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#マクロビオティック
画家Kの自伝 第一章
短いようで長い旅を歩んできた。
自分は、この原稿を書いている現在、五十三歳で、今回、自分の拙い半生、短いようで長いような旅路を、ここで一旦立ち止まって振り返って書いてみようと思う。
まず、大学時代の話、続いて、自然食マクロビオティックにはまったこと、人生の最初の師匠との出会い、精神を患ったこと、復学、名古屋での生活、ギャラリー運営を始めた頃 、結婚、サイババとの出会い、再発、K.Art Stu
画家Kの自伝 第二章
マクロビオティック
森下医学との出会い
今では、オシャレな若者に人気のある「マクロビオティック」、通称「マクロビ」。しかし、その根をたどると決しておしゃれでは済まされない深いものがあることを学生時代体験した。
僕と、マクロビの出会いは、かねてからの体の不調を、何とか克服したいと思って、父の書斎で見つけた「食で病気を治す方法」という、自然医学界の権威、森下敬一さんの著書に触れたことから端を発す
画家Kの自伝 第三章
最初の師匠との出会い
桜沢如一
では、マクロビオティックの創始者、桜沢如一氏とは、どういった人物だろう。もともと彼は、健康に恵まれず、どうしたら丈夫な体になれるのかと、幼少の頃から悩み、青年期、石塚左玄という食養家に影響され、健康を奪回、そして、玄米を中心にその土地でできた季節の野菜、海藻、みそ、醤油、胡麻塩、胡麻油を中心とした食生活を提唱し、西洋の、肉食、砂糖の摂取を強く戒め、多くの難病を抱え
画家Kの自伝 第七章
K.ArtMarket
オルタナティブスペース
僕は、大学を1993年に卒業するのだが、1995年に、今運営中の「K.Art Studio」の前身の「K.ArtMarket」を名古屋の親から譲り受けた自宅の長屋に設立する。
K.ArtMarketは、どういった思いから始めか、というと「こうこう、こういう志」というものがあって始めた、というわけではなく、友人が、古い長屋の洋室を見て、「この部屋、
画家Kの自伝 第八章
結婚
恋仲
前記で、K.ArtMarketの展開の経緯を抜粋したが、続いて、1998年の、現在の妻との結婚に触れてみたい。
僕らが知り合ったのが、1993年。
そして、結婚したのが、1998年十月十八日である。
その結婚の陰には、当時もう一人付き合っていた女性の存在がある。
その女性水谷さんは、当時出版社のライターとして名古屋のタウン誌の編集部に勤めていた。
出逢いは、水谷さんのK.A
画家Kの自伝 第九章
サイババとの出逢い
理性のゆらぎ
さて、こうして、妻・ひとみとの新しい生活は始まった。
新婚時期の女性とは、言ってみれば、花が一番ふくらみ香りとオーラを放っている時期だと思う。妻も、新婚時の写真を見ると、やはり花のようなオーラーを放っていることが分かる。
妻は、結婚後、ホテルのルームメイキングの仕事に就く。僕は、ビルの早朝清掃に仕事に就く。
若い二人は、お互い、アルバイトながら充実した日々を
画家Kの自伝 第十章
再発
ペインティングライブ
新婚生活の時期を経て、二人は、働きながらK.ArtMarketの活動をつづけた。当時、弟がテレビ局のイベント会社に勤めていて、彼の部署が手掛ける大きなフリーマーケットで、ライブペイントをしてみないか?という提案があった。僕らは、快く引き受け、第一回目は、ペンキや刷毛を買ってきて、自分ひとりパーテーションに紙が貼られた大画面にライブペイントした。そして、ライブペイン
画家Kの自伝 第十一章
K.Art Studio
時は流れて
ニ回目に発病したのが、2006年。
地震が軽くなっていくように、自分の病状も、少しずつよくなっては行ったが、根気のいる闘病である。
しかし、その間もK.ArtMarketの活動は続けた。
2009年頃、我々の活動も転機を迎える。K.ArtMarketの活動が煮詰まり、夫婦で話し合って、一旦ギャラリーを閉じることになる。そして、残ったスペースをどう活
画家Kの自伝 第十二章
半生を振り返って思うこと
絵画という装置
2021年現在、自分は五十三歳である。ここまでの自伝を書いてきたのだが、思えば、自分の歳まで生きられなかった友や先輩もいる。また、自分と同い年でも、大学教授をしている友、美術界でスターになった友とか、人生それぞれである。僕は、「人生」とは、他人と比べるべきものではなく、それぞれの人生が尊いのだと思う。例えば、ゴッホは、わずか三十数年生きて、あれだけの偉業