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なぜこの世界はこんなにも不平等なのか

横浜美術館の前にある噴水広場で、子供たちがきゃっきゃきゃっきゃとびしょ濡れになりながら遊んでいた。保護者の方々はそれを見て笑顔になり、スマートフォンにつく小さいレンズで子供たちを必死に追いかける。

とても平和で幸せに満ちた空間であったので、心がポッと暖かくなったと思ったその瞬間に、「あること」が頭に浮かび一気に絶望に変わった。

なぜこの子供達はこんなに幸せで恵まれているのに、地球の裏側では飢餓で亡くなる子供達がいるのだろう。人身売買に出されたり、性奴隷にされたり、小さい頃からゴミを漁って商売をしなければならないのだろう。

海外だけでなく日本にも相対的貧困は存在している。家庭内暴力や性暴力で心を病んでしまい、一生その傷を負いながら生きていく必要のある人も存在する。その人たちは何か悪いことをしたか?何も悪いことはしていない。なぜ生まれただけで苦しい思いをしなければならないのか。

少年犯罪だって成人の犯罪だって、全ての人ではないが多くの人は家庭環境に恵まれなかったり教育を受けられなかったりしている。実際に認知の歪みや学習障害などで、あと先のことを考えられないという人も多い。犯罪を肯定するわけではなく、絶対に許されないことだが、本当の意味で彼らを責めることはできるのか?

そういった社会の問題にも同じ人間として責任を持ち、恥じるというのが人間の道理であり義務ではないのか。当然その怒りや憤りは自分に向けてのものである。自分のどうしようもない平和ボケを恥じ、無神経さを恥じた。

こんなに恵まれているのだから、絶対に社会に還元しなくてはならない。社会からスポットライトが当たらない問題に取り組まなければならない。そう強く決意すると同時に、自分の無力さを知って体全身から力が抜けていった。

そうして力が抜けていった体になんとか喝を入れるため、拳を強く握った。「絶対に責任を持つ。生まれた環境が違うだけで差が生まれるなんておかしい。不平等は無くならないかもしれないが、徹底的に立ち向かおう。」そう決意した瞬間、全身に力強く血液が流れ始めた。白黒となっていた世界が彩りを取り戻し、子供たちの甲高い声が鼓膜を震わせる。

「そのためにはまだまだ自分の力が足りない。自己犠牲をして他者に手を差し伸べるとお互いに不幸になる。自分が与えるだけの余力を持たなくてはならない。そのための道のりはまだまだ遠い。でも着実に一歩一歩進むしかないのだ。」

気づくと僕はその場を立ち去り、太陽の向く方向へ力強く一歩を踏み出し、歩き始めていた。

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