「街の書店」を救うただ1つの方法
減少する街の書店を救うため、経済産業省が乗り出した、というニュースが、SNSで大きな反響を呼んでいた。
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店新興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
(読売新聞 3月5日)
その反響を読んでいると、みんな「街の書店」への思い入れがすごくて、ちょっと話題に入るのが恐いほどだ。
公的支援を歓迎する声もあるが、批判も多い。支援の方向がちがう、こういう支援のほうがいい、というリアル書店や出版関係者からの指摘も多かった。
街の書店ーーリアル書店を救え、という話は、マスコミで定期的に話題になる。
文化の危機だ、とか、他国ではもっと保護されている、とか。
わたしも、そのたび、noteで記事を書いてきた。
わたしは出版界にいたので、本屋さんにはたいへんお世話になっている。
だから、心苦しくはあるが、
「公平性の観点から、書店だけ特別視するのはおかしい」
「見直すなら、再販制度を見直せ」
というのがわたしの基本スタンスです。
本屋の美談に騙されるな(2021年11月9日)
書店とパチンコ店 どっちの減り方が大きいか(2022年5月9日)
「書店離れ」でマスコミが伝えないこと(2022年12月8日)
こだわりをもった書店経営者は、言われなくても、すでにさまざまな努力をしているだろう。
いまさら経産省が「商売の仕方を教える」なんて、ナメてんのか、という意見もけっこうありました。
でも、「街の書店」でいうなら、地価の安い地方には、昔ながらの、ただ本を並べて置くだけの商売をしているところも、まだたくさんあるのだと思う。
経産省の「指導」は、そういう書店を対象にするものかな、というのが、わたしが最初に思ったことでした。
書店振興の「深読み」
今回の経産省の乗り出しに、こんな「深読み」をする人もいました。
政府が著作物再版制度に触る時はメディアに圧力をかけたい時なので、これから岸田政権なりに解散に向けた環境を整えようとしている
(宇佐美典也 3月5日)
これはまた深い読みだなあ、と感心しました。
わたし自身は、むしろ逆の方向の「深読み」が、ちょっと頭に浮かびました。
つまり、これは経産省がメディアと連携しておこなっている、と。
「街の書店」保護の次は、「街の新聞販売店」保護に進む、と。
いま新聞社がいちばん望んでいるのは、公金で台所を安定させることだと思う。要するにNHKみたいになりたい。
軽減税率とか学校への新聞の導入とか、そのためにいろいろやっている。
新聞販売店の維持が、いま非常な負担になっている。
そこで、「新聞販売店」保護の世論を喚起したい。そのための前段として、まず「街の書店」保護を定着させ・・みたいな。
いまに、経産省の指導で、カフェつきの新聞販売店とかが現れるかもしれない(それはそれでおもしろいかもしれない)。
本当に「本は売れてない」のか
でも、こういう議論の大前提として、まずは「出版不況」「本が売れない」という常識を疑うべきだと思うんですね。
書店が減っているのなら、出版社だって減っているはずだ。だけど、かならずしもそうなっていないのは、変じゃないですか。
出版社の多くは中小企業であり、世間並みの苦労はしているでしょう。わたしも中小でしたから、その苦労は知っています。
でも、上位の大出版社は、空前の利益をあげています。集英社、小学館などは、大学生の就職人気企業上位に入っている。
前に書いたかもしれないけど、わたしと同年で、そうしたトップ出版社に入った友人に聞くと、高給であっただけでなく、生涯、死ぬまで、企業年金が出るそうですよ。
もう嫉妬でもだえ死にそうになりましたよ。一部の「名誉職員」だけだとしても、いまは新聞社でもそういう制度はなくなっています。社員をそんな厚遇できる企業は、日本のなかで一握りでしょう。
街の書店がばたばた倒れているいっぽうで、なぜそうした現実があるのか。
本は売れているか、売れていないか。それは「本」の定義による、というのが答えです。
活字の本は減ってるけど、マンガはすごく伸びてる。それについても、以前書きました。
出版市場は急成長している(2023年4月18日)
2月26日に出版科学研究所が発表した、2023年の最新データでも、コミック市場が成長し、出版全体のほぼ半分を占めていることが明らかになりました。
紙と電子を合わせたコミック市場は、前年比2.5%増の 6,937億円。内訳は紙のコミックス(単行本)とコミック誌を合わせた推定販売金額が同8.0%減の 2,107億円、電子コミックが同7.8%増の4,830 億円。電子コミックが牽引し、6 年連続のプラス成長となりました。コミック市場のシェアは紙が30.4%、電子が69.6%で約7割が電子の売り上げです。出版市場におけるコミック(紙+電子)のシェアは同 2.0 ポイント増の43.5%に達しています。
(出版指標 2024年2月26日)
2023年の出版全体の規模は、前年比2.1%減の1兆5963億円でしたが、その約半分(6937億円)を占めるコミック市場は、前年比2.5%増で、いぜん成長している。
それなら、街の書店は、活字の本は半分以下に減らして、成長商品であるコミックを売ればいい、ということになりそうです。
売れ筋の商品を仕入れず、売れない商品ばかり並べて、それで店が潰れるとすれば、お店の自業自得です。
しかし、お店に並べる、活字本とコミック本の比率を変えるだけでは、解決にならない。
上の記事にあるとおり、コミックのなかでも、紙のコミックとマンガ雑誌の売り上げは減少しているからです。
紙のコミックを並べても、売り上げは減っていく。
つまりは、デジタルのコミックだけが伸びている。電子コミックは、なんと前年比7.8%の成長ぶりです。
ここから予想されるのは、
・近い将来、コミック市場が活字市場を上回る
・コミック市場のなかでも、電子コミックだけが伸びていく
・やがて、電子コミックだけで、出版全体の半分を超すようになる
ということですね。
これは、ある意味、明るい将来ではないでしょうか。
今回の書店振興策に関し、経産省は、以下のように言っています。
経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。
(前掲読売記事)
それなら、国際競争力があることが証明されているコミック市場を、デジタル化でさらに伸ばして、「海外に勝ち抜く」ことを考えるべきではないでしょうか。
では、そのなかで、「街の書店」はどうなるのか?
まず、書店の前に、「活字と紙」にこだわる出版社が淘汰されていくでしょう。
そして、電子コミックに強い出版社が覇権をにぎり、街の書店は消えていきます。
マンガを「文化財」として祭り上げよう
でも、書店の「一発逆転」策は、あると思う。
今回のSNSでの反響のなかにも、
「国は、図書館に地元の本屋から本を買わせるようにしろ」
という本屋さんがけっこうありました。
そう、図書館の存在。これがけっこう大きい。
わたしがなぜ、本を買わなくなったか。
地元の図書館で借りられるからです。
わたしがなぜ、マンガを読まないのか。
地元の図書館に置いてないからです。
わたしだって、マンガを読んで、若者の話題に追いつきたい。
でも、貧乏老人にはマンガは読めない。
なぜなら、マンガはすべて有料だから。
マンガ出版社が、なぜ大儲けしているかというと、マンガおよびアニメは「カネを払わないと見られない」仕組みを確立しているからですね。
この仕組みのおかげで、最近はアニメを上映する映画館ふくめた映画界も、うるおっている。
(それはつまり、出版業の「出口」が映画館になっているわけで、本来、出版業で書店が得るべき利益が、映画館にもっていかれている状態かもしれません)
この仕組みを守るために、著作権違反のサイトを鬼のように取り締まっている。
いっぽう、活字本には図書館があり、話題の本でも、待ち時間はかかるけど、タダで読むことができる。
なぜ、図書館が活字本によって占められ、(例外はあれど)マンガは置かれていないのか。
それは、活字本のほうが「文化」を代表している、という誤った認識があるからです。
要するに、活字本のほうがエライという価値観がある。
そのため、国や自治体が、活字本を貸す図書館に税金をそそぐから、逆に活字本の売り上げを、ひいては「街の書店」を、減らしているわけですね。
マンガについては、そのキャラクター権についてまで、非常に厳しい、つまり「カネ」がともなう、という共通認識が、国際的にある。マンガの権利は、ディズニーさんなり藤子さんなり「ひとさまの持ち物」だから、と。
いっぽう、活字の情報については、「人類の共有財産」みたいな観念があるんですね。だから、基本的には、タダで提供されるべきだ、とみんなどこかで思っている。図書館というものがあるのも、もっといえば、公教育で「読書」を学ぶのも、そういう観念があるからです。
それが、「活字文化はエライ」という思想の帰結なんです。
「活字文化は貴重だ」「大切だ」という価値観自身が、
「紙の出版はカネより大事なものだあ」
「活字出版のわたしたち、ほかの下賤な人たちとちがい、とても大切な文化活動をしてるんだ」
みたいな思想を生み、やせがまんの生産性の低い出版活動を常態化させ、それによって書店も道連れにしている。
そのうえ、「活字文化は大事だあ」と国まで乗り出して、過保護で産業を衰退させる。そういう皮肉な構造がある。
すなわち、「活字文化」がみずから「活字文化」の首を絞めている。
だから、活字本のほうがコミックよりエライ、というこの間違った認識を逆転させるのが、街の本屋を救う唯一の手段だと思う。
「いやー、いまやマンガこそ文化の華ですよねー。活字本なんて、お恥ずかしい限りで」
「マンガさまを差しおいて、図書館に活字本が置いてあるなんて、おかしな話ですから、これからは図書館にはマンガだけを置くことにしましょうよ」
と、国をあげてマンガ出版社とマンガ家をおだてればいい。
「あ、そうかな・・」
とマンガ側が思ってくれたら、しめたもの。
図書館の予算は、すべてコミックの買い上げに回され、活字本は図書館から駆逐される。
その結果、だれでもコミックは図書館でタダで見られるようになり、活字本は街の本屋でカネを払って買うしかなくなる。
そうすれば、わたしのような貧乏人もコミックを読めるようになり、街の書店も存続が保証される。
めでたし、めでたし。
ほんと、街の本屋さんを救うために、それ以外の方法がありますか?
(これは結局、マンガ出版社の利益の一部を、強制的に活字本市場に移転する施策なのかもしれません。図書館の蔵書の一部をコミックに変えるだけでも、その効果はあるはずです。つまり、国がコミック出版社に、「もうかってんだから、すこし譲れ」と言えばいい。それが正しい施策かどうかはともかく、経産省の「書店振興」よりも現実に合っているのでは)
<参考>
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