加藤 K

私は、名古屋で画家活動をしながら、ギャラリー経営をしているアーティストです。東京の美大…

加藤 K

私は、名古屋で画家活動をしながら、ギャラリー経営をしているアーティストです。東京の美大を出て、絵描きを続けてきました。現在50代です。主に抽象画を描きますが、絵画の他に文筆、サウンドアート、写真、立体、ライブペイント、映像等手がけています。

マガジン

  • 加藤K エッセイ

    画家、加藤Kが、制作で日々思うこと、時事問題、ふと思ったこと、ごった煮のエッセイマガジンです。

  • 画家 加藤Kの作品集

    KATO Kによる、初期ドローイング・ペインティングから現在に至る膨大な作品を網羅した電子版作品集です。

  • 加藤K 映像作品

    こちらのサイトでは、加藤Kによる映像作品をご紹介していきます。

  • 加藤K 短編小説

    画家加藤 Kが書き溜めた、短編小説をおたのしみください。

  • 画家Kの自伝

    画家である 加藤Kがその人生で体験してきた経緯を時系列で物語仕立てした小説です。 天使との恋、自然食教祖からのテレパシーと、不思議な体験も織り込まれた自伝です。各章末に、当時の絵画作品も掲載した画小説となっています。半ノンフィクションですがファンタジックな作品でもあります。

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画家Kの自伝 

目次 画家Kの自伝 第一章  大学時代 画家Kの自伝 第ニ章  マクロビオティック 画家Kの自伝 第三章  最初の師匠との出会い 画家Kの自伝 第四章  精神を患ったこと 画家Kの自伝 第五章  復学 画家Kの自伝 第六章  名古屋での生活 画家Kの自伝 第七章  K.ArtMarket 画家Kの自伝 第八章  結婚 画家Kの自伝 第九章  サイババとの出会い 画家Kの自伝 第十章  再発 画家Kの自伝 第十一章 K.Art Studio 画家Kの自伝 第十二章 半生を振

    • マクロビオティック・弁証法的考察

      自分の細胞一つ一つにとって共通なのは自分の部位や五臓六腑。 部位や五臓六腑にとって共通なのは心臓や自分自身。 自分や兄弟にとって共通なのは両親。 我が家や地域のファミリーにとって共通なのは我が町や村。 町、村にとって共通なのは我が市や我が県。 わが県、ほかの地方にとって共通なのは首都東京。 我々日本人やほかの国々にとって共通なのは地球。 我が母星地球や太陽系の惑星にとって共通なのは太陽。 太陽系やほかの太陽系にとって共通なのは銀河系。 無数の銀河にとって共通なのは大宇宙?!

      • 相対界

        人の評価は、マイナスな部分、素晴らしい部分、総合点で評価すべきだと思っています。一流企業でも、ブラックな部分はある。陰と陽、この相対界は、「善」だけでできている訳でもなく、「悪」だけでできいる訳でもない。最終的に、完全な「善」「光」になるのが理想だが、修行中は自分の「陰」な部分で悩みすぎることもないと思う。

        • インターネット時代の美術

          20世紀アメリカの最大の美術批評家と目されているクレメントグリーンバーグのモダニズムの定義「モダニズムの本質は、ある規律そのものを批判するために── それを破壊するためにではなく、その権能の及ぶ領域内で、それをより強固に確立するために── その規律に独自の方法を用いることにある。」とのこと。 いまいちわからない。しかし、絵画に関していえば、モダニズム以前の伝統的な西洋美術のように、二次元平面に、いかに三次元を再現するか?という方法を脱して始まったモダニズム。それ以降、印象派か

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        • 加藤K エッセイ
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          3本
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          6本
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          14本

        記事

          命.愛.生.死.心.無.無常

          気を失って、全く「無」の時間を何度か経験した。物心ついた「心」は、死んだ後も残り、成長し続けるのだろうか?それとも、時間も空間も光もない、全くの「無」に戻るのか?過去に亡くなったブルースシンガーの音楽にグッと込み上げてくることもある。「愛」とは、そう言うものなのかもしれない。人の命は、残された人々に影響を及ぼして、その影響が届かなくなった時が本当の「死」であるという考えを本で読んだことがある。例えばキリストが2023年間、人の心に影響を与え続けているとしたら、キリストは、まだ

          命.愛.生.死.心.無.無常

          夢想家

          マルクスの資本論でないけれど、やはり現在の環境破壊を見ると、資本主義経済は限界があるのかも。かと言って、現在の共産主義国家が、マルクスの理想とした本来の共産主義経済ではないのだと斉藤幸平さんの人新世の「資本論」にあった。現在の西側と、東側の対立は、資本主義と共産主義の対立 という単純なものではなく民主主義と専制国家の対立という要素もあるのかも。かつての太平洋戦争も、アメリカという民主国家と、日本という、専制国家の戦いだった。現在の、アメリカ、西側諸国とロシア、中国という大国間

          夢想家

          要因

          昔、マクロビの先生に、「足を怪我して、膝に血がたまったことがある」と話したら「怪我したのは、そこに汚い血液がたまっていたのですよ」といわれた。では、広島の原爆で亡くなった人々は皆汚い血液だったので、ああいう亡くなり方をしたのか?暗殺されたケネディー大統領は、脳に汚い血液がたまっていたのか?ジョンレノンは、汚い血がたまっていたのだろうか?また、別のマクロビの先生は、「交通事故は肝臓の病気なのですよ」と豪語されていた。 こういう見方は、自分中心の偏った考え方だと思う。原爆で亡くな

          ハイデッガー「形而上学とは何か」

          ハイデガー、「形而上学とは何か」、読み終えました。 論考の難しさに、読み進めるの難航しましたが、印象に残った言葉、感想を書いてみたい思います。 まず「自身の存在に関する考察は、人間特有のもの。動物は、本能のみに従い、そんな考察はしない。」とのこと。また、自身を認識思索できるのが人間で、人間である所以だと思いました。 時間と存在に関する考察  難しくて、あまり理解できませんでしたが、僕は、時間とは、現代人の幻想なのだと思う。時間とは無く、現在があり続けるだけだと思う。 無

          ハイデッガー「形而上学とは何か」

          IMAGINE

          ジョンレノンのイマジンの歌詞を、もう一度考えてみる。国境もなく、殺す必要も、殺される必要もなく、また、宗教や所有というものはないと思え。僕は夢想家かな?でも一つになった世界をイメージしよう! 現在、核軍備が中国や北朝鮮で進んでいる。ロシアやアメリカも大量の核兵器を保有している。 「第三次世界大戦」をイメージするのではなく、国という概念が無くなった、「地球人」という人類が一つになった世界をイメージしなくては、と自分に言い聞かせている。 Consider again the

          黄色い絵、青い絵、赤い絵、黒い絵

          最近の作で、色画用紙に顔料マジックで描いた作品、キャンバスに黒のアクリル絵の具(ジェッソ)を乗せて描いた作品等ご紹介します。 黄色い絵 黄色い画用紙に、顔料マジック(ポスカ)を使って描いた作品。 日本人のリアリティーとして、漢字も入れてみました。僕の中では、神様のイメージです。人格神より上の、人間の形をしていない神様です。 青い絵 この作品も、青色の色画用紙にポスカで描きました。初めにイメージはなく、手が動くままに描きました。僕は、何かを考えながら描くというより、何か

          黄色い絵、青い絵、赤い絵、黒い絵

          人間は3回生きる

          グスタフ・フェヒナーの「死後の世界は実在します」を読みました。なんでも、人間は、3度生きる、とのこと。お母さんのお腹にいる時代から、外界へ誕生するまでの第一の生と、この人間社会で生きる第二の生と、「死」という誕生で、霊界に生まれる第三の生と。第二の生での行いが、霊界での生の行き場をきめるとか。それから、人は、第二の生で、いろんな人と交わり、影響を与え合う。その影響が、命なのだと。例えばゴッホは、絵を通して今も多くの人に影響を与えて、情報としておおいに後世の人々の中に生き続けて

          人間は3回生きる

          身体

          自分の身体。内臓があり、脳があり、手足があり、血液が流れ、すべてが調和して機能している。自分が創ったものではない。怪我をすると、時間が経てば自然に治っていく。それも、自分の力ではない。人間として生まれた人は、健康体か、障害をもって生まれるか差はあるが、一人に一つの身体を自然から授かる。「生かされているのではない、自分で生きているのだ!」という人にも、平等に水や空気、食べ物は恵まれ、心臓は、無意識でも働いてくれる。

          制作の岐路

          ここ最近、自宅のゴミ?で出た大量の段ボールを使って作品制作して来たのだが、段ボールも尽きて、さて何を創ろうかと思っている。今までのコラージュ作品をもう少し追求してみるのも良いが、同じことをやり続けても能がない気もする。一旦、制作を止めて、自分の方向性を冷静に考える時期にしてもいいとも思う。僕は、アートは、デュシャンのレディーメイドや、ウォーホルのポップアートで、一つの終着点に至ったのだと思ってる。西洋美術の文脈から考えた視点だが。産業革命以降、文明は、物を大量に複製して来た。

          制作の岐路

          現実

          現実 現実とは、人それぞれ相対的なものだと思う。外国の戦争も現実だが、家族に重い病人がいれば、その人にとっては、家族の病気の方が差し迫った現実である。ウクライナやロシアの大統領にとっては、自分の大統領としての仕事が差し迫った現実である。世界には、同軸にいろんな現実があるのだと思う。

          医食同源

          チョコレートも肉も食べるけれど、基本的に、米と雑穀と野菜中心の食生活を心がけている。食べたモノが、自分の肉体を作り、血液となり、健康を左右する。長時間勤務の時は、コンビニ弁当でなく、妻に弁当を作ってもらうことにしている。チョコレート一個、もしくは肉を一回食べたらOUT、というのではなく、自分の選択できる範囲で、なるべく自然な食品を摂るようにこころがけている。若い頃、極端な食事制限をした時期もあったが、長続きする健康食のあり方というのを、長い時間かけて考えて来た。また、体が糖分

          医食同源

          抽象画の良し悪し

          抽象画の良し悪し 普段、抽象画を描いているのだが、その良し悪しの判断基準が難しい。しかし、自分がいいものが出来たと思ったとき、画家の妻も、「いいのが出来たじゃん!」と言ってくれると非常に嬉しい。けして、でたらめに描いているわけではない。ジャズセッションでも、ここのドラムソロと、次のピアノ掛け合い、リズム感がとてもグルーヴしているとか、誰もが感じる判断基準がある。抽象画も、色のリズム感、絶妙なポイントの赤のバルール、とかがある。また、今一歩な作品を妻に見せると「何かが足りない

          抽象画の良し悪し