「書店離れ」でマスコミが伝えないこと
街の本屋が少なくなっている、心配だ、というのはマスコミの定番の話題ですね。
昨日も、日テレNEWSでやっていた。
「10年で3割減 書店限界」(日テレNEWS)
活字離れ、電子化だけではない、書店が潰れる理由がある。それが書店の利益率の低さだ、というのが、このニュースの趣旨だ。
しかし、
「おいおい、そこじゃないだろ」
とツッコミたくなったのは、私だけではないだろう。
問題は再販制だ、と。
しかし、そこに触れられない理由が、マスコミにはあるんです。
再販制のせいで本屋は何もできない
再販制と略称されるけど、正しくは再販価格維持制度、ですね。
商品(本)を、メーカー(版元)が決めた「定価」で売ることを、小売店(書店)に義務づける制度です。
メーカーが小売店の販売価格を縛るのは、公正な競争を阻害するので、独禁法違反です。商品の所有権は、小売店が仕入れた段階で、メーカーから小売店に移っている。小売店がそれをいくらで売ろうが自由です。だから普通の商品に「定価」はなく、「メーカー希望小売価格」とかしか表示できない。
その独禁法の例外が「再販制」ですね。本来、独禁法違反だけど、特別に違反じゃないことにします、ということ。
これが、日本では著作物(本、雑誌、新聞、CDなど)について認められている。
だから、本屋に並んでいる本は、厳密には本屋のものではない。メーカー(版元)のものだから、売れなかったものについては、版元に戻るわけです。
本屋は商品を並べてるだけ。本が売れてる時代は、楽な商売だったんです。で、いま、本が売れなくなったから、手のほどこしようがなくなっている。
いま、「定価」の本が売れると思いますか?
たとえば、いま「ウクライナ戦争」についての本がたくさん出てますよね。
しかし、ウクライナ戦争の情勢は、刻々と変化していく。
1年後に、いま出ているウクライナ戦争の本が売れるとは思わない。もう情報が古いから。1年前の新聞が売れないのと同じです。
しかし、書店では、その1年前の「新聞」を、新刊のときと同じ「定価」で売るしかない。
そんなもん、だれも買わないだろう。
商品価値の高いときは高く売って、価値が落ちたら安く売る。それが普通の商売だが、書店にはできない。
再販制のせいです。
でも、それをマスコミは伝えないんですね。
逆に「街の本屋」が増えているアメリカ
日本と対照的に、アメリカでは本屋が増えている。
アメリカでも一時期、アマゾンなどに押されて大手書店が苦境となったのですが、最近はインディペンデント系、まさに「街の本屋」が増えています。
全米書店協会(ABA)の会員数と会員社が持つ店舗数が2009年(会員数1401、店舗数1651)からずっと、少しずつではあるが毎年増えている(2018年の会員数1835、店舗数2470)
(「アメリカの書籍出版産業2020」hon.jp)
アメリカで書店が増えているのは、再販制がないからです。
商売の仕方が根本的に違うわけです。
少し長くなりますが、上の記事から引用するとーー
日本の書店とアメリカの書店の流通システムを比べると、根本的に違う点がいくつか挙げられる。まず最初に再販制による定価で、どの店で買っても本の値段は同じになる日本ではわからない感覚だが、ベストセラーリスト入りしたような、いわゆる「売れ筋」の本はいったん売れ筋になってしまえばアマゾンやB&N、そしてウォルマートやコストコといった量販店で、時には半額などというディスカウントで売られる。
なのでインディペンデント書店で売れ筋のベストセラーを取り扱っても全く旨味がないということになる。むしろ、その「売れ筋」を作るのがインディペンデント書店だ、という認識が出版社の方にもある。インディペンデント書店にとっては、ディスカウントをしないでも定価近い値段で買ってもらえる本の方が儲けのマージンが大きい。むしろそういった本をプッシュして買ってもらえる方がいいのである。
だからインディペンデント書店には今売れている本ではなく、これから売れそうだとバイヤーが選んだ本が並んでいる。それが実際に売れるかどうかは買い手の貴方如何ですよ、とインディペンデント書店の平台の本がささやきかけてくる。
アメリカには流通からの見計らい本というものがない。出版社の営業(セールスレップ)は「刊行前」に初版の注文を取るために書店に営業をかける。予定されているプロモーションも、刊行日に掲載される書評も、すべて準備を整えてから本が世に出る。インディペンデント書店はひたすら出版社のカタログ(遅くとも刊行日の6ヶ月前に入手できる)と睨めっこして、目利きであるバイヤーが自分の店で何を何部置くかを決めるのだ。
日本のように書店員が担当の棚を持ち、売れ行きを見ながら補充することもしない。出版社の営業が本を売る時間を奪いにくることはないし、注文してもいない本が次々に届いて返品の発送に追われることもない。
要するに、アメリカの街の書店は、売れそうなものをバイヤーが厳選して、なるべく高く売ろうとする。それで利益をとるのです。
それは、「再販制」がない、日本の街の魚屋さんや八百屋さんが毎日やっている苦労と、同じです。
日本で、再販制がなくなったら、自動的に本屋が生き延びられるわけではない。苦労が増える。しかし、それをしてこなかった、やろうとしてもできなかったのが日本の書店業界なわけです。
日テレNEWSは、書店の利益率を増やさなければ、書店は生き残れない、と言う。しかし、書店の取り分を増やせば、その分、版元と取次の取り分が減るだけの話で、本の「定価」がますます上がるか、業界全体をさらに疲弊させていくだけでしょう。
再販制廃止に全力で反対したマスコミ
だから、日本でも再販制を廃止したほうがいい。
実際、1990年代の規制緩和・行政改革運動の一環として、政府は著作物の再販制廃止の検討を進めました。
しかし、これに猛然と反対したのが「新聞・雑誌・書籍」の業界団体でした。
その中でも、最も戦闘的だったのが、ナベツネが会長だった日本新聞協会です。
彼らは、再販制を廃止した場合のメリットを国民にあまり伝えず、それは「活字文化を破壊する」といった、規制緩和反対キャンペーンを強力に展開したのでした。城山三郎などの文化人を起用し、規制緩和は「言論弾圧だ」などの紙面を作っています。
当時、行政改革委員だった三輪芳郎(東京大学教授、当時)が、以下のような抗議文を残しています。
著作物、とりわけ新聞の再販制度廃止に反対する日本新聞協会のキャンペーンは、行革委規制緩和小委の最終方向が決定される日(1995年12月7日)の直前にピークを迎えました。あまりに一方的で手前勝手、真実と程遠いキャンペーン(業界人によれば「報道」だそうです)の内容に不満を持ち、意見表明の場を探しましたがかないませんでした。
1994年秋からそろそろ始まった「報道統制」は、1995年7月頃には確たるものとなっていましたから、送り状でも「新聞・雑誌・書籍の三協会の鉄の団結の前に、公表するメディアを見つけることが容易ではない見通しです」と記しました。誰もが、「あの雑誌なら・・」と考えそうなものほとんどに掲載を依頼しましたが、予想通り、「雑誌はともかく、社の方針ですから」とすべて拒否されました。
(三輪芳郎『規制緩和は悪夢ですか』東洋経済新報社)
三輪の言うように、再販制の是非については、国民の前で公正に議論し、国民の判断を仰ぐべきでした。
しかし、報道機関が「再販制維持」で固まっているので、一方的な話しか国民には伝わらない。
まあ、2019年の消費税値上げ(8%→10%)で、新聞業界が軽減税率(8%)を勝ち取ったときと、同じようなパターンです。軽減税率の新聞への適用は、逆累進性がある(いまどき新聞をとってるのは金持ちだけだから金持ちに有利になる)から反対だ、という学者の声は、封殺されました。
この1990年代でも、「再販制見直し」は、国民がよくわからないうちに、マスコミ業界の反対によって「見送り」となりました。
あのとき規制緩和していたら
いま振り返ると、この規制緩和の議論がされていた時期は、まさに日本のマスコミの将来がかかっていた時期でした。
1995年。そう、「ウィンドウズ95」で、インターネットが爆発的に普及しはじめたときです。
このとき(正確にはその爆発が全体に波及した97年あたり)を境に、書籍・雑誌・新聞の売り上げは減少していくのです。
しかし、新聞は、規制緩和を見送ったことがその原因だと決して認めず、1997年の消費税引き上げ(3%→5%)が部数減の原因だ、と、ずーっと言っていました。
私は、業界の中にいて、それは違うんじゃないかと、ずーっと思っていました。
しかし、消費税が上がったから部数が減った、と新聞は思い込んでいるもんだから、次はどうしても軽減税率を勝ち取らねば、となっていったんですね。
軽減税率になったけど、どうなんでしょう、新聞の減少は減ったんでしょうか?
あのとき、本気で日本の規制緩和がおこなわれていたら、マスコミ業界だけではなく、日本全体の未来はずいぶん変わったろうと思います。
いい方向に変わった、と私は思います。少なくとも、可能性は広がった。しかし、ナベツネ率いるマスコミ軍団が、それを潰した。
こういうことが、街の本屋の減少につながっているんです。
こういうことを、マスコミは国民に知らせるべきなんです。
しかし、マスコミは伝えない。まして、日テレNEWSにできるわけがない。まだナベツネも生きてるしね。
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