生理的に無理と自己理解の話
生理的に無理という概念について考えてみましょう。
「あなた生理的に無理なんだ」と言われたら、
相当きついです。
では、この「生理的に無理」とは一体何を意味するのでしょうか。
🛡️
私にとって、生理的に無理なことの一例は、
無抵抗な動物への暴力です。
仮に野良犬が歩いていたとします。
何もしてないんですよ。
その犬のお腹を蹴り上げる人は、
私は生理的に無理。
一方で、誤解されがちな精神的に不安定な人々は、
ある程度許容できます。
人間が壊れた時にどうなるかを少し知っているから、
まあまあ大丈夫なこともある。
これは、自身の経験と、
家族の療養や介護の経験から得た知識によるものです。
🛡️
しかし、「生理的に無理」という感覚は
上書き更新されることもあります。
私の父の例を挙げましょう。
父は幼い私に「外で泣き止んで、家では泣かないもんだぞ」と言いました。
これに対し母が「家の中で安心して泣くことができなくてどうするのか」と指摘し、
父は自身の考えを改めました。
戦争で壊れてDVの鬼だった父方の祖父が原因で
父は自身が安心できなかった子ども時代に気がつきました。
価値観は育った環境で異なる。
だから、必ずしも価値観は本人の責任ではないこともある。
環境の要素があるから。
私の父のように、誰かからの指摘で
気がついて変わることもできます。
🛡️
「生理的に無理」という感覚は、
自己理解の重要なツールになり得ます。
パクチー、お酒、くさや。
それぞれダメな理由は異なりますが、個人差あることは共通。
大切なのは、うまく言葉にできないけど
それすごく嫌ですという感覚を自覚し、
そこから離れることです。
言語化や分析は安全な場所でやればいいから。
「生理的に無理だったら離れる」という対処法を取ることで、
不必要なストレスを避けられます。
同時に、偏見や攻撃の根拠になるのは問題だから、
自己理解やストレスマネジメントの文脈で
用いることを勧めます。
🛡️
「生理的に無理」という概念は、
自分自身と他者との違いを認識するための有効な手段です。
これを通じて、自分の限界を知り、
同時に他者の感じ方や文化を尊重する姿勢を養うこともできます。
抽象化すると、我々は全員違うけど
どうしても許せないし受け入れられないことが
言葉にするまでもなく強固にあるという
共通点は普遍的です。
🛡️
あなたにとっての「生理的に無理」は何ですか。
そして、それはあなたに、どんな気づきをもたらしましたか?
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