『「介護時間」の光景』(115)「雑誌」。6.28.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年6月28日」のことです。終盤に、今日、「2022年6月28日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)
2002年の頃
1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。
私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2002年の頃でした。
この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。
そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、少しずつ病院を信頼するように変わっていたのかもしれません。
そのころの記録です。
2002年6月28日
「ヘルパー2級の講座に通っている。
午前中、その講義。
その後に、実家のある場所の区役所に行って、それから、午後4時頃に病院に行った。
母の誕生日にあげた服を気に入ってくれて、それは、他の人もほめてくれたようで、それで、母は喜んでくれていた。
よかった。
ただ、急に自分自身の体調が悪くなって、頭が痛くなって、寒気がしてきて、どうしようと思う。
心房細動の発作で、過労死一歩手前と言われてから、2年くらい経ったけれど、手首で脈をとったら、弱まっている気がして、発作が起こったら、命に関わると言われていたので、もちろん、母には分からないように、久しぶりに「頓服」として処方されている青と白のカプセルの「サンリズム」という薬を飲む。
30分経っても、まだ、ちょっと変で、頭がボーッとしていて、もう死んじゃうのかな、と思う。
夕食45分。
母は大丈夫なのに、自分が調子が悪くて、それでも午後7時まではいる。
病院を出る。自分が大丈夫かな、と思う。
家に帰って、義母の介護もして、夜中に横になって、眠れない。
なんだか、体中の細胞が緊張しているような気がしていて、一つ一つ、スイッチを切るように力を抜いていくような作業をする。
肩こりがひどくて、凝っていることに気がついていなかったことに、気がついた。
朝方まで、眠れなかった。
すごく疲れていたんだ、と思う」。
雑誌
電車のあみだなに「SPA」があった。ラッキーと思って拾って読み始めた。
おちまさと。9・11テロに関する話。
なんだか変だった。表紙を見直したら、2001 12/9号だった。
まるで今週号のように、あったのに。
(2002年6月28日)
この生活は同じように続いたが、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発し、そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2022年6月28日
梅雨が明けた。
すごく暑い。
水不足になるのではないか、と思い、今年は夏が長くなると、洗濯が増える時期も続くのかと思う。
洗濯機を回して、洗濯物を干す。
乾きが早そうなのは、ありがたい。
萎縮
猛暑日になると、できたら外出したくなくなる。
さらに、このところ、感染者数が増大してきているけれど、それについての関心自体が薄れてきているものの、持病を持った人間と同居していると、できたら、外出を避けたい気持ちが強くなっているまま。それが、なんとなく少数の感覚になってしまっているのも感じる。
この前までは雨によって、気持ちがこもってしまっていたが、梅雨明けをして、途端に気温35度を越えるようになると、今度は気温の高さで、気持ちが萎縮していく。
日常
介護者相談は地道に続けさせてもらっているし、相談のボランティアも継続している。感染をしないように、外出をなるべく減らしながらも、本当に最低限の仕事をして、なんとか暮らしている。
ただ、このままだと経済的な困窮はすぐそばにある。
それなのに、暑いと、なんとなくぼんやりとして、少し先のことなども考えられなくなり、微妙な自暴自棄と無気力な状態に近づく気がする。
それでも、いつもギリギリで、やっと暮らしているのは変わらないのに、仕事も全くしないで介護をしていた頃に比べると、なんだか大丈夫な気持ちにもなってしまうが、危ういバランスの上で暮らしているのには、変わりがないのに気がつく。
だけど、いつものように洗濯をして、食事をして、やるべきことはやって、それでも、なんとなく平穏な日常は、ありがたいことに続いている。
(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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