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画家Kの自伝 第三章

最初の師匠との出会い


桜沢如一
では、マクロビオティックの創始者、桜沢如一氏とは、どういった人物だろう。もともと彼は、健康に恵まれず、どうしたら丈夫な体になれるのかと、幼少の頃から悩み、青年期、石塚左玄という食養家に影響され、健康を奪回、そして、玄米を中心にその土地でできた季節の野菜、海藻、みそ、醤油、胡麻塩、胡麻油を中心とした食生活を提唱し、西洋の、肉食、砂糖の摂取を強く戒め、多くの難病を抱えた人々を指導し、多数の共鳴者を育て、マクロビオティック(長寿法)を創始した人物である。中国の陰陽思想を、食哲学に取り入れ、食品を、身体、を冷やす作用のある陰性な食品、温める作用のある陽性な食品と見分け、一番中庸な「玄米」を中心とした、主に植物性の陽性食で健康を維持する、といった考えがマクロビオティックの概要であると学んだ。また、桜沢さんは、この食哲学を世界中に広めるために、フランスをはじめ各国のマクロビオティックの普及に尽力した。また、桜沢さん亡き後は、弟子の久司道夫氏が、アメリカを中心に広め、アメリカの著名人に広く影響を与えた。影響を受けた著名人は、マドンナ、トム・クルーズ、スティーブジョブス、ジョンレノン、カーター元大統領、坂本龍一、他多数。

また、桜沢さんは、食哲学にとどまらず、無双原理・易と言い、宇宙の成り立ち、秩序も研究展開した思想家・人物である。また、老子や禅の思想にも精通し、食事療法を勧めながらも、
「玄米食に拘るな!」
と、禅問答的な指導者でもあった。

以上が、自分のとらえた、桜沢如一氏の人物像である。自分は、当時、彼の思想に心酔し、ますますマクロビにはまっていった。

桜沢さんからのテレパシー
桜沢さんは、食により人間意識が進化すると、7つの段階で意識が進化し最終的には孔子、老子の境地まで進化する。その域が、7番目の天国で、人生の判断を誤ることはなくなると説いた。

ガリガリになった自分は、いつしか桜沢さんからテレパシーを受けているように直感し、一種の妄想状態に入った。
医学的には、この状態は統合失調症の状態の陽性症状で、非常に危険な状態だとのこと。
目に映るものや、地名が、全て自分思いとシンクロし、思ったことの答えが、目に入る看板等に書かれてあったり、地名がシンクロしたり自分は錯乱していった。また、自動筆記というのだろうか?桜沢さんのメッセージを手元の紙に描いたりした。

「スポーツできるくらいに食せ、ただし食養(食養生)の基本を守って。」

母の愛
そんな中、母が上京してきた。
あまりに痩せた息子を見て、さぞ悲しくて不安だったろう。

肉も菓子パンも何もかも拒絶する息子。

とにかく食べてほしいと、野菜の料理を作ってくれた。しかしマクロビの極端な思想に影響されていた自分は、ハウス栽培の野菜、精製された小麦で作ったイースト入りの食パンなど、スーパーに売っている大抵の食品は受け付けなかった。

それとは別に、母は、アル中の気があり、お酒を飲みだしたのである。頭にきた僕は、「お前の前世はなんだ?!」と、これまた妄想の中の発言をした。酔った母は、「私の前世はウサギです」と答えた。

「お前出ていけ!」と叫ぶ自分。

『駅前に「華幸」というビジネスホテルがあるからそこで寝ろ!』と再び叫ぶ。

ちょっと、小滝荘の次元がゆがんでいるのを感じた。
やがて母は、とぼとぼ小滝荘から出ていき、自分は一人になった。

暫くたって、独りになった自分は、急に不安になって母が心配になり、寒い夜、. 華幸まで歩いて行った。

僕も半分錯乱状態だった。

華幸についた僕は、受付に母の泊りを確認して部屋の前まで行った。しかし、こわくてふすまを開けられないのである。
母は、もしかしてここで、、という直感が頭をよぎった。

ふすまを開けられない僕は、あきらめて小滝荘に向かった。しかし、あまりの瘦せ身で、歩くことも難しい僕は、停まっていたタクシーに詰め寄った。しかし、ドライバーは、怪しいと思ったのか、手のひらを横に振るだけで車のドアを開けてくれない。再び歩き始めた自分に、今度は警察署が見えてきた。
飛び込んで、事情を話そうとしても上手く話が通じない。警察官も相手にしてくれなかった。

僕は、徒歩でようやく小滝荘についた。

すると、母がいるではないか! 二人は目が合って、どちらからともなく駆け寄ってぎゅっと抱きしめあった。

帰郷
以前、東北沢にある、マクロビオティックの協会に、健康指導を受けたことがあった。大塚先生というマクロビ界の権威に診てもらった。

「あなたは、もともと陽性体質だから、うどんとか、パンを食べなさい。100回噛めばどれだけ食べてもいいですよ!」

といわれ、大塚先生も、僕のあまりの痩せ身に同情したのだろう。
季節は、桜満開の季節だった。

母と、翌日、東北沢に向かい、何とか大塚先生にもう一度アドバイスしてほしいという思いだったが、あいにく先生は授業中であった。

以前来た時に親しくなったマクロビを長く続けているおばあさんの姿が目に入った。彼女は、優しくこう語ってくれた。

「地名にはすべて意味があるのですよ 、それから私は長いこと続けていて、人のオーラが見えるようになりました。ここも、オーラが汚い人、沢山いますよ」などと。

その後、母は、「一緒に名古屋に帰ろう」と言ってくれた。

タクシーで東京駅に向かい、新幹線窓口に行くと、僕は切符を買うとき、
「無限の八号車は空いていますか」と、わけのわからぬことを口走った。

二人新幹線に乗り込むと、なぜか「不死山(富士山)見なきゃ!」と思った。

今思うと、母も、僕も、常軌を逸していた。

「もう何食べても平気だよ、ポテトチップス食べよう!」と、僕は車内販売で買ってむしゃむしゃ食べ始めた。

母は、心配そうに「そんなに食べていいの?さっき自然食品屋さんで買ったせんべいがあるよ!」と声をかけてきた。

あっという間の名古屋だった。

そのあと、どうやって家まで帰ったか記憶がない。

守護霊の導き
名古屋に戻った僕は、こんなことを思った。

小平市の「平」、小川町の「川」、小滝荘の「滝」、そして、
親の愛を知る「愛知県」、また最初のアパートが桜荘の「桜」

「地名にはすべて意味があるのですよ!」おばあさんの言葉があたまをよぎった。

よく、自然食のアドバイスをしていてくれた年上の男性の田城さん。
「僕も、7年前、加藤君とおんなじだったよ」と言ってくれてた。
電話番号のメモをもらっていて、思い切って電話をかけてみた。

「はい田城です」

相変わらず優しい響きの声だった。

さっきの地名の話をすると、

「きっと加藤君の守護霊が導いていてくれるんだよ」と言ってくれた。

僕は、ジーンと温かいものを感じた。

                                     

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