見出し画像

『「介護時間」の光景』(127)「虫の声」。9.26.

  いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景


  この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

(※この「介護時間」の光景では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。


  今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、18年前の、2004年9月26日の話です。(後半に、2022年9月26日のことを書いています)。

「通い介護」

 1999年から、母親に介護が必要になり、介護中にいろいろとあって、2000年には、自分自身も心房細動の発作になりました。医師に、「過労死一歩手前です。もう少し無理すると死にますよ」と言われたこともあって、母に病院に入ってもらうことにしました。自分が病気にならなかったら、ずっと家でみようとしたのかもしれません。

 その頃、妻の母親(義母)にも、介護が必要になってきましたが、私は、母親のいる病院に毎日のように通っていました。帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護をしていました。

 そして、仕事をすることを諦めました。転院してからも、母親の状態は波があり、何の前触れもなく、ひどくなり、しばらくすると理由もわからずに、普通に話ができるようになったりしました。

 医学的には、自分が病院に通っても、プラスかどうかわかりません。だけど、そのことをやめて、もしも二度とコミュニケーションがとれなくなったら、と思うと、怖さもあって、ただ通い続けていました。これは、お見舞いといったことではなく、介護の一種であり、「通い介護」と名づけてもいい行為だと思うようになったのは、それから何年かたってからでした。

2004年の頃

 2004年の頃は、母の状態も安定していて、病院に通う頻度を少し減らしても、大丈夫なように思えていました。

 少し先のことが考えられそうな気がしていたので、気持ちまでやや明るくなっていたような時でした。

 その頃の記録です。

2004年9月26日

「午後4時15分頃、病院に着く。

 母と、昨日、弟が病院に来た話をした。

 弟がお土産に置いていったゼリーを一緒に食べる。

 夕食はうなぎだった。 
 母はうれしそうで、いつもなら50分はかかるのに、今日は30分足らずで、食べた。

 よかった。

 午後7時に病院を出る。

 送迎バスに乗るために、近くの同じグループの病院に行ったら、昔、今、母が入院していてお世話になった人に会った

 時間が経ったのだと思う」。

虫の声

 いつもの帰りの送迎バスの中、人はけっこういるけど、スタートする時は車内はやけに静かになって、少し離れたところの草むらにいるはずの、秋の虫の声が、すごく大きく聞こえ、周りを全部、囲まれているような気までした。

 雨が少し降っている。

                  (2004年9月26日)


 その後、2004年の10月に母の肝臓にガンが見つかり、手術もして、一時期は回復したものの、その翌年に再発し、母は2007年に病院で亡くなった。

 それからも、義母の在宅介護は妻と一緒に続けながら、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士になった。介護者への個別で心理的な支援である「介護者相談」も仕事として始めることができたが、2018年の年末に義母が103歳で亡くなり、突然介護が終わった。

 昼夜逆転の生活リズムを修正するのに、思ったよりも時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2022年9月26日

 天気がいい。
 今日は、洗濯ができそうで、それだけでうれしい。

近所

 長くご近所だった人が引っ越すことになり、その住んでいた家屋も取り壊すことになったようだ。

 様々な変化もあるけれど、特に妻は古くからの知り合いだから、いろいろな気持ちもあるのだと思う。

 私も、お世話になったのだけど、妻の地元に住むようになって、義母の介護をしている年月の中で、自分よりも年上の知り合いが、増えた。

 そのことで、自分が知らない豊かさのようなものも教えてもらった気がしている。

 ご近所の人が引っ越すという変化のせいか、うちには珍しく、今日も、いつもよりも、人の出入りが多くなっている。

介護者相談

 毎月一度、「介護者相談」のボランティアをしている。

 ここのところ、場所を借りているカフェの方の都合がつかず、その相談を中止にすることが続いてしまった。

 今月も、やむをえず中止にすることになったのだけど、継続で介護者相談をしている人と、連絡がとれ、今月は相談が必要ということになった。

 珍しく自転車で移動をした。
 また気温が高くなり、暑さが戻ってきたようだったのだけど、下り坂で風をきっているときは、気持ちがよかった。

 初めて、相談を利用しようとしている方がいらっしゃったら、とても申し訳ないのだけど、とりあえず、今日は、いつもとは違う場所で、継続されている方の「介護者相談」を行うことができた。

 来月は、予定通りおこなえれば、と思っている。

 帰り道は、すでに夕暮れになっていた。

図書館

「介護者相談」が終わってから、家に戻り、それから図書館へ向かう。

 借りている本の返却期限が今日までで、次の予約が入っている本やCDもあるので、気持ちがちょっと焦っている。

 午後5時半過ぎて、すでに暗くなりつつある。

 日暮れの時間が、だんだん早くなっている。


 坂道を登ると、図書館がある。

 本を返却し、予約して届いた本をまた借りて、坂道を下る。

 もうすっかり暗くなっている。


 やっぱり風は気持ちがいい。

 帰りにはスーパーに寄って、メモに書いてもらったものを買い、氷を入れて、家に戻る。


 人から見たら、たいしたことをしていないのに、今日は、これだけでいろいろなことをした気になっている。

 ちょっと情けないような気持ちになる。





(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




#介護    #家族介護者への心理的支援    #介護相談
#心理学   #自己紹介    #家族介護者 #介護負担感
#臨床心理士    #公認心理師   #臨床心理学  
#介護者支援   #通い介護 #コロナ感染対策
#介護負担   #コロナ禍   #専門家
#この仕事を選んだわけ   #介護時間の光景
#家族介護者への個別な心理的支援  
#支援者   #私の仕事   #不安



この記事が参加している募集

#自己紹介

227,361件

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。