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画家Kの自伝 第四章

精神を患ったこと


不思議な夜
東京から帰った僕は、仏壇のある座敷に寝かされた。
しかし、興奮してあまり眠れない。

自分のお腹は無限になった、なんでも無限に入る、というおかしな妄想で、ちょうど父が用意していたお釜の玄米を、全て食べてしまった。台所に行くと、母が立っていて、母には桜沢さんが乗り移っている気がした。

「ずっとお前を待っていた、俺はもうこのトンネルを抜けて先に行くぞ」と母は言った。桜沢さんの声のような気がした。

また、東京のマクロビの先生、大塚先生が東京で、彼自身を救うため僕から力を吸い取ろうとしている、という、また妄想が起こった。

医学的には、完全に、統合失調症の陽性反応である。

僕は、座敷に戻り、次に「お前は、今から富士山へ行け、このまま寝ると、お前の両親に西洋医学を洗脳されてしまうぞ」という恐ろしいささやき妄想がした。

ただ、富士山へは行かず、僕は布団に入った。

すると、自分のお腹が無限になり、自分が透き透っていき、ガスのようになって、無くなってしまうのではと妄想し、心の中で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と繰り返した。その言葉が、唯一、今の自分とこの世を繋ぎとめる呪文のように思えた。また、愛読していた、「宇宙の秩序」という桜沢さんの著書に「これは、頭でなく体で読む本だ、全ては双」裏返すと「全てがウソ」という暗示が浮かんだ。そして、自分のお腹が無限になり、この世は、全て「〇」と「× 」で出来ている、というテレパシーを受け取った。そして、宇宙の始まりは、二つの円錐が、頂点のところで交わり、交わった円錐は、横から見ると「× 」別の面から見ると「〇」。そして、その交わった円錐が運動しているのが宇宙の形、などなど不思議なテレパシ ーを受け、いつしか自分は眠りに就いてた。そして、「お前はもう卒業したのだ」というテレパシーを受けた。


宇宙の形



一度目の死
翌朝、両親は、僕を病院に連れて行こうと考えていた。兄も心配して来ていて、無理やり車に乗せられた。車は、名古屋市民大学病院に向かっていたが、途中から、「このままでは、悪魔の西洋医学に毒殺される」と思い、後部座席から、太陽を見ようとすると、隣に乗っていた兄が「外を見るな!」と叫んだ。

病院敷地に入ると、ますます自分は追い詰められ、「これは死ぬしかない!」と思い、自分の舌を強く噛んだ。

突然、自分が、マスターベーションのエクスタシーのような衝撃に全身が襲われた。

そして、車は大学病院で停車した。

ふらふらになって車を降りて歩き始めた僕に、母は「あなたは勝ったのよ!勝ったのよ」となんども声をかけてきた。

そのまま、病院入口のソファーに寝かされ、寝ている僕を見守る家族に、「血が足りない」と話し、目にはいたったのは「十四階」という病院の張り紙で「地獄の十四丁目か?」とぼくは妄想した。その後気を失った。

精神病院へ
どれだけの時間がたったのだろう、「K!K!」と家族が必死に叫ぶ声を心で何度も感じながら、気が付いたら、病人のベッドに寝かされていた。

僕は、死んだのだろうか?

全くの「無」の時間を潜り抜けて意識が戻った気がした。

ベッドの僕は、どこへ行こうとしていたのだろう、興奮して起き上がろうとした。が、数人の看護士に抑え込まれた。自分には、看護師が悪魔のように思えた。もう抵抗はできないと思った。

その後の記憶はあいまいだが、再び気が付くと、僕は、精神病院の特別監視室で、手も足もベッドに縛られて寝かせられていた。ここは、精神病人の統合失調症等の陽性御反応の激しい患者を寝かしつけ、監視する部屋だった。隣のベッドに、やはり興奮した老人患者が縛り付けられていた。かれは、鼻から大量の粘液を出しながら興奮して何かを訴えていた。また、昨晩大量に食べた玄米が、便としておむつの中に大量にでた。一~ 二週間、僕は特別室に入れられ、興奮が落ち着くころ、全粥が与えられた。

特別室では、血液検査や注射、点滴の嵐で、正に、自分を殺めようとした人間への罰として、針の山を歩かされている気分だった。

病院生活
その後半年の間、精神病院に閉じ込められるのだが、みじめなものだった。

病院では、わめいている人、独り言を言い続ける人など、まさに人間の動物園の檻の中のようだった。それでも、同い年の入院患者と仲良くなったりした。

病院生活の唯一の楽しみは「食事」で、自然食の小食のリバウンドか、僕は大いに食べた。

しかし、自然食の思想が染みついている僕は、白米は毒、という拘りがあり、母の面会時に、玄米胚芽のふりかけを自然食品店で買ってきてもらい、玄米の代わりとした。

精神病院は、ヘビースモーカーが多く、いつも、大量のたばこの吸殻を片づけるのが僕の仕事であった。

また、僕もヘビースモーカーとなっていった。

病院には、「独房」室があり、暴力をふるうもの、他人が怖い、また他人とコミュニケーションが取れない患者などが独房に入った。

鬱や統合失調症などの心の病は、症状がひどいと、妄想や、希死感が発生し、ビニール袋とか、革ベルトは、持ち込み禁止であった。ビニール袋での窒息自殺や、ベルトによる首つり自殺などを防止するためである。それでも、僕は、トイレにある消毒剤を見て、(あれ全部飲んだら死ねるかな?)などと思ったりした。

統合失調症は、陽性症状と陰性症状があり、自分は、興奮の激しい陽性症状は収まったものの、妄想や、外部の刺激がとても怖くなる不安発作、陰性症状に苦しむようになった。ひとたび陰性症状の発作が起きると、ひとと会話することはもとより、何もしなくても、自分が存在していること事態が非常に恐怖で、何度もこの恐怖を味わうようになった。

年上で、親しくなった人が、独房に自ら入り、出てきたときには、目をうつろにし、僕と目が合うと、「K君、俺もうだめだ、」と、非常に辛そうだったことを思い出す。

正に生き地獄である。

半年が過ぎて
父も、精神病院に入院している僕に「自殺は決していけない。糞尿まみれの地獄に落ちぞ!」と手紙をくれた。

そんな父が、入院半年経って、「いつまでもこんなところに入れていてはいけない」と言って、病院側に、退院交渉をしてくれた。

当時の精神病院は、まだまだ外国の病院より遅れていて、患者の人権は無視され、腐ったものには蓋をする、みたいに、患者を十年、二十年、長いと一生牢屋の中に閉じ込められることがざらだった。今こそ、家族会などの努力で改善され、法律で「長期間、精神病人を入院させてはいけない」という法整備はされたと聞くが。

そうして、晴れて僕は、半年ぶりに精神病院という牢屋から解放されることになる。

永い回復期
病院を退院したからと言って、病気が治るわけではなく、五十三歳の現在も後遺症は続いている。

現在は、その不安発作の頻度も深度も軽くなったものの、正に、品川の総合病院食養内科の先生の言った「長くかかりますよ」という言葉は当たっていた。

退院して、暫くは、自宅療養して、たびたび襲ってくる陰性症状、不安発作に耐えなければならなくなる。なんとなく、これも、自分を殺めようとした罰のような気がした。

当時のラジオ番組で、ブランキージェットシティーの名曲「ディズニーラランドへ」を聞き、なんとグッとくる音楽なんだろうと思ったことを思い出す。

また、希死感は続き、近くの高層マンションに行き、(ここから飛び降りれば楽になるのだろうか?)と思ったり(いやいや、それは決して人間のやるべきことではない)という葛藤に苦しめられた。朝昼晩寝る前と、精神薬を飲み、自分はブクブクに太っていった。

心も、子供のように幼くなり、当時テレビ放映していた「一休さん」や「ドクタースランプあられちゃん」などの子供向けアニメ番組をみて悦び、その様子を見ていた母は、後にその幼稚性が悲しかった、そして母親の愛情で、もう一度育て直さなければならないと思ったと語った。

また、このような統合失調症の病気は、母親の愛情が治療に不可欠であると、母は精神科の専門書で勉強していた。

また、社会性を取り戻すための訓練場として、精神障害者作業所「ワークルームサリンジャー」というところを母は探してきてくれて、自分は言われるままその作業所に通った。

サリンジャーには、人懐っこい、おとなしく、優しい人々や、職員さんが居て、自分をすぐに受け入れてくれた。「KちゃんKちゃん」と呼んでくれて、作業は、箱を組み立ててタオルをたたんで入れたり、箸袋に割り箸を入れるという単純なものだったが、自分はもともとこのような単調な作業は苦手で、早退することもしばしばあった。

仕事の後は、気の合った男仲間と、今池の喫茶店に行き、たわいのない話をした。

こうして、母は、家族会、作業所と、病んだわが子を育てなおすのに必死であった。

母は、少しでも良い先生に診てほしいと情報を集め、名古屋大学付属病院の川上先生が名医だという情報を聴きつけ、即座に受診手続きを取ってくれた。

最初は週一間隔の通院で、通院日を間違えたり、先生に怒られたりした。

先生は、「統合失調症は、社会性の欠如する病気です。不安発作は、花粉のあるところに行くと発症します」といい、受診時、自分が話しながら足踏みをしていると、そのことを指摘した。まさに、患者の一挙手一投足が監察された。

身体が太ったことを伝えると、「太ると、病状が安定するものですがね、」と言ってくれた。

受診が終わると、薬局に行き、薬をもらうのだが、大学病院なので、診療をまったり、薬ができる時間がやたら長く、付き添いの母も辛抱強く付き合ってくれた。         
                                    

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