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「家族介護者支援を、改めて考える」㉓「聞く」ことについて。

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 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


家族介護者の支援について、改めて考える

 この「家族介護者の支援について、改めて考える」では、家族介護者へ必要と思われる、主に、個別で心理的な支援について、いろいろと書いてきました。

 ただ、当然ですが、「家族介護者支援」ということを考えた時に、そこには、様々な幅の広い要素や、今まで少しは知っていたつもりだったことに関して、実は、とても考えが足りないことに気がつかされることもあります。

 もしくは、現状について、これまでのことをもう一度、できれば丁寧に振り返ることによって、「家族介護者支援」について、自分の何が足りないのか。を改めてわかるかもしれません。

 今回は、心理士(師)としては基本でもあり、それは支援に関わる人であれば、必ず大事なこととして言われている「聞くこと」について、改めて考えてみたいと思いました。

傾聴という言葉

 臨床心理士になるために臨床心理学を学び始めたとき、何度も聞いたのが、「聞くこと」もしくは「聴くこと」の大切さでした。

 それは、カール・ロジャーズの「来談者中心療法」の影響が強いこともありますし、実は、臨床心理学が学問として成り立ち始めた頃から、患者、もしくはクライエントの話を聴くことは、とても大事なことだったのだと思います。

 そして、今の日本でも、「傾聴」という言葉は、心理療法やカウンセリングの場面だけではなく、支援の場所ならば必ず使われるようになりました。そして、「まずは傾聴」といった言葉もよく聞くようになりました。

 私自身は、臨床心理学の勉強を始めてからは10年以上が経ち、その間に臨床心理士の資格も、公認心理師の資格も取得する事ができ、さらには、介護者の心理的な支援を始め、臨床経験も、まだ少ないとはいえ積んできました。

 臨床心理士の資格更新も2度目を迎えたので10年は経ったことになります。その間、「話を聞くこと」が仕事の中心だったことは間違いありません。同時に、「傾聴」と言葉としては使えますが、実際に「傾聴」に値するほど、本当に聞けているのか?と考えると、まだ反省することも多いままです。

 そういうときは、大学院に通っているときに、修士論文の指導もしていただいた教授の言葉を思い出すようにしています。

 傾聴というのは、ただ我慢して聞いている、というのではなく、話をしている人のことを、その本人よりも理解しようと思って聞くことではないだろうか。

 そんなふうに心がけて、日々を送るようにしています。

 どちらにしても、支援の現場だけではなく、日常生活の中でも「聞くこと」の重要性は、それこそ、以前よりも多く耳にしたり、目にすることが多くなったように思います。

聞くことの難しさ

 同時に、ずっと思っていたのが、例えば人間が世の中を生きていこうとするならば、なるべく情報を集めたほうが生き残れる確率が高くなるはずで、そう思えば、自分が何かを話すよりも、聞くことのほうが自然に行われるような気もします。

 ただ実際の印象は逆で、自分が話したいけれど人の言うことを聞けない、といった人のほうが圧倒的に多いような気がします。同時に、聞き上手、といった言葉もあるのですが、聞くのが上手い、と思っている時点で、本当に聞けているのだろうか?といったやや考え過ぎな疑問も出てきてしまいます。

 だけど、人間にとって「話すより聞くほうが難しい」という前提は、ずっと不思議だと思ってきました。それについて、つい少し前、こうした記事で、納得できる答えの一つを見つけることができました。

 これは、ビジネスの現場で、女性の部下に対して、うまくコミュニケーションが取れない、という男性の相談に対して、精神科医の名越康文氏が答える中に「聞くこと」についての話もありました。 

この「話を聞く」ということが実は相当難しい。そしてコミュニケーションという意味は我々の中でいつの間にかすり替わり、「いかに効率的に相手にいうことを聞かせるか」という意味になってしまっている気もします。

これではいくらにこやかに落ち着いて話そうとしても、相手とはすでに対立的な関係になっているため、体も顔もこわばって大きなストレスを抱えることになってしまいます。

(「OCEANS」より)

 私の中でも、この「いかに効率的に相手にいうことを聞かせるか」に長けた人が「聞き上手」と言われることもあるので、「聞き上手」という言葉に対して、微妙に警戒心を持ってしまっていたことにも気がつきました。

 ただ、そこから、さらに踏み込んだ話になっていきます。

 では、なぜ我々は相手の話を聞こうとしないのでしょうか。

 心理学的に説明するならば、コミュニケーションに何かしら大きな抵抗を感じているから。もっと端的にいえば一種の「恐れ」を感じているから、という可能性があります。

 では我々は何に恐れを抱くのでしょうか。一つの仮説なのですが、それは「相手によって自分が変えられてしまうかも知れない」という恐れです。

 先ほども申しましたが、本来コミュニケーションとは、相手のことを理解するという段階が含まれているはずです。

 しかし、相手の言い分を理解すると、時として自分の考え方、信念が変えられてしまうかも知れない。それを我々は潜在的に恐れるのです。

 別の言い方をすると、相手の話を正面から聞ける人は、「自分が相手によって変えられることを恐れない人」ということになります。

 しかし実際には、この部分に心の壁があることが多い。ですからコミュニケーションという前提自体に、なかなか人は立てないのです。

(「OCEANS」より)

変わること

 面接の時間の中で、もちろんさまざまな出来事で傷ついているのであれば、まずは少しでも安心できる空間と時間を提供することは前提としても、可能であれば、その前後でクライエントが変わっていくことを促しているのではないか、と思うことがあります。それは、変わる、という言葉というよりは、成長という表現のほうがふさわしいとも思います。

 そうであれば、優れたカウンセラーであれば、その時間の中で自分も変わっていくこと、成長すること。それができるのではないだろうか。

 つまり、名越氏の話の中で出てきた「自分が相手によって変えられることを恐れない人」が、人の話をよく聞ける人-----優れたカウンセラーではないか、と思いました。

 現代のカウンセラーや、心理士(師)であれば、その濃淡の差はあっても、必ず影響下にあるはずのカール・ロジャーズの唱えていた「セラピストの守るべき姿勢」は、このことも含んでいるのではないか、と思うようになりました。

 それは、支援の現場で「聞くこと」が必要な人にとっても、共通することなのではないか、とも思っています。

 だから、家族介護者支援の場においても、もちろん「聞くこと」が大事なのは、ずっと変わらないのではないかとも感じています。

 今回は、以上です。

 ご意見、疑問点などございましたら、コメント欄でも、問い合わせでも言葉をいただければ、有り難く思います。



(他にも、いろいろと介護について、書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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