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日本語とドイツ語 バイリンガル教育② 日本に帰国してから続けていること
前回の記事の続きです。
娘が6歳の時、小学校に入学する直前に帰国しました。
それまでの日本語については、ドイツにいる時も私と夫は常に娘に日本語で話していました。娘も基本的には日本語で私たちに話していましたが、所々、ドイツ語の単語が混ざる時もありました。
また、週に1回、日本語の補習校にも通っていました。家では日本のアニメなどのDVDも見たりしていました。
帰国した時点では、ややドイツ語の方が
日本語とドイツ語 バイリンガル教育①
現在小学4年生の長女は、1歳半から6歳までドイツのベルリンで育ちました。
日本の小学校入学直前に帰国した時点では、日本語よりドイツ語の方が強かったと思います。
現地での言語習得の様子と帰国後どのようにドイツ語を維持しているのかについて、2本立てで書きたいと思います。
1歳半当時
ベルリンに行った当初は、知り合いは日本人しかいませんでした。しかし、入居したマンションに、偶然にも娘と同い年の子供
小学3年生オルソケラトロジー始めました その後
娘がオルソを始めてから、もうすぐ1年になります。
娘は小学4年生になりました。
1年近くオルソを続けてきて、困ったことは、前回の記事で書いた1回だけです。それ以降は、大きなトラブルもなく続けられています。
ただ、コンタクトレンズの装着、洗浄などは変わらず親の私が行っています。朝も娘を起こして、すぐコンタクトレンズを外さないといけないので、やはりなんとなくプレッシャーはかかります。そのため、週
ドイツの幼稚園に入れたら、こんなことがありました②
前回の記事で娘の慣らし保育について書きました。
何とか園での生活に慣れたと思っていましたが、次のハードルはお昼寝でした。
当初、娘の保育時間は5時間で、同じ保育時間の子どもたちは、9時に登園してお昼寝をして14時に迎えに行くという流れでした。
娘は慣らし保育中は、お昼ご飯を食べた後にお迎えに行っていました。お昼寝はまだしないのかなぁと思っていた頃、いよいよ先生から
「明日はお昼寝もさせてみ
ドイツの幼稚園に入れたら、こんなことがありました①
記事をお読みいただきありがとうございます。
私たちは、上の娘が1歳半から6歳過ぎまでドイツのベルリンに住んでいました。
約5年間のドイツ生活の中で色々なことがありましたが、今回は娘の慣らし保育のエピソードについて書きたいと思います。
ベルリンのKita(保育園、幼稚園の総称)は、両親が働いていても、働いていなくても、子供が1歳から保育の権利があるとして、園に空きがあれば、すぐに入ることができ
小学3年生オルソケラトロジー始めました④
この記事では、オルソを始めてから2ヶ月ほど経ったある日、娘を緊急で眼科に連れて行った時のことを書いています。
今オルソをしているお子さん、そして、これから始める方にも起こりうるトラブルだと思います。こういう経験をすることもあるんだな、と読んでいただけると、今後同じようなトラブルにも対応しやすくなると思います。
娘もたくさん痛い思いをして、私もかなり凹んだ出来事なので、有料記事とさせていただいて
小学3年生オルソケラトロジー始めました③
恐怖心が強い娘に、毎日コンタクトレンズを装着するのはとても大変でした。怖くて目をつぶってしまうのはもちろん、コンタクトレンズから逃げようと体も勝手に動いてしまうほどでした。
下の娘がまだ小さいので、レンズの装着に時間がかかるとグズってしまい、何とかすぐにレンズを入れられるようにならないか、と毎日試行錯誤を重ねました。
この記事では、私たちが試したやり方を何個か紹介します。良かった方法、効果のなか
小学3年生オルソケラトロジー始めました②
この記事では、娘がオルソを試してみると言ってから、実際のトライアル1週間の様子について書いています。
オルソを試すと決めてから、すぐに眼科の予約を取りました。眼科では、まずオルソができるか目の状態の検査をし、実際レンズを装着してさらに検査、最後に親子でレンズの装着練習をしました。
まず視能訓練士さんがお手本でレンズを入れてくれるのですが、娘も初めてにしては瞬きも少なく、すんなりとレンズを付ける
小学3年生オルソケラトロジー始めました①
記事をお読みいただきありがとうございます。
私の娘は現在小学3年生ですが、今年の6月にオルソケラトロジーを始めました。
オルソケラトロジーとは、夜寝る時に専用のハードコンタクトレンズをつけ、朝レンズを外し、日中は裸眼で過ごす、という近視の矯正法です。眼鏡や日中のコンタクトレンズとは別の方法です。
ナイトレンズと呼ばれたりもしますが、名前が長いので、この記事の中ではオルソと呼ぶことにします。