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「家族介護者支援について、改めて考える」⑰「介護者が識別されない状況」について。

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 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

家族介護者の支援について、改めて考える

 この「家族介護者の支援について、改めて考える」では、家族介護者へ必要と思われる、主に、個別で心理的な支援について、いろいろと書いてきました。

 ただ、当然ですが、「家族介護者支援」ということを考えた時に、そこには、様々な幅の広い要素や、今まで少しは知っていたつもりだったことに関して、実は、とても考えが足りないことに気がつかされることもあります。

 今回は、ある本を読んで、改めて、考えたことがありました。

介護のやり甲斐

認知症臨床の先駆者である小沢勲先生は、認知症治療のゴールをどう設定するべきかという問いを投げかけておられました。

 これは、家族介護者にとっては、介護の目標のようなことかもしれません。

 配偶者を初めとする周囲の人、介護者の顔がわかる時期を長くするというように問題をまた少し具体的にしてみてはどうでしょうか。
 わからなくなった者は切り捨てかという声が聞こえます。そういうことではなくて、そういう方も生活の質(QOL)を高めてゆけば何かが起こらないかどうかをみたいと思います。

介護者が識別されなくなるということは、介護のやり甲斐を下げます。(中略)せめて、それまでの時間を長くしようということを中間的な目的にするのはどうでしょうか。

では、どういうことを避ければ、個体識別と個性認知が出来なくすることを遅らせることができるのか。これは、実践家にぜひ教えてもらいたいことです。

介護の目安

 この著者の言葉は、認知症になった家族を介護している家族介護者にとっては、主観的には、永遠に続くような時間でもあるのですから、目標や目安を作ることについての提案である、とも思います。

 介護の環境を変える「目安」というものも、以前から、耳にしてきました。

 例えば、在宅介護から、施設介護へ切り替える時期の目安として、排泄介助の程度が重くなった時に考える、といった言葉は、よく聞いたように思います。

 これまで、生活がなるべくスムーズにできるようにと、様々な細やかな介護をしてきた方であっても、排泄介助の程度が一気に上がるようなことがあったら、その時は、これまで在宅介護をしてきたとしても、そろそろ施設入所を考えた方がいい。

 これは、「介護の目安」の一つとして、専門家の間では、かなり広く語られているのかもしれません。

 こうしたこと自体も、強制になってしまったら、もちろん、いいことではないと思われますが、それでも、そうした目安がない場合は、介護は主観的には永遠に続くわけですから、その介護の方法を変える機会を考えることも、なかなかありません。

 やはり、どうしても、できるだけ家でみたい、ということは、多くの家族介護者にとっては、自然ですが、強い感情だとも思います。

 だから、介護を継続するとしても、どのように介護をしていくのかを、改めて考えるためにも、目安は必要かもしれません。

識別されなくなること

 今回、書籍で触れた「介護者が識別されなくなるということは、介護のやり甲斐を下げます」という言葉を改めて考えると、その識別できる期間をなるべく長くする、ということを「介護の目標」の一つとして設定するのは、永遠に続く介護に対して目安を作ることで、いつまで続くか分からない負担感を、もしかしたら、少し下げる作用があるかもしれない、とも思いました。

 同時に、「介護者が識別されなくなる」状況になったときに、もし、在宅介護をされていて、それまでは、要介護者の方が、誰かわかっていたのに、分からなくなったとき……たとえば、それを、専門家の方の間で、施設入所などを考える一つの目安とする。そのことも、家族介護者の方にとっても、そこで、改めて、今後の介護をどうするのか?を考える機会となるかもしれません。

 もちろん、当然、それを強制する、ということではないのですが、そこまで、力を尽くしたのだから、という納得感が、ほんの少しでも加わるためにも、「介護者が識別される期間を、なるべく長くする」のを、たとえば介護に関わる関係者と、家族介護者の共通の目標の一つとして、明確にするのは、有効かもしれないと思いました。

 ただ、こうしたことを話題にする際は、「介護者が識別される期間を、なるべく長くする」ことに関して、どれだけ質の良い介護をしても、その期間が短くなってしまうことはある、ということを、現時点でも、再確認するべきだとは思います。

介護者が、誰か分からなくなる時

 おそらく、かなり幸運だと思うのですが、私自身は、19年間の介護生活で、「介護者が識別される時間」はかなり長く、100歳を超えた義母でさえ、介護をしている側が誰だか分からなくなる、ということは、ほぼありませんでした。


 振り返れば、そうした場面は、実母を介護している時に、少しだけ経験しました。

 介護が始まったばかりのことでした。
 病院に入院し、院内を徘徊するから迷惑で、みていてほしい。病院側からの、そんな暗黙の強制のために、個室に移り、そこにほぼ24時間体制で、寝泊まりしていた時がありました。

 それでも、少し気分転換も必要だと、母が、少し落ち着いたときに、車イスに乗って、エレベーターに乗せて、病院の玄関を出て、その外の庭のような場所で、いろいろな植物を見せましたが、なんだか、怒ったような顔をしていただけでした。

 季節は夏でしたから、寒くはないですが、あんまり外にいても、と思って、10分足らずで、部屋に戻ることにしました。

 そして、車イスを押している途中に、人が近くを通りかかったら、母は突然、立ちあがろうとして「助けてー、殺される」と叫び始めました。

 その人は驚いたようでしたが、こちらも、思考が止まり、急に立ち上がると転倒してしまうので、母を座らせながら、その人に「大丈夫です」と言うのがやっとでしたが、なんだか、あわてて、母の病室に戻りました。

 あまり経験したことのない種類のショックでしたが、まだ少し興奮状態にある母親を落ち着かせようと思い、何か、飲ませた方がいいと思いました。水分補給は、周りが意識しないと、それこそ、不足してしまうので、気をつけていました。

 病室には飲み物を冷やしておくための小さな冷蔵庫があって、そこから、それまで日課のように飲んでいたパックの牛乳を出して、ストローをさして、渡したら、一緒にいた妻が、少し経ってから、驚いた声をあげました。

 買ったばかりで、気に入っていたTシャツが、牛乳に濡れていました。それは、母にかけられたみたいで、母親は、「あんたたち、アメリカ人でしょ」と、とても激しい表情で、こちらをにらんでいます。

 何を言っているか分かりませんでした。

 ただ、母親の表情は、憎しみだけになっていて、見たこともない敵意だけをむき出しにしていました。

 私たちが、誰だか分からなくなっているだけではなく、おそらく戦争体験をベースとした妄想もあってなのか、アメリカ人という敵に見られていたようでした。

 それから、しばらく「介護者は識別」されなくなっていました。

 一度、親であるという意識を捨てて、そこから、それでも介護が必要な人を、自分が介護する役割をする。

 そんなふうに意識を立て直しながら時間が過ぎましたが、それは、胸が痛いような日々でした。どこか、心の一部を殺さないと、そのことに適応できないように感じていました。だんだん、自分の外側の出来事が、母親のことだけではなく、全てが、少し遠ざかるような気持ちで、感情の動きも確実に減っていました。

 その母親の症状が、肝臓の病気を持っている母親の、血中アンモニア濃度が、400を超える異常値(病院でも驚かれました)によって引き起こされているのを知ったのは、その総合病院から、精神科の病院に移った後でした。
 その総合病院で、長年、母が診てもらっている担当の内科医は、最初から、認知症(当時は、痴呆)と決めつけ、血液検査もしていなかったのも、後になって知りました。
 その後、血中アンモニアの濃度を下げる薬を飲み始めたら、二週間くらいで、私が誰かわかるようになりましたから、そういう意味では幸運だったと思います。

 ただ、その医師や、病院から、きちんと謝罪されたことは、今に至るまでありません。

 そうした、ささやかな経験に過ぎませんが、「介護者が識別」されないことは、肉体でいえば肉離れのようみ、心がいったん切れるような状況になることは、少し分かったような気がします。

「介護者が識別されない状況」への支援

 「介護者が識別」されない状況で、介護を続けている家族介護者の方は、思ったよりも多いような印象があります。

 実の親の介護をしている娘さんという立場でありながら、要介護者である父親は、ずっと介護をしていた娘さんが、誰だか分からなくなっている。それでも介護を続けていて、その父親にとっては、ずっと介護をしている娘さんに対して、「親切な人」という表現をしている、という状況を聞いたことがあります。

 ただ、それは、本当にごく一例であって、「介護者が識別」されなくなっても、介護を続けている方は、当然のように大勢いらっしゃると思います。

 改めて考えたら、その状況は、「介護のやり甲斐」が下がる、といった言葉だけではおさまりきらないような、辛さがあるのは想像ができるのですが、その状況にいる家族介護者の方々に対して、どのような心理的支援をすればいいのか。
 そういったことは、もしかしたら私が無知なだけなのかもしれませんが、まだそれほどの研究の蓄積もできていないと思います。

 もちろん、そうした状況の方の支援についても、私が関わらせていただいた時には、いつもの介護者支援と同様に、話を聞くことから始めるですが、そういった状況の方についての支援について、さらに考えていく必要があることに、今回、中井久夫氏の書籍を読んで、改めて気がつかされたように思いました。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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