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介護について、思ったこと⑰「質の高い介護」について。

    いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

介護について、思ったこと

 このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。

 もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、基本的には、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。

 ただ、その時々で、気になることがあり、もしかしたら差し出がましいことかもしれませんが、それについて考えたことを、お伝えしようと思いました。

 よろしかったら、読んでいただければ、幸いです。


『あくてえ』 山下紘加

   先日、「介護booksセレクト」『あくてえ』という作品を紹介させてもらいました。
 その中で、こうした表現をしました。

 この主人公は言葉は激しいかもしれませんが、常に本気で祖母に向かい合っているので、それは、一見分かりにくいのですが、母親と二人で「質の高い介護」を実現させているのではないかと、思えるような場面でもありました。

 この文章の中で「質の高い介護」という言葉を使ったのですが、後で考えたら、少し分かりにくいことだと思いました。

 実は最初に、この小説の中で、もっともそうしたことを感じたのは、この部分↓でしたが、まずは、そこを引用しないと伝わりにくかったと感じました。すみません。

あたしやきいちゃんはもちろん、傍から見ても、よたよたと危なっかしく覚束ない歩き方をしているのに、ばばあだけは自分がしっかりと歩けていると思い込んでいる。誰の手も借りず、自分の足で、自分の行きたい場所に自由に行けると、彼女だけが本気で思い込んでいる。 

(「あくてえ」より)

 ただ、この部分が、「質の高い介護」という表現につながる理由も、やっぱり分かりにくいと思いましたので、改めて少し説明をしようと考えています。

「質の高い介護」

 この小説はフィクションですが、この要介護者の祖母だけが、自分でどこでも自由に行けると思い込んでいる、という描写を読んだときに、私自身の記憶と重なる部分がありました。

 個人的な経験なのですが、妻と二人で義母の介護を続けて、在宅で19年に及びました。本人が、家にいたい、と希望していたこともあり、それならば、可能な限り妻と二人で家でみようとしていましたが、少しずつ本人の状況も悪くなり、介護する側も相当に困難になった頃でしたが、それでも介護の終わりは、突然、義母が亡くなった印象でした。

 享年103歳でしたが、それでも、もっと生きるのでは、と漠然と思っていました。

 その義母が、要介護4になった頃です。歩けず、ほぼ立てず、食事の支度は妻がしてくれていて、排泄もほぼ全介助の状態なので、妻と私で、ほぼ24時間体制で介護していたにも関わらず、時々、妻に言っていたことがありました。

 別に娘の世話にならなくても、一人でやっていけるのに、どうして、そんなに面倒をみるのだろうか。

 そんなふうな言葉を聞くたびに、妻は怒っていましたし、私も不愉快な気持ちにはなりました。

 ただ、義母が亡くなり、介護も終わり、何年も経ち、ふとこの言葉を思い出すと、基本的には妻が主介護者であったことで可能になったと思うのですが、これは「質の高い介護」をしていたのかもしれない、と思うことがありました。

 それは、とても遠回りのようで、もしかしたらこじつけのように感じるかもしれませんが、漢文か何かで読んだ中国の故事のことと、つながったせいです。

鼓腹撃壌

「鼓腹撃壌」 https://manapedia.jp/text/1995

 この故事は、とても有名で、私がわざわざ紹介するようなことでもないと思うのですが、この記事の中でも、こんなあらすじでした。 

 中国の偉大な皇帝・尭は、50年天下をおさめてきた。 
 自分自身も贅沢をすることなかったが、ふと、きちんとした政治ができているのかを確かめたくなった。周囲の者に聞いても、権力者に気を遣っているように思えるせいか、本当のことが分からない。

 だから、自分が誰か分からないような格好をして、町に出た。
 そこでは、子どもたちが、皇帝を称える歌を唄いなが遊んでいた。だけど、皇帝は、もしかしたら、親に教えられているだけかもしれないと疑念を持つ。

 さらに、その後に見かけたご老人の姿が、この「鼓腹撃壌」の言葉の元になっています。(原語の読み下し文と、口語訳が並んでいます)。

老人有り、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌ひて曰はく、

とある老人がおり、口に食べ物をほおばり腹つづみみをうち、足踏みをして調子を取りながら歌いながら言うことには、

「日出でて作し、日入りて息ふ。

「日が昇れば仕事をし、日が沈んだら休む。

井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。

井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事をする。

帝力何ぞ我に有らんや。」と。

帝の力なぞどうして私に関わりがあろうか、いやない。」と。

 老人の歌は一見すると帝をけなしているように聞こえるが、これを聞いた尭は、「自分の政治は、国民に自分を意識させることなく、国民が豊かな生活を営むことを実現できている。」ことを知ったとされている。

 これは「理想の政治」とも言えるのでしょうが、「質の高い政治」でもあるのだと思います。

「意識させない介護」

 だから、というとこじつけになるのかもしれませんが、「理想の介護」に近いものがあるとすれば、それは、介護を受けている方にとって「意識させない介護」ではないか、と思うことがあります。


 たとえば、先ほども述べた私の経験ですが、義母が、娘である妻の介護がなくても一人で生活できるのにと思ったり、フィクションですが、著者のプロフィールを確かめると、事実を元にしたと思われる「あくてえ」の祖母が、自分でどこでも歩いていける、と信じていたのであれば、それは「意識させない介護」のためではないかと思ったりもします。

 介護を受けている人が、介護をされている意識をそれほど持たないとすれば、引け目を感じたりすることもなく、気持ちものびやかに過ごせるのではないかと考えられます。


 個人的の印象では、義母を介護していた19年間で、娘である妻は、介護者としても、いつも正面から対応をしていて、それで返って感情にダイレクトにダメージを受けて、介護負担感が増大し、大変な思いをしていたようでしたが、そのためか、義母は、見捨てられない安心感があったように思います。

 そのベースがあってこそ、「意識させない介護」が可能になったと思うのですが、ただ、「一人でも大丈夫」みたいな発言があった時は、主介護者の妻はもちろんですが、副介護者である私でさえ、何を言っているんだろう。介護をしている私たちのことを、分かっていないし、軽く見ているんではないか、みたいな気持ちになったことも事実です。

 それでも、自己弁護のような発想かもしれませんが、妻が主体になり、しっかりとした信頼感があった上で、ケンカもあったのですけれど、それほど「意識させない介護」になっていたとしたら、それは、「質の高い介護」に近かったのではないか。

 介護が終わって、何年かたって思うようになり、そのことと、「あくてえ」を読んだ時の描写で、より明確に意識するようになりました。


 ですので、もしも、介護をされている方がいらっしゃって、介護をしている相手の方から、「私は一人でも大丈夫なのに」みたいなことを言われたり、ほのめかされたりして、ショックだったり、不快だったり、怒りを覚えたりすることもあるかもしれませんが、違う視点から見ると、介護を受けている方が負担になりにくい「意識させない介護」=「質の高い介護」を実現させている可能性がある、と考えてもいいような気がするのですが、いかがでしょうか。


 今回は以上です。




(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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