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『「介護時間」の光景』(202)。「乗り換え」。4.17。

   いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2002年4月17日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年4月17日」のことです。終盤に、今日「2024年4月17日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。


2002年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
 2002年になってからも、同じような状況が、まだ続いていたのですが、春頃には、病院にさまざまな減額措置があるといったことも教えてもらい、ほんの少しだけ気持ちが軽くなっていたと思います。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2002年4月17日

『珍しく病院に来るまでの日数が空いてしまった。

 4月13日以来だから、中3日になる。多くて2日しか空けないから、それだけで来るまでは不安だった。

 午後4時30分頃に、病院に着く。
 母は寝ていた。

 病室の小さい机が、何か濡れている。それに気がついていないようだけど、ふき取った。

 でも、「大丈夫」と言っている。

 お菓子も一緒に食べて、病室にあるラジカセで、母が好きな映画音楽をかける。

 この前、お見舞いに久しぶりに来てくれた弟のことをしゃべっている。

ゴルフに熱中しているんだって」。そんなことも覚えていて、それを嬉しそうに何度か話をしていた。

 午後5時30分から30分ちょっとで食事を終える。

 そのあと、すぐにトイレへ。

 今日は、ずっと映画音楽を聴いていて、それはずっと聴いていたはずなのだけど、なんの映画なのか、さらにはどんな俳優が出ていたのか。そういうことが、だんだんずれていく。

 病室の壁には、母が描いたらしい絵が2〜3枚増えている。机の上のノートに書いているメモもかなり文章が増えていて、お花のお寺などと記してある。

 ただ、それ以前のメモを書いてあったノートが丸ごとなくなっている。どうやら母が捨ててしまったらしい。

 一度、しゃべったことを、すぐにまた微妙に内容が違って、繰り返し話している。記憶の変な低下がある。

 いまさっき、一緒に飲み物を飲んだのに、まるでそのことがなかったように、何か飲んだら?とすすめてくる。

 気持ちはありがたいけれど、でも、結局、痴呆が進んでいるのかな、と思う。

 何か、ちょっと怖い感じもするのだけど、それでも、ふと「何もなければ、無理しなくて来なくていいから」とこちらを気遣ってもくれる。

 午後7時に病院を出る。
 変な天気だった。風も強い』。

乗り換え

 路線を乗り換える階段。電車を降りて、走って、登って、走って、駆け下りて、それでぎりぎり間に合うようなタイミング。

 今日も走って、走って、登って、走って、階段の角まで来たら、向こうから、すぐ近くまで来ているような必死な足音。曲がった瞬間にぶつかるかも、と思って走るスピードをゆるめる。

 角を曲がって、階段を降りるところまで来た。

 すぐそばに来ているはずの音なのに、階段のかなり下の方を女性が走って登ってきていた。その人だけだった。あんなに近くに感じたのに。

                        (2002年4月17日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。

2024年4月17日

 大気が不安定らしい。

 起きて、洗濯のことを妻に相談したら、そんなことを言われた。

 だから、にわか雨が降るそうだけど、天候が不安定について、私は、よく分からないと言ったら、妻に、よく分かる、気持ちも変わるじゃん、みたいなことを言われて、納得はできないけれど、理解というものの幅の広さを思った。

 分かると思ってから考えた方が、理解に届く確率が高くなるように感じたからだ。

 外へ出た。まだ天気は悪くなる感じはしなかった。
 柿の木の葉っぱはどんどん育っているようだ。
 少し遠くの桜は随分と散って、緑の葉っぱにかわっているようだった。

にわか雨

 とにかく洗濯を始め、作業をしていたら、「雨が降り始めた」と妻に言われ、干していた洗濯物を室内に入れ、まだ動いている洗濯機に、ふわっとビニールのカバーをかけた。いつものようにヒモで固定してしまうと、まだモーターが動いているので熱を持ってしまい、何か変なことになるのでは、という恐れがあったせいだ。

 洗濯が終わる頃には、雨があがった。

 洗濯機に、柔らかくカバーをかけていたけれど、どうやら異常もなく洗濯を終えていたようだ。昼食前に洗濯物を干した。また降るかもしれないから、ちょっとだけ外の音に対しての緊張感が高いまま、一日を過ごすかも、と思った。

お菓子

 おやつに、ヤマザキの「生パイコロネ」と「フレンチクルーラー」を、妻と一緒に食べた。

 最近、このヤマザキと森永乳業がコラボした商品を妻が気に入ってくれていて、値段も安いので、店頭で見つけると買ってきてしまう。

 今日も、美味しい、と喜んでくれて、よかったと思う。

「障害」から考える

 最近、「合理的配慮」について、テレビ番組などでも目にするようになり、そのことと直接関係ないかもしれないけれど、昔読んだ本の内容を思い出した。

 例えば、駅のエレベーターのこと。

 駅にエレベーターがついたのは〝自然の流れ〟でそうなったわけでも、鉄道会社や行政の〝思いやり〟でできたわけでもありません。
 30年以上にわたる障害者の絶えざる要求と運動によって、ようやく実現しました。

(「なぜ人と人とは支え合うのか」より)

 こうしたことでさえ、駅にあるのが当たり前にあると、忘れそうになる。

 福祉制度を考える際には、往々にしていえることですが、どんなに切実なニーズがあったとしても、それを誰かが社会に訴えていかなくては、ニーズそのものが「ない」ものと見なされてしまいます。 

(「なぜ人と人とは支え合うのか」より)

 先日、こうした記事↓を書いた。

 私が訴えたとしても、とても小さい力しかないものの、それでも繰り返し伝えていかいないと、いつまでも介護者のための心理的支援のニーズ「ない」ものと見なされてしまうのだろうと、改めて思った。





(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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