思って、年明けから友達のポートレイトを撮影している。
正直、恥ずかしい。自分は風景が好きだから。そう思って、これまで避けていた。けどいざやってみると、想像以上に喜んでもらえて、心から喜びを感じている。撮影させてもらえることが自分にとっての喜びだし、その上で喜んでもらえるなんて、こんないいことがあっていいのだろうかとも思う。
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