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画家Kの自伝 第七章

K.ArtMarket

オルタナティブスペース
僕は、大学を1993年に卒業するのだが、1995年に、今運営中の「K.Art Studio」の前身の「K.ArtMarket」を名古屋の親から譲り受けた自宅の長屋に設立する。

K.ArtMarketは、どういった思いから始めか、というと「こうこう、こういう志」というものがあって始めた、というわけではなく、友人が、古い長屋の洋室を見て、「この部屋、なんだかSHOPに向いてるね?」という言葉から「なんとなく始めた」というのが正確である。

 ここで、K.ArtMarketを始めたころの話をまとめた文章が、K.Art Studioホームページで公開されているので、少し長いが、一部抜粋してみたい。

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※K.ArtMarket の誕生
私が、名古屋でギャラリーショップ「K.Art Market」を開設したのは、1995 年 六月 四日だった。今でいう、民家を「リノベーション」して作った、いわゆる「オルタナティブスペース」である。当時、私は、両親から譲り受けた 二軒長屋に住んでいた。片方の長屋は、フローリング張り の古い洋室があり、その家に遊びに来た友人アーティストが、「ここ、SHOPに向いてるね!」という一言から、「ART SHOP」をして見てはどうだろう?というアイデアが浮かび、早速ショップ開設に向けて動き出した。民家の外壁を白いペンキで塗り、ある程度形になったと ころで、友人アーティスト数名に、作品 提供をしてもらい、 自分の作品も併せて、とりあえず「 ART SHOP」の原型はできた。早速、SHOP 開設のオープニング パーティーにこぎつけた。同時に、友人 アーティスト二名が、 K.ArtMrketパブリッシュのアートフリーペーパー 「LOVE&ART」を制作、発行してくれた。当時、パソコ ンの黎明期で、まだ珍しかった Macで記事を書き、コピー 機で刷って制作したフリーペーパーで、アルバイトをしな がらの K.ArtMarketの運営、フリーペーパーの編集等、 まったく模索の作業であった。

フリーペーパー”LOVE&ART”

やがて、二軒長屋の家を隔てていた壁面をぶち抜き、通路を作り、隣の家にギャラリー空間を作った。看板造りから何から何まで、自分で出来ることは、全て自分でやったが、素人ではできない大工仕 事、電気工事等は、業者の手を借りた。そして、ART SHOP&GALLERYの原型が出来上がった。委託販売する作品と展覧会を友人アーティストに頼み、活動が始まった。アル バイトをしながらのスペース運営で、最初は、土日だけの SHOP&GALLERYだったが、定期的に、展覧会をしてくれる友人アーテストにも恵まれ、縁が縁を呼び、 K.ArtMarket は、徐々に存在感をつけていった。「K.ArtMarket」というスペース名は、「Market」の直訳 が「市場」と訳せ、「市場」とは、様々な人が、いろいろな物品を売り買いする場である。様々な社会的立場の人々に、 市場のようにオリジナルを提供したいという思いがあった。 K.ArtMarket のコンセプトは、「有名な画家やデザイナーの複製画や、ポスターを部屋に飾のもいいが、SHOP で、たとえ無名作家の作品でも、自分が気に入ったオリジナル作品を手に入れ、自宅で楽しんでほしい」というものであった。購入者は、安いとはいえ、有名ではないアーティストの作品を買うというのは、自分の価値観を試される。K.ArtMarket とは、そんな場でもあった。また、名古屋と いう地方都市にも、このようなオルタナティブスペースが徐々に増え始め、数年後には、名古屋のテレビ局や、タウ ン誌が「インディーズアートブーム」と呼び、名古屋という都市の一つのアートシーンとして盛り上がった。

 ※インディーズアートブーム
K.ArtMarket 発足後、名古屋を中心として、空前のイン ディーズアートブームが起きる。愛知各所でオルタナティブスペースが、次々と誕生して、名古屋のインディーズシーンは、一気に活気づく。犬山のキワマリ荘、上小田井のdot、N-Mark と K.ArtMarket。その他でも、本山のマカ シラハログナ、岡崎の eggs、末盛通のスペースガランス、 栄のBATHROOM、さくらアパートメントなどなど、毎月、 名古屋の若者向けタウン誌や情報誌などをにぎやかした。また、K.ArtMarket も、FM ラジオのDJ さんが取材 に来たり、テレビ局が取材に来たりと盛り上がりを見せた。 また、LOFT名古屋主催の「インディーズ・アートコレク ション」に作家を送り込んだりした。また、アートフリーマーケットも活発に開催され、そのころ始まった、大規模 なアートフリーマーケット「クリエイターズマーケット」 などもスタートして、現在も、ものつくりの祭典として健在である。私も、K.ArtMarket 代表として、Bゼミ(横浜) でのシンポジュウムにパネラーとして呼ばれ、名古屋は、一つのシーンができるには、大きすぎず小さすぎず、ちょ うどいい規模の都市であるとお話しした。

 ※LIVE PAINT
また、K.ArtMarket 設立から三年目の1998 年、企画会社に勤めていた弟から、自分が担当している規模の大きなフリーマーケットにて、「LIVE PAINT」をやってみないか?というオファーがあり、早速引き受けて、最初は、自分一人による LIVEPAINTをパフォーマンスした。会社の方にも好評で、次回は四人く らいで出来ないか?というこ とで、春夏秋冬、年 四 回あったフリーマーケットで、毎回、 四名のアーティストが、 LIVEPAINT をパフォーマンスすることとなった。当時、「公開制作」という言葉はあったが、「LIVE PAINT」という言葉は一般的ではなく、 「PAINTING PERFORMANCE」とか「PAINTING LIVE」という言葉で、パフォーマンスしていた。


PAINTING LIVE


また、名古屋のセントラルパークという中心街にある公園でも LIVE PAINT を開催した。ここでも、K.ArtMarket のコンセプ ト、アートをより一般人の方にアピールしたいという思いは貫かれていて、フリーマーケットに訪れるファミリーな どの一般人の中でのパフォーマンスとなった。その後、 K.ArtMarket 運営の「PAINTING LIVE」は、合計38回開催された。LIVEPAINT の醍醐味は、完成された作品を鑑賞する、というよりも、アーティストが筆を動かしているパフォーマンスを観る、というライブ感に魅力があるので はと考えている。また、「PAINTINGLIVE」を開催して行 くうちに、子供たちの反応が良いことに気が付き、キッズ コーナーを開設すると、多くの子供たちが夢中になって絵を描いてくれて、一つのワークショップの場のようになった。

※LA からの訪問者
K.ArtMarket を運営していく過程で、ロサンゼルスのアーティスト、BRETT WESTFALL氏との出会いも、一つの収穫であった。彼は、かねてから日本に魅力を感じていて、当時の日本人の友人に、「日本でいいギャラリーはないか?」と尋ね、たまたま、その友人が名古屋出身で、K.ArtMarket を知っており、BRETT 氏は、K.ArtMarket に長い FAXを送信し、私共にアプローチしてきた。当時は、インターネットも始まったばかりで、専ら私の拙い英語と、FAXが頼りだったが、何とか K.ArtMarketでの BRETT 氏の初個展が実現した。また、彼とは来日時、 コラボレーションの作品創りもした。その後も交流は続き、BRETT 氏の当時の友人のアメリカ人もその後来日し、こんどは、私も含めた日米三人展が K.ArtMarket で実現した。その後、BRETT氏は、アパレル関係の仕事もしながら画家を続けた。大手ファッションブランドとも アーティストとして、またファッションデザイナーとして コラボレーションを果たした。K.ArtMarket でも、T シャ ツに自分の作品をシルクスクリーンでプリントした作品の個展も開催してくれた。彼は、服に絵を描いたり、シルクで刷ったりする自分の仕事を、「ファブリック・アート」と 呼び、布の彫刻のようなものだと話していた。

 ※ホームページ作り、DM 作り
K.Art Market開設当時は、パソコンが普及し始めたころで、自分も独学でフォトショップ、イラストレーター、 PAGE MILL(Web ソフト)を学び、当時高価だったMac を購入し、K.ArtMarket の運営にも活用し始めた。また、 デザイン事務所のバイトの経験も活かし、パソコンで DM を創るノウハウを学び、DTP の基礎も培った。また、イン ターネットも普及したばかりで、ダイアルアップといい、 電話回線にモデムを繋ぎ、インターネットをする時代で、 ホームページを閲覧しようとしても、なかなかページ表示 にも時間がかかり、モザイク状のイメージが、じわじわと出てくるといった感じだった。ダイアルアップは、ネットを繋ぐと、電話が出来ないという不便さがあり、今のパソ コン環境からは考えられない原始時代であった。それでも、 ISDN,ADSL 回線等の普及により、徐々にインターネット 環境が整い、独学で作っていたホームページも、徐々に充実していった。

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以上が、K.ArtMarketの始まりからの経緯である。

                                                                                                            

目次                                                                                                       第八章へ


 

 

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