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『「40歳を過ぎてから、大学院に通う」ということ』⑩「入学式と、長い1週間」

   いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「ガイダンス」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

 よろしくお願いいたします。

 今回は、勉強を始めて、2度目の受験で臨床心理学専攻の大学院に合格することができました。手続きも終え、通い始めた頃の話です。

 やたらと、いろいろと考えたり、悩んだりしていますが、もしかしたら、似たような方もいるかもしれないと考えて、なるべくそのままお伝えしようと思いました。

ガイダンス

 久しぶりという表現よりも、もっと長い年月が経って、25年ぶりに大学という場所に来ました。2010年のことです。

 4月3日。今日は、これからの学生生活のためのガイダンスの日です。

 入試の時には、こじんまりしていて、やや落ち着いたイメージのキャンパスだったのですが、今日は大学院だけではなく、大学の新入生もいるみたいで、若い女性が普通にたくさんいて、ずっと介護だけをしてきて、社会と断絶しているような生活を10年続けてきた自分にとっては、ちょっとまぶしいような場所になっていました。

 誰も知り合いがいないから、ひたすら黙っているだけで、目指す教室へ入っても、何をするわけでもなく、資料をもらって読んで、それでも時間があったから持って行った本を読んでいました。

 キャンパスから、この大学院の教室へ来ました。社会人が多いせいか、自分の年齢の事はたなにあげて、急速に色味が減った気がしました。周囲を見渡しても、おそらく自分が最高齢なのではないか、とも思いますが、でも、中には、40代後半の、自分と同世代では、と思える方達もいました。ここには、臨床心理学だけではなく、他の専攻の人たちもいますから、それなりの人数です。

 自分の前の席に若い女性が3人も座りました。これまで、高齢者が入院する病院と、高齢者が住む家を往復する10年間が続いていたせいか、それだけでちょっと気持ちが明るくなったのですが、表面上は、淡々としていました。教室の前に、年配の人が現れました。大学院長であり、学長でもあり、この大学で一番偉い人でした。話しだしたら、人前で話慣れている、というのが分かり、ちょっとずつ印象が変わっていきます。

 だんだん、ものすごくなつかしい空気が周りにあふれているのに気づきました。

 学校という場所は、学生という立場は、やっぱり守られていて、それが甘さみたいなものにつながる部分はもちろんあって、介護だけをしている生活の、どこか張りつめていたような空気しか知らない自分にとってはやっぱりありがたいと思えました。

 話の最後で、学長が、試験に対して、みんな文章がうまくない、、だからレポートは手書きにするかもしれない、みたいな事を話され、字が下手、と言われるのは仕方がない気もしますが、文章が下手、と言われると、自分のことを個別で言われたわけでもないのですが、これからの可能性そのものも消されていく気がして、なんだかショックでした。

 最初のガイダンスは、予定の時間よりもだいぶ早く終わって、次の専攻別のガイダンスまでは15分くらいあったので、少しキャンパスを回りました。カフェテリアの定食は一番高いものでも420円で、ああ学食だと、なつかしくなり、入学式の時は早めに来て、妻と一緒に食べようかと、思っていました。

 あとは、一人で微妙に緊張しながら学内を歩き、若い人たちが多く、気持ちはちょっと浮き上がり、自分でバカみたいだと感じ、それから地図を一人で見ながら誰ともしゃべらずに、学生ラウンジというところも回って、やっぱり華やかだと思いました。

 午後2時になったので、学生証の認定みたいなものをもらおうと考えたら、もう列が出来ていたので、やめて、3階へ上がって、臨床心理学専攻のガイダンスを待ちました。始まると、思ったよりも、フレンドリーな空気です。

 教授の方々も、率直というか、がちがちのアカデミズム、という気配も薄く(かといって授業が始まると違うのだろうけど)暖かい感じが、すごく嬉しく感じました。

 だけど、とにかく、提出書類が多かったり、授業に関するあれこれブワーッと話されたことで、自分の理解の許容量を超えて、なんだかテンパっているまま、気がついたら、午後5時頃になっていました。

 途中で、28歳の保育士をしながら資格をとろうとしている同期の青年に話しかけてもらって、その日、この学校で初めてしゃべりました。とても、ありがたい気持ちになりました。

 帰りにクツを買おうとか、収納用品を買おうとか、いろいろ考えていたのですが、駅に着いたら、ちょうど乗り換えが少ない電車が来たこともあって、帰ることにしました。ガイダンスでは、実習など、思った以上にやることが多いのを改めて知り、だから、大丈夫かな、と不安になりました。

 時間の使い方、としては、母が生きていて、病院に通っていた頃と同じような感じになるので、なんとかなるかも、と妻に励まされて、思いました。ただ今日も胃が痛くて、重い病気だったら、どうしよう、という気もありますが、おそらくガスがたまっている、という状態だろうという気持ちや、ここで病気になってたまるか、これからなのに、とも思いました。

 新しい生活が、まだ準備がちゃんとしてなくても、とにかく始まりました。

 でも、やっぱりなんだか、こうして1日を振り返ると、嬉しい気持ちの方が大きいかもしれない、と気がつきました。

入学式

 4月5日。朝、起きて妻といっしょにかなりフォーマルな服装をして、電車に乗ります。

 ネクタイをしたのは、この前の面接以来で、そして、その時のネクタイではないものを身につけました。春なので、シルバーで、しかも500円と安かったので買い、それからベルトも新しいのをしました。バックルの部分が内側に曲がっていて、なんでだろう?と思っていのですが、しめてみると、その部分がふくらんでみえず、より体にフィットするためだとわかりました。自分は、知らないことが、とても多いのだと思いました。

 小雨が降っていたのですが、私がカギをかけて外へ出たとたんに雨の降り方が強くなってきます。この10数年、ずっと運がないような気がしてきましたが、今回の大学院の入学は、珍しく幸運なことでした。

 自宅の最寄りの駅から、一回だけ乗り換えると、時間はかかるのですが、そのまま、大学の最寄りの駅に着きました。学校に向かうと午前中の入学式で、新入生と父兄らしき二人組がけっこう歩いてきます。

 門のところで、写真を撮る人たちも、歩いている間だけでも3組くらいはいます。晴れやかな時間で、華やいだ場所だったりするのは間違いありません。

 こういう場所へ、また来るのは、自分にとっては確かに信じられないくらいの変化で、電車の中で、ここ10年から考えたら、信じられないような状況だから、あまりにも激しく時間が流れているような気がして、それがとまどいと不安になり、どちらかといえば喜びや嬉しさとして感じられないのかもしれない、としたら、ちょっとかわいそうな人間かもしれません。

 でも、だんだんポジティブな気持ちが積み重なってくるのかもしれませんし、だけど、その前に学問そのものの難しさみたいなものが立ちふさがったり、やっぱり年齢的なものが思った以上に障害になる日も来るのかもしれない予感もあります。

 それでも、今はじんわりと華やかな場面にいる自分を少し許すような気持ちなのだと思います。でも、これからも負担が増えてしまうかもしれない妻に一緒に来てもらって、それが御礼になるかどうか分からないのですが、これから、自分が学ぶ場所も、見てもらおうと思っていました。だから、今日は、家には、ありがたくも、義姉に来てもらい、義母がデイサービスから帰ってくる時は任せることにしていました。

 早めに着いたのは、学食(今はそういう言い方はしないで、ここもカフェテリアという名前がついていました)で、妻と一緒に食事をしようと思ったからですが、意外と空いています。

 大正丼、というハヤシライスのルーに温泉卵が乗っかったものを私が食べ、妻はタンメンを食べ、おいしいと喜んでくれました。そこで、自動販売機のコーヒーも飲み、ゆっくりしていたら、午後2時開始の45分前には開場していて、すでに講堂に入っていく人たちもいたのですが、妻と2人で、30分くらい前に入りました。

 途中で、会場のスタッフに、父兄の方ですか?と何度か聞かれ、その度に、ちょっともごもごした口調で、「いえ、新入生です」と答えることになったのは、学生と父兄では席が違っていたからで、妻には、父兄席に向かってもらいました。

 新入生は圧倒的に大学の学部の人たちで、何百人みたいな人数がいて、その中で大学院の新入生はかなりの少数で、みんなほとんどリクルートスーツみたいなものを着ていたので、上下が違うかっこうは、もしかしたら私だけかもしれません。

 入学式は、オーソドックスな式典のように進み、学長のあいさつや、それから何人かの話があって、新入生の代表の話もあり、40分くらいで終わりました。

 それから、妻にカフェテリアで待っていてもらい、この前のガイダンスで説明を受けた、いろいろと提出しなくてはいけない書類を提出しようと思っていたら、ガイダンスの時に声をかけてくれた同期の28歳の青年と会いました。

 閲覧室はけっこう人がいっぱいで、一応、まだ誰かわからないけれど、おそらくは、同期の人たちに、あいさつはして、そして、いろいろと書類を出してから、その中でコンピューターから講義の授業を組んだりするサイトが誰もがなかなかつながらない、というのを知り、(帰ってからやってみたら、ホントにつながらなかった)、自分だけではないので、少し安心もしました。

 それから、その青年は、授業をどう選択するか、で困っているという事なので、同じだけの情報量しかない私と話して、どれだけの力になれるか分からないけど、何しろ不安なのは分かるし、私も昨日、妻を相手にぐだぐだと同じような事を言っていたのですが、その青年は、働いているのは、この大学院の講義と同じ時間帯の夜なので、よけいに困っているようでした。

 だから、妻と一緒でもいいですか、と了承してもらい、カフェテリアで、妻も同席してもらって、という事でいっしょに話をして、それで、1時間くらいが過ぎていました。

 帰ったら大学院からメールが来ていて、どうやら、閲覧室での会話の時に、十分に意図を伝えていられないことを知り、再び、謝罪の言葉も入れて、返信を送りました。

 さっそく、いろいろと微妙なすれ違いを、自分の曖昧さで作ってしまったのですが、それよりも、相手が声をかけてきてくれたせいで、自分より20も若い知り合いが出来たことにありがたい気持ちになり、そして、まだはっきりと分かりませんが、臨床心理学専攻の同期では、どうやら自分が一番年上らしいことに、ちょっとがっかりし、今日の様々なやりとりを振り返ると、どこかで若く見られたい自分がいる事も分かり、なんだか恥ずかしくなりました。

 10年ぶりに、社会に復帰することで生じる、自分でも、よく分からないような、そういう妙な思いとは関係なく、同期の人たちとは、ちゃんと一緒に学んで、必要ならばプロになった時にきちんとチームのように連携できるようになったら、いいな、と思いました。

 意外な事に28歳の彼から見たら、学部から院に進んだ人たちは、すごく若く、ギャップを感じているらしいことを知りました。彼と、学部から、大学院にそのまま進学した人では、年齢差でいうと最大で5歳くらいで、40代後半の私からみたら、どちらも若い、という中にいるとしか思えないのですが、その粗い把握は、やっぱり自分が歳をとったということかもしれません。

 そんなことを振り返っていたら、わりと突然、毎日を、うそなく生きていこう、と思いました。それは、若く、純粋な思いに触れたせいかもしれませんが、ちゃんと力を、いろいろな意味でつけていきたいとも思ったのです。それは、協力してくれる妻のためにも、それから、今日初めて、大学院というところに合格しました、と伝え、説明しても、はっきりとは分からないようでしたが、それでも、思った以上に喜んでくれた90歳を超える義母のためにも。

新歓

 履修申請の事で、うまくいくかどうか?とか、授業をたくさんとったら、体力的に無理なのではないか、とか、いろいろな事を考えたせいか、少し体調が悪くなってしまいました。

 もちろん、義母の介護を妻と一緒に続けて、私が夜中の担当なのは変わらないのですが、今日4月7日も新歓という事で夜に学校へ向かう予定でしたが、ちょっと憂うつでした。

 昼間に履修申請をだいたい完成させ、メーリングリストというのがメールで来て、一応、その登録もすませ、なんだかどんどん自分の意志とは関係なく、ものごとが進んでいくような気もして、そして、そのメーリングリストを作ってくれた人に御礼のメールを送ろうかどうしようか迷ってやめて、それで何だか疲れたのは、ずっと人の中にいなかったせいだと思いました。

 それで、なんだかバタバタしつつ、久しぶりに整形外科で牽引をしてもらい、それから、学校へ出かけました。通学時間は、1時間30分くらい。開始時刻まで、けっこうぎりぎりになってしまいました。 

 新歓の会場に着いたら、校舎の中の教室で、机の位置を変えて、そして、その上にカラアゲとかチャーハンとか、いろいろな食べ物が並んで、紙皿がセットされていたり、紙コップがあったりと、なつかしい学校の空気でした。

 その空間には、人がたくさんいて、どこに行ったらいいのか分からず、そして、明らかに同世代か、少し上の人がいたので、そのテーブルにいたら、そこは教授や大学院2年生ばかりだと少したって気がついた頃に、トイレに避難をしたりしていましたが、実際に新歓が始まるまで、間が持ちませんでした。

 でも、面接の時には、一番怖く見えた教授が積極的に話しかけてくれて、とてもありがたい気持ちになりました。アルコールが飲めないので、ノンアルコールビールを飲んだら、それでも、なんだか酔っぱらうような気がしてやめて、ウーロン茶にしました。

 そうこうするうちに新歓が始まり、教授たちの話が続き、さすがに話慣れている空気で続いていき、この前見た時よりも先生方が若く見えたのは、こちらも慣れてきたせいで、そして、その積極的な教授が気をつかってくれたせいか、私の事を覚えていて、年輩の人だから、と言われ、それは事実なのに、ちょっとショックだったのは今まで介護の世界では若手、という扱いだったせいなのですが、でも、やっぱり、とてもありがたかったです。

 そして、さらに、時間がすぎ、自分が履修しようと思っている先生方の話には、やっぱり、特に集中し、さらには、研究ゼミ、という修士論文を書き上げるためのゼミの指導教授は、第1希望が通れば、という願うような気持ちで聞いていたのですが、でも、わざわざ、その人のところへ行って、話を聞いたり、売り込んだり、というのもなんだか違うような気もして、そうこうするうちに、院生によル、ゼミの紹介のようなものになり、ものすごくなつかしいノリでした。

 そうこうするうちに大学院1年生の自己紹介みたいな時間になり、できたら、早めに帰ろうと思っていたせいか、黒板に、その予定が書いてあるのに気がつかなかったのですが、知らないうちにほぼ最後になってしまっていました。

 この前、知り合いになった28歳の青年は、すっかりその場になじみ、同世代に仲間も出来たようで、その空間に落ち着いていました。迷っていた履修申請の事も、この2年間は勉学を優先します、と自己紹介で力強く語り、私の方がそんなに覚悟がなかったかもしれない、と思いました。そして、大学院の1年生は、「えむいち」と表現することが多い、という習慣も知りました。

 とにかく、私は、「えむいち」の中で、最後から2番目でしゃべる事になりました。話しかけてくれていた教授が言っていた通り、「年輩の一人です」みたいな事を言っても、まったく反応がなく、恥ずかしさが増し、それから経歴をざーっとしゃべり、目は宙に浮いたままでした。もしかしたらマイクに音ものっていなかったかもしれないので、もともと、多くの人には聞こえていなかったかもしれません。

 私の次、最後に、自己紹介をした青年は落ち着いていました。ステージ慣れのようなものまで感じました。あとは、やっぱり当然ですが、働いていて学んでいると言っても、教育だったり、医療だったりの現場の人たちで、この入学で、11年ぶりに無職を脱した、私のような新入生はいませんでした。だから、微妙に後ろめたい気持ちも変わりませんでした。

 その自己紹介が終わってから、最初に話しかけてくれた教授が、「おもしろいね、やっぱりその人が出るね。かくそうとすると、逆に出るね」と言われて、ほんとにそうだと思い、こういう指摘ができる凄さを感じつつも、やっぱり、自分のことを思い出すと、ちょっと恥ずかしくなり、でも、しょうがないと思い直し、ただ、1年生にあいさつをさせるのは、教授側が選ぶ資料にする、というのはおそらく間違いなくて、だから、これで選択されなかったら、仕方がないような気がしました。

 ただ、ここの新歓は、人の心のプロや、その予備軍しかいないから、前に立ってしゃべるなんて、ある意味では、心にレントゲンをあてられているようなもので、けっこうこわい場所だ、とあとで思ったのですが、もう遅かったのです。

 でも、講義の内容も少し分かったし、だから、最初は迷っていた金曜日に講義を入れることにしたし、今年しかない講義をとることにしたし、そういう意味ではあまり迷いはなくなりました。

 自己紹介をするなら、もっとうけたりしたい、みたいな卑しい気持ちが全くないわけではないですが、いろいろな意味で、本当に若い場所で、だから、2次会は遠慮して、というよりも、もう緊張が持たない気がして、地下鉄に乗って、1時間以上かけて、家に帰ってきて、妻と今日の話をして、気持ちを少し落ち着けました。

講義

 やっと、という感じがするくらい、この1週間が、とても長く感じました。

 自分にとっては初めての事ばかりで、ガイダンスとか入学式とか履修申請とか健康診断とかで、考えたらまだ学び始める、にあたっての準備に過ぎないのに、こんなに不安だったりしたのは、やっぱり10年ぶりの社会復帰になるし、それに、その間に世の中のスピードが大きく変化して、それについていけるかどうかの心配みたいなものが大きかったせいだと思います。

 それに、今日(4月12日)もメールが大学院のスタッフの方から来たのですが、それは講義の事で、学校ってこんなに親切だったっけ?という印象が、日に日に強まっていきます。

 考えたら、まったく違う環境に入ったのは11年ぶりの事ですが、介護生活に入る時は、不安も感じる余裕がなかったので、もしかしたら就職とかフリーライターになった時以来だから、新しい場所に通うのは20年ぶり、というとんでもない時間が流れているのに、ちょっとびっくりしました。

 講義は、午後6時過ぎから始まります。それでも、夜間というのではなく、それがスタンダードな時間帯なので、そのために、この大学院を選びました。昼間は、それぞれ実習の時間にあてられます。

 最初の日は、デイサービスから帰ってくる義母を待っている時、こういう日に限って、いつもよりも遅く、なんだかイライラしてしまって、でも、義母を迎えてから、バタバタと準備をして、地下鉄に乗って、なんとか間に合い、閲覧室の掲示も見て、研究ゼミの指導教授が、自分の希望通りなのを確認し、ちょっとというか、けっこううれしく、ホッとしました。

 そして、教室へ行ったら、明るくきれいでなんだか安心し、少しの沈黙の時間のあと、若い学生、といっても、同期が入ってきたら、急に明るくなり、少しうれしくなりました。

 講義の内容はフォーカシングで、まずは面接の話で、それぞれがまじめで、その真剣な姿勢が、なんだか嬉しくなりました。最初に、この前の新歓の時にあった出来事についての、シリアスな話から始まり、その後、正解がないのですが、誠実さを求められる応答から始まりました。

 大学院の講義は、同期が10数人しかいないので、上級生が混じったとしても、どれも少人数のようでした。

 そして、まずは参加者が、それぞれ自分のことを話をするスタイルにうつりました。自分の番になり、教授が話を聞くのがうまいのをいい事になんだかダラダラとしゃべり過ぎたような気もしたので、またやっちゃった、みたいな事も思っていたのですが、その後のロールプレイングで、悪いカウンセラーの役を台本を棒読みみたいな感じでやったものの、うまいですね、とほめられ、なんだか複雑な気持ちにもなりました。

 最初は小芝居なんて、という気持ちにもなったのですが、実際にやってみると、こういうひどいカウンセラーでも悪意じゃないんだ、という気持ちになれ、その後はいろいろな話になり、たたずまいがとても落ち着いていると思ったら、もう臨床心理士として、プロのカウンセラーをやっている人で、そういう気配はホントに出るんだな、と思いました。

 5人のグループでも、思わぬ話も出てきて、なんだか話が深まり、面白く感じました。こういう、いつも考えているような事が学問にもなる、という事は、とてもありがたい気がして、行く前のゆううつや不安は、どこかになくなって、疲れはあったけど、何かの試合のあとの疲労みたいで気持ちがよく感じました。自分が、調子に乗りそうな気もあったのですが、それよりも、もっと自分のレベルを上げていかなければ、まだ全く足りないのは明らかでした。

 もちろん、介護は続いていて、講義は午後9時半過ぎに終わるので、家に帰ったら、夜中で、そこから介護が始まり、昼夜逆転の生活も継続しています。外は、雨が降っているけど、でも、今日から新しい生活だ、と思いました。

実践的な内容

 4月13日。講義の二日目。

 いかにも、最初の90分は、講義らしい講義でした。少し長くなったため、次の講義の教室へ急いだものの、少し遅れてしまいました。

 次の講義を担当してくれる教授は、30代の後半になってから、大学院に入り、それから今、大学の先生をやっている人だとプロフィールを見て知ったので、余計に、いろいろと話を聞いてみたいと思っていました。研究ゼミの第2希望にしてもらっていた人でした。

 その教授の話は、臨床心理士の現状についての厳しい話で、でも、それは聞いておいてよかったと思える内容でした。これから、学問の中だけではなく、そうした社会的な事も考えつつ、学ぶ必要もあると、分からせてくれたのですから。

 そして、今後の講義は、組織臨床という組織へ働きかけるアプローチ。を学ぶことがわかったのですが、それは、院生がケースを出して、それを検討するという実践的な方法だと知りました。

 受講生の一人が、今の現場での悩みのようなことを話をしたら、そのことを取り上げることになったので、私自身も、今の介護に関わる中で考えてほしいテーマがあったので、何だか緊張をして、バラバラになりつつも、そのテーマを5月11日に取り上げてもらう事にしました。

 こんなに今の課題が、すでに学ぶ対象になることは、新鮮で、でも、うれしい気持ちにもなれました。

 講義に遅れた上に、変なおわびまでして申し訳なかった気もしたのですが、でも、言わないよりは言った方がいい、とも思いました。

 2日目で、すでに、なんだか後頭部が痛い気もしたけれど、何しろ、こういう充実感が学校で得られるとは思いませんでしたし、臨床心理士の将来は大変なのも改めて見えてきた気もしましたが、でも、ある意味ではとても面白い時期に資格をとろうとしているんだ、とも思いました。

 ここまでの時間で、どうやら、介護のことは、こうした世界でも、思ったより関心を持たれていないようなので、機会があれば言い続けようとも思いました。それを、嫌がられないように言うにはどうしたらいいか、という工夫も、経験のうちだと思いました。

論文

 昨日の夜はなんだか寝付けず、それは、講義の変な興奮みたいなものがさめてなくて、頭の中で、こんな企画は?こういう構成は?といったものがずっと回っていて、それを評価されるか、ダメだしされるか、みたいな事もずっとついてきて、それで眠れないようでした。

 そんな状況は、心臓に負担がかかって、発作が起きるのではないか、と不安になり、後頭部が痛いような気もしてきて、恐くなって、夜中の介護のあとも、それでまた眠れなくなり、朝方まで薄い眠りがあるだけで、朝の8時頃トイレに行った時に、去年の暮れ以来、サンリズムを飲んだら、安心したせいか、もう少し眠れました。

 ただ、起きた時は睡眠不足で、つらく、それでも、今日、4月14日は、ボランティアの日なので、母が入院していた病院へ西へ向かって、2時間ほどかけて行き、患者さんに配る誕生日カードを作って、それから、自宅を通り過ぎるように、さらに東へ向かって、また学校へ行くことを考えたら、ゆううつにはなったけど、でも行かないと始まりません。

 今週は寒かったり、暖かかったり、講義が始まって新しい科目ばかりのせいか、1日が長く、1週間はとても長いと思いました。まだ水曜日で、土曜日までかなりの時間があり、しかもその週末が朝が早くて一番つらい。気分が重くなるばかりで、そして、心臓の不安も消えないし、胃の調子もなんだかよくないままで、さらに暗い気持ちは続いています。

 今週というか、最初の講義の時だけは、とりあえずはエリがついた洋服にしようと決めて、今日もワイシャツに薄いセーターにジャケットを着て、その上に着るコートは手で持って出かけました。
 今日は、病院のボランティアの時に、他の皆様に、学校へ入ったことを言おう、と思っていたが、そういう空気には、お子様方の入学といった話題が出たにも関わらず、一切ならず、そして、何も言えずにバスに乗り、いつもとは違うルートで2時間以上かけて、やっと、学校へ着きました。

 閲覧室へ行って、もう一度掲示板を見て、それから同期のクラスメートと会ってあいさつをし、学食へ行って軽食を食べました。外では男女の2人組がダンスをしています。それは、サークル活動だったのかもしれません。かなり、上手いように見えました。

 それから、4号館の3階へ行ったら、まだ誰も来ていませんでした。すでにプロとして働いている人が来ました。「こんばんは」。考えたら、知り合ってまだ1週間もたたないわりには、少し距離が近くなっているかもしれません。

 あれだけ、誰も知り合いが出来ないのではないか、と最初に思ったのと比べると、随分と状況は変わってきたのですが、今日の実習ゼミの先生は初めて会う教授でした。実習ゼミとは、臨床心理学専攻では、必須である、実習の現場で起きる様々なことに関して、考え、話し合い、指導もある講義でした。

 講義が始まったら、イスを輪にして、そして、最初だから自己紹介みたいな話になり、自分と同じように40代と思われる人が3人もいて、そして、自分の話もしました。私たち院生の1年生と、2年生もいます。

 いつも、自分は、プライベートを言い過ぎているのかもしれないが、でも、話は続き、私の隣には、もっと深刻な話をする人までいて、短い時間だけれど、かなり充実したものになり、そして、それぞれの話をして、その後に、プライベートで悩んでいる話をさせてもらいました。

 妄想がひどくなっているのだけれど、そういう人に対して、どのように接したらいいのでしょうか?というような話をしたら、妄想の事は否定しない。でも、細かく聞かない。そして、もっと日常的な話をした方がいい。措置入院という事もあるけれど、そのやり方はあとあとまで傷つけてしまうので、やっぱり本人が納得した方がいい、と教授は、具体的に教えてくれました。

 その講義は90分で終了し、次は研究ゼミでした。

 たった2人の学生に一人の教授という、他にはないパターンです。緊張して待っていたら、指導教授が現れて、2人の学生のすぐそばで、でもしゃべり方は、もっと大勢がいるかのような話し振り、というか、話慣れている気配で、この少人数で、妙に親密さやテレが出るわけでもないことに、感心して聞いていました。

 そして、今日は、自己紹介、という事になり、当然ですが、この教授が様々な体験をしてきたことも知りました。そして、私が読んで、感動した本を教授が書いたあと、文科省から依頼が来て、いろいろと振り回されて人生が変わって、という話もしてくれました。

 それから、もう一人の同期の大学院の1年生は、自分の体験に基づいてもいるテーマを取り上げたい、という話をしていたのですが、話し方だけではなく、その仕草が、とても人に気をつかっている感じがして、いろいろと苦労してきたんだ、というような気になりました。

 そして、私が自分の話をしたら、指導教授は、思った以上にちゃんと聞いてくれて、そして、熱意がまずは大事で、という話をして、でも、それから論文としてどう整えるか、というきちんとした話になり、さらには難しい文章よりも、読みやすい方がいいと思います、というような事にもなり、ホントによかった、と思いました。

 なんだか、妙に興奮して家に帰ってきて、だけど、やっぱりちゃんと本を読んで、勉強しなくては、というような焦りもあったものの、思ったより元気な状態で1日を終えることが出来ました。

 それは、教授陣と、他の学生さんのおかげだと思いました。そして、介護に関しては、まだ本という形では出せないけど、まずは論文という形でも、その書きたかった一部でも、世の中に出すために、本を1冊書くつもりで取り組もうと思えて、うれしく思いました。

ふわふわ

 4月15日は、学校へ行く前に、アートを見て、気分が少しよくなり、やっぱり、こういう時間を持たないと、学校だけの気持ちになってしまうと、いろいろとヤバいのではないか、とも思いつつ、一緒にアートを見た妻とは、途中の駅で分かれ、学校へ行き、今日こそ平日午後4時半までの教科書販売で教科書を買おうと思って、お金も下ろし、指定された場所へ行ったら、教科書の一覧があり、指定されたテキストは1冊もなさそうで、念のためにもう1カ所の指定された場所へ行ったら、やっぱり、その表にないものは売っていない、と言われました。

 その後、あきらめて、閲覧室へ行きました。

 閲覧室は、そこにある図書を閲覧するための部屋でしたが、そこに行くと、講義の前には、誰かしら院生がいる、というような、ちょっとした溜まり場のような場所だとわかってきました。

 この前、ゼミで一緒だった「先輩」である年下の青年や、「学年が上」の私よりはるかに若い女性がいて、少し話し、それから、自己紹介冊子の原稿を書こうとして、一応、コンピューターをのぞいてみたが、スイッチは入っていないし、小さい紙にプリントするのもどうやるか分からないので、またあきらめ、手書きで書こうと決めました。

 そこらあたりにある筆記用具を借りて、まずはB6の紙に鉛筆で枠組みを作り、それから、違う紙に下書きをして、他の人の原稿も見ました。

 そうしたら自分と同じ高校出身の人と、同じ大学卒の人と、住所がやたらと近い人の3人を見つけ、声をかけたいけど、一人をのぞいては、どの人かも分からず、だけど、そういう偶然ってあるんだ、と思いつつも1時間くらいかけて、やっと書いて、最後に消しゴムで鉛筆の線を消していたら、同じようにその紙を書いていた「同期」の若い男性に、人柄が出ているいい字ですね、みたいな事を言われ、もっとシンプルに言えば、かなり下手な字なのはわかっているので、気をつかってもらって恐縮し、でも、やっぱり嬉しく思いました。

 時間がたち、やっと自己紹介用の文章が書き上がったら、もう午後5時半を回っていて、英語の勉強でもしようと思っていたのですが、まず学食へ行って軽食を食べようと思い、歩いていたら声をかけられました。

 同期生3人でした。20代の若い男性2人と、若い女性1人。同期の若い世代は、ほぼ20代です。同期は10数人ですが、社会人と学部卒で、だいたい半分ずつ。ですから、20代と、中年世代の半々のバランスのようでした。

「ここに座りなよ」と、自然なタメ口で若い女性の同期に言われ、ちょっと仲間みたいに思ってくれているようで、嬉しく思いました。年齢から言えば、20年以上下ですが、そうやって敬語を使わないのは、同期だから、という信念があるようでした。敬語は、気持ちの距離が取れるのに比べ、タメ口を使うのは、心理的には近いので、ある程度以上の覚悟がいることだと考えているので、ありがたく思い、こちらも同じように話すことにしました。

 女性の隣に座って、コーヒーと水を買ってきて、カロリーメイトを出したら、「それじゃ足りないでしょ。ああ、そうか奥さんが夕食を作って、待っているんだ」みたいな事を言われ、笑うだけでした。

 そして、話をしていたら、4月12日の月曜日に、その若い女性がしゃべり、それは感情の伝わり方が強くて感心したので、そのことを伝えました。そうやって、率直に伝えるのは、いいのでは、といった偉そうな話をしてしまったら、興味を持ってくれたみたいで、講義の教室へ行っても始まる直前までずっと話しかけられて、会話が続きました。ありがたいことでした。

 講義が始まり、終わり、それから後も少し教授を囲んで話をしたりして、なんだか学生気分になれて、それから次の講義はとってないので帰ろうとしたら、講義の前に話をしていた、その若い同期の女性もとってないので、とりあえず建物の下まで行き、帰ろうとしたら、「自己紹介の出さなきゃいけないんだ、一人じゃ嫌だな」などと言うので、「10分くらいならつき合うけど」などと答えていたのは、単に、ふわふわと浮かれていたんだ、と思います。

 閲覧室に行き、気がついたら、その同期の女性と、けっこうしゃべっていて、あとで、あの場所は、私語厳禁だったのに、と後悔し、また自分があやまる姿が浮かんで嫌になるのですが、話をしていて、楽でした。ずっと高齢者の中で過ごしてきた10年間の後だから、若い人と話すだけでもうれしいのかもしれませんが、でも、率直な人間と話すのは気持ちよく思えました。

 電車も途中まで一緒で、でも、話をしていたら、けっこう深刻な話題になり、せっかくの若い時に、もし、いつ終わるか分からない薄い恐怖心のために、毎日を楽しめなかったとしたら、それはホントにかわいそうな事だと思ったけど、それについては、自分が力になれることではありませんでした。

 途中の駅で、同期の女性は降りていきました。バイバイ、みたいなあいさつをしたのは、何十年ぶりかでした。

 何しろ、自分もふわふわ浮かれているのは間違いないようでしたし、調子に乗るとロクな事はないので気をつけよう、と思いましたが、でも、少しずつ慣れてきて学校へ行っている事はとてもハッピーだとも感じていました。

 その上で、改めて、修士論文をちゃんと書こうと思いました。形は変わっても、自分がこの十年考えてきた事を、狭い範囲だとしても、誰かに伝えるチャンスには変わりはないので。指導教授が希望通りの研究ゼミに入れたことも含めて、とてもツイている状況が続いているのは、ありがたいと思いました。

午前中

 今日、4月17日で、講義が始まって1週間になります。

 午前4時頃までの夜間介護が続く自分にとっては、土曜日が、一番つらい午前中の授業で、勝手に山場だと思っていたのですが、夜は一応、短い時間だけど、けっこう眠れて、つらいけれど、朝の9時30分ごろには出かけられました。

 自分にとって、こんなに早い時刻に家を出るのは、久しぶりでした。学校へ着いて、コーヒーを飲みながらチョコを食べて、始まるのを待ちました。

 同期や2年生の先輩の、だいたいの人が顔見知りになって、わりと普通にあいさつができるようになり、1週間で少し居心地がよくなって、それはとてもありがたかったし、それで、楽しくなってきたのも事実でした。

 ロールシャッハ、という心理検査の講義で、最初にその経験を一人一人が短く話すと、当然ながら心理学部の出身者やプロの人たちは経験があり、わたしみたいな経験がない人間は少ないようでした。

 そんなことを一通り終えたあと、まっさらな人の方が伸びたり、という事がありますから、気にしないように、という教授の言葉が続き、さらには法学部の人が伸びたり、という事があって、という言葉で、お、自分だ、と秘かに思いましたが、やはり一つの論理がある人は違うみたいで、という話が続いたので、あ、違うや、と思い、自分が法学部出身だという事は言わないようにしよう、などと思いました。

 授業は90分ですが、その間にもうトイレに行きたくなっていて、ホントに近い、だから、それが老化なのかも、などと思ったりもしましたが、ロールシャッハの理論や成り立ちを聞いて、いくつもの流派があって、その理由などが整理されて伝わり、これまで読んできたもの(といっても少ないけれど)よりもなんだかよく分かった気がして、ありがたく、人が話すことの凄さのようなものを感じました。

 そして、昼。学食へ行って、食券で並んで、配膳で並びました。一人で行動していました。だから、まだ、それほど仲良くなってない、ということかもしれません。

 ハンバーグ定食のはずが、その場で「ないんです」と言われ、どうやらオーダーがだぶって、そこにある「大正丼」でいいです、と言ったら、差額の30円を返してくれました。なんだか感心しましたが、それは、この前食べた「大正丼」とは違っていたようにも思えました。ジュースやコーヒーを買ったけれど、定食が400円くらいだと飲み物の値段が相対的に高く思え、やっぱり水筒みたいなものを買おうかなと思いました。

 外へ出たら喫煙グループの男性が固まっていて、私は、タバコを吸いませんが、そこに入れてもらい、ありがたかく、そして、ひとしきりしゃべった後に、教室へ戻ります。休憩時間が40分くらいだとかなり短く感じます。

 そして、後半は実際のロールシャッハテストの実施で、教授が見本を見せてくれました。それはさりげないインタビューのようでした。心理検査という言葉で、もっと硬さを想像していたので、これなら出来るかも、という気持ちと、ただ、こうした検査も、ここまでの長い蓄積を生かすために形が決まっていて、そこを踏み外してはいけないのだろうな、と思うと、ちょっと気が重くなりました。何しろ、ここにいる院生の誰よりも年上なのだから、それは早くマスターしないといけない、という事でもあるのだから、とあせるような気持ちにもなりました。

 午後の90分の講義が終わるころには、またトイレに行きたくなっていました。そして、厚い教科書も持っていこうとしたら、若い同期に、先に閲覧室へ持って行きますよ、と言われて、任せてしまいました。そういう風に、重い荷物、といった感じに、いたわれるなんて、初めてかもしれません。介護をすることはあっても、こうした経験は新鮮でしたが、悪いな、と思いつつも何だかうれしく思いました。

 トイレに行ってから、閲覧室へ行き、その帰り際に、この前、電車の中で話をした、若い同期の女性に、悩み事のその後の進行状況を教えてもらい、その誠実さに、なんだかホッとしたせいか、階段で転びそうになりました。

 まだ胃がちょっと重いし、入学前は、年齢も高いので、たった一人で黙々と講義を受け続けるイメージがあったのと比べると、今のところ、同期とコミュニケーションを取れるくらい順調なので、かえって大丈夫だろうか、とも思いますが、駅まで一緒だった若い男性の同期は、学部から院に進んで、そして就職活動もしなかったので、社会勉強のつもりで、就活もすればよかったのに、などと友人から言われます、みたいな事を話し、それから、電車が別の方向なので別れました。

 そういう話が出来ること自体がうれしく思いました。帰りに本屋に寄り、ちょっと迷ったけど、今日の教科書が1万円近くするけど、買って、他の本も買って、2万円以上かかりました。

 でも、家に帰って、その書籍を本棚に並べると、いよいよ、みたいな気持ちになり、まだ気が早いのですが、今後の臨床心理士のプロとしての生活も少し想像しました。
 
 胃の調子は気になるし、それに整形外科いでの腰の牽引も今週は忘れてしまったし、でも、やっと学生生活に少し慣れてきた、というより、先週は何も分からずに、不安ばっかりだったのが、顔見知りが増えてきて、それとともに、なんだか楽しくなってきて、やっぱり、こういうチャンスを与えてくれた家族や、自分の介護の負担が増えるにも関わらず、学校に通うことに賛成しくてれた妻に対して、ありがたいと、改めて思いました。

 そして、私は最初に声をかけてくれた若い同期がいてくれたおかげで、その後に、他の若い同期とも話す機会が出来たので、最初に話しかけてくれた28歳の男性は、恩人なのだと思いました。

 本当は、自分から積極的にコミュニケーションをとった方がいいのはわかっていても、あの時、何もしゃべらない日が続いたら、おそらく、今も黙々とした一週間のはずでした。

 とても長い1週間でした。これだけ時間が長く感じたのは、子どもの頃に、さかのぼるくらい、記憶にないほどのことでした。






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