介護の言葉㉓「耳を貸さない」
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私は、臨床心理士・公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護の言葉」
この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。
時には、今はあまり使われていなくても、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。
今回は、一般的な言葉ではあるのですが、介護だけではなく、支援に関わる時に、比較的よく聞く言葉で、その使われ方が気になってきたので、改めて、考えてみたいと思いました。
よろしくお願いします。
「耳を貸さない」という言葉
この言葉自体は、ごく一般的な表現だと思います。
同時に、あまりいい意味合いで使われることは少ないようにも感じています。
それは、具体的な誰かに対して、頑固である、もしくは、こちらの話を聞いてくれない、というような場面で言われている印象があります。
そして、個人的な実感ですが、支援の仕事に関わるようになってからも、意外と多く聞くようになりました。
それは、介護の現場だけではなく、他の福祉に関わる場所でも、時々、聞かれるのですが、その「耳を貸さない」という言葉が使われるときは、支援が行き詰まるというか、困った状況になった場合のようです。
介護のときは、たとえば、家族介護者に対して、もしくは、介護を受けている人(要介護者)が「耳を貸さない」ことによって、適切な介護サービスが提供されない、という使われた方をされていると思います。
それは、支援する側から見れば、家族介護者や、介護を受けている人が、適切な判断をしていない。「耳を貸さない」から、そうなってしまう、と感じるのだと思いますが、では、たとえば、家族介護者が「耳を貸さない」場合には、どんなことを考えているのでしょうか。
今回は、「家族介護者」に限って、になってしまいますが、改めて、そのことを想像し、考えてみようと思います。ですので主に、介護の支援に関わる専門家の方に対しての記事になるかもしれません。
そして、偉そうな言い方になったら、申し訳ないのですが、まずは家族介護者が「耳を貸さない」姿勢になっている理由を考え、対応することによって、状況が変わってくるようにも思っています。
「介護を始めたばかり」の家族介護者
「耳を貸さない」のが、まだ「介護を始めたばかり」の家族介護者の場合から、考えてみたいと思います。
ほとんどの場合、突然、介護をせざるを得ない中にいらっしゃると思います。表面上に出ているかどうかは別として、混乱されている場合が多いのではないでしょうか。
さらには、専門家である方から見て、おそらくは、介護のことがこれだけ言われるようになった時代に、どうして、こんなことも知らないのだろう、といったことを思う時があるかもしれません。
ただ、介護業界で働かれている場合は別として、一般的な大人の方は、そんなに介護について知らない方が多い印象があります。介護に関して大変だという話については、ちょっと知っていたとしても、介護が始まるまで、多くの場合、それは他人事にすぎません。
それは、無知というよりは、できたら介護をしないですむなら、その方がいい、という思いも強いでしょうし、介護予防などいう言葉もあるのだから、気をつけていれば、介護をしないですむかも、という思いもあるかもしれません。どちらにしても、通常の生活の中にいたら、考えたくないようなことでもあるはずです。
もしも、介護を始めたばかりの家族介護者にもかかわらず、「耳を貸さない」姿勢の方がいらっしゃった場合、その方に対しての接し方の中に「介護のことを、こんなに知らない」といった気持ちがあると、そのように頑なに見える姿勢になっている可能性を考えてもいいような気がします。
ですから、介護に関して、知らないのは当然だし、それは恥ずかしいことではない、という前提で接した方がいいのでは、と思います。その上、突然、介護に巻き込まれた気持ちもあるでしょうから、混乱もあります。そんなような状態だと思って接してもらえば、耳を傾けてくれる可能性が高まるように思えます。
プライド
また、そんな前提を理解して接していても、さらに耳を貸してくれないとしたら「知らないことは、専門家の私が教えます」というような態度が強めに出ている場合かもしれません。ただ、それは、介護のプロとしては自然な事でもあると思います。
それでも、たとえば、認知症のご高齢者の介護をされている時などに、突然、浴びせかけられる「ばかにしているのか」という声のように、人は、プライドに関わることには敏感で、そこに感情的に反応しやすいのではないでしょうか。
それも、また、自然なことだと思います。頑なに耳を貸してくれない、と見えたとしたら、それは、プライドに関わっているかもしれません。そこに気をつけてもらったら、「耳を貸さない」態度が、少し変わる可能性はあります。
エネルギーの枯渇
さらには、混乱していて、いろいろなエネルギーが枯渇しかかっている場合もあります。たとえば介護サービスの利用を説明する場合に、可能な選択肢をいくつも提示しているかと思います。それは、とても正しいことなのですが、エネルギーがなくなっている場合は、選ぶことができなくなっている場合があります。
家族介護者の様子を見て、混乱されているようでしたら、説明を最小限にし、選択肢も絞り込み、押し付けがましくならないように、提案するように差し出す、といった方法はどうでしょうか。
そこまで気を使わなくてはいけないのか、と思われるかもしれませんが、多くの場合、突然、介護をすることになっているとしたら、それは日常が激変することですから、心理学的にいえば「危機」に近く、精神的にはかなりの負担がかかる場面と言われています。
場合によっては、介護の専門家に全く落ち度がなくても、ご家族から、激しい言葉や怒りなどをぶつけられたりすることもあるかもしれませんが、それは「危機」という異常な状態の中での「正常な反応」の可能性もあります。そんな風に考えてもらうことで、もしかしたら、支援者として、少しでも負担が減るかもしれませんが、いかがでしょうか。
「長く介護をしている」家族介護者の場合
「長く介護をしている」家族介護者が「耳を貸さない」場合も、考えていきたいと思います。
長く介護をされているご家族の場合は、介護に関してはベテランで、ある意味では「専門家」といっていいのではないかと思っています。そうした存在として接していただければ、それだけで対話がスムーズに進むこともあるのではないかと考えています。
ただ、ベテランのプロの介護の専門家である場合は、それも自然で健全なことだと思うのですが、家族介護者と対等と考えるのは難しいのかもしれません。それでも、家族介護者は、24時間365日の絶え間ない緊張感の中で、介護をされている方が多いと考えられます。そうした、永続的な時間の中で、どのように介護を続けていくか、に関しては、家族介護者は、「専門家」であることは間違いありません。
そう考えると、もし、虐待の可能性があったり、明らかに疲れ切っている、ということでなければ、ご家族なりの確立された介護方法で日々を過ごされているのではないでしょうか。
そこに、何かを教えるという行為は、難しいかもしれません。シンプルに、「何かお困りのことはありますか?」とさりげなくお聞きして、話を聞いていけば、何かの時に「耳を貸してくれる」可能性は高まるかと思います。
「変化」の負担
個人的には、心身の疲労と緊張で、常にぎりぎりの状態にありながら、そこに適応しているのが「ベテランの家族介護者」という印象があります。こうした方々が、おそらくもっとも苦手とされているのが(小さくても)「変化」ではないでしょうか。
もし、介護の専門家が、今の介護環境よりも、明らかにより良い方法があると思えても、ギリギリの毎日を積み重ねているご家族にとっては、「変化」の負荷を想像し「このままでいい」と思っている可能性が高いかもしれません。そうなってしまうと、適切な提案に対して「耳を貸さない」姿勢になってしまいがちです。
ですから、何か提案される場合は、「変化」があったとしても、負担が増えないこと。場合によっては、負担が減ること。もしくは、その「変化」による手続きなども負担が少ないことを伝える必要があると思います。
介護の専門家の負担が増えてしまうので強く提案はできませんが、手続きなどは、可能であれば、こちらで行う、ということにして、やっと「変化」を受け入れてくれることもあるかもしれません。
緊張感が高い。もしくは攻撃的な気配が強い場合
「耳を貸さない」というよりは、明らかに緊張感が高かったり、介護の専門家に対して、仕事としてやってもらう最低限のやりとりは別として、他のことに関しては一切聞く耳を持たないような、どこか攻撃的な気配がある時の場合は、より難しいと思います。
こうした状態になった理由の一つとして考えられるのは、長い介護生活の中の負担です。ずっと介護負担や負担感がかかり続けていて、その生活の中で、心身が追い詰められ、どこか日常的でない反応になり、それが攻撃的な気配としてあらわれている場合です。
だから、どうしてこんなことでピリピリするのだろう、もしくは怒るのだろう、ということがあるかもしれませんが、それは、元々の性格の可能性もありますが、元は穏やかな人であっても、介護生活が長くなるのは、やはり通常のことではないので、その反応も、それ以前の、その人とは違った、日常的でない反応をすることがあります。そう考えて、話すようにすれば、少し変わってくるかもしれません。難しいことですが。
また、考えられる、もう一つの理由として、介護を続けてきた中で、いわゆる「専門家」の方々の言動によって傷ついた経験がある場合があります。そうしたときは、現在関わっている介護の専門家が、どれだけ優れたプロであっても、「専門家」である以上、その警戒心を解くのは難しいと思います。
最低限の必要なやりとりを続けていく中で、今まで述べてきたように、介護生活の大変さを想像し、その上で、ご家族の方が、何かを尋ねてきた時に、おしつけがましくなく、的確に答えられるように準備をしておけばいいのだと思いますが、どうでしょうか。
今回は、自分自身の経験や、これまで関わってきた家族介護者の方々のことを参考にし、なるべく一般化してお伝えしたつもりです。それでも偉そうになっていたら申し訳ないのですが、少しでもお役に立てれば幸いです。
同時に、いろいろと至らない点もあるかと思いますので、疑問点やご意見なども、お聞かせ願えれば幸いです。
よろしくお願いいたします。
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