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岸田秀が産んだ「新保守」

(以下、敬称略)

「ものぐさ精神分析」が愛読書


1年以上前の動画だが、若手の保守派、茂木誠と浜崎洋介の対談を見ていると、二人とも岸田秀の影響を受けたと言っていて、わたしは驚いた。

故郷喪失者の日本近代/浜崎洋介さんに聞く01(もぎせかチャンネル 2022/9/23)


浜崎が2020年に出した『三島由紀夫』を読んだとき、

「これは岸田秀のパクリでは」

とわたしは感じた。

三島が身体的実感をともなわない「空虚」を生きていた、というのは、岸田が言っていたことである。

でも、岸田の名前が出てこないので、似ているのは偶然なのかと思っていた。


しかし、浜崎が2022年に出した『ぼんやりとした不安の近代日本』では、明示的に岸田の議論を使っているという。

それに触れて、茂木誠は上の動画で、こう言っている。



『近代日本』を拝読しまして、最後の方ですごく懐かしい名前出てきて。

岸田秀という。

僕が大学時代に読んで、いちばん影響を受けたのが「文明の生態史観」の梅棹(忠夫)と、精神分析の岸田秀なんですよ。

(動画7:50あたり)


岸田の本「ものぐさ精神分析」が二人の愛読書だった(上記動画より 左が浜崎、右が茂木)


岸田秀、茂木誠、浜崎洋介には、それぞれ最近、別個に記事で触れたが、岸田と茂木・浜崎が結びつくとは思わなかった。


隔世遺伝? 岸田の「子供たち」?


「岸田秀と伊丹十三」で書いたとおり、岸田という著者は、わたしには1980年代、バブルとポストモダンの時代の象徴だ。

その時代を1978年生まれの浜崎や、浜崎より少し年上らしいがほぼ同世代の茂木が知っているわけはないし、影響もされてないだろう、となんとなく思っていた。世代がちがう。


それに、ポストモダン派のなかに混じってもてはやされた岸田は、どちらかといえば「左」で、伊丹十三と出していた雑誌「モノンクル」に登場していたのも、赤瀬川原平、糸井重里、坂本龍一といった人たちだった。

その点でも、保守派の茂木や浜崎と結びつかない。

(神経症のもとをつくった母親を「憎む」という態度も保守層から批判された)


もっとも、茂木や浜崎に影響を与えたらしい岸田の「近代日本の精神分析」ーー日本はペリーの黒船で「強姦」され、内的自己と外的自己に「分裂」した、といった議論は、当時から保守派の方で反響を呼んでいた。

岸田は、朝日新聞や毎日新聞に登場する一方で、そうした議論を(今よりもっと右だった)文藝春秋などで展開していた。山本七平なんかとも対談し、共感しあっていた。思えば、右とも左ともつかない、ユニークな思想家だった。


国家有機体説


だが、岸田の「近代日本の精神分析」は、岸田の議論のなかで、最も疑問視されたものでもあった。

そもそも、個人心理をあつかう精神分析を、「国家」に適応できるものか。

国家を一つの人格のようにあつかう見方は、明らかに時代錯誤に思えた。

それは、戦中の「国民心理学」や、国家有機体説のような超国家主義を連想させる。

岸田はそうした批判に、有効に反論できていなかった。


だが、茂木や浜崎のような若い保守派は、岸田の議論とともに、国家有機体説を抵抗なく受け入れている。

下の動画では、両者は国家有機体説と社会契約説を対比させ、社会契約説を否定して、有機体説を肯定している。

「国家有機体説は正しい」と説く浜崎(「浜崎洋介さんと保守思想を語る02」より)


社会契約説の虚構、成文憲法は必要か?/浜崎洋介さんと保守思想を語る02
(もぎせかチャンネル 2022/12/26)


こういう議論は、ひと昔前にはまともに相手にされなかった。

理論的には極右もいいところで、たぶん、いまの「表」の論壇でもそうだろう。

それを、ネット言論とはいえ、さらっと論じているあたりは、「時代は変わったなあ」と思わせる。


「実存」に刺さった岸田秀


もっとも、わたしはこの二人を極右とは思わない。

議論のなかで、天皇を神格化する右翼とは一線を画しているのは分かるし、自民党の9条改正案(「加憲」案)を否定する浜崎の議論は、ほとんどリベラルの井上達夫と同じである。

茂木は自身を「7割保守で、3割リバタリアン」と言っていた。


茂木と浜崎は、膨大な数の対談動画をネットにアップしている。

その全部を見たわけではないが、下の動画を見て、岸田秀が二人に「刺さった」理由が分かる気がした。


西部邁に学んだこと/浜崎洋介さんと保守思想を語る01(もぎせかチャンネル 2022/12/25)


この動画は、なぜ二人が保守になったかを、生い立ちから語っている。

1980年前後に生まれたかれらは、ニュータウン育ちで、「故郷を持たない」という意識があるらしい。(浜崎は『反戦後論』という本で、幼少期を過ごした神戸・西神ニュータウンで感じた疎外感から議論を始めている)

そして、茂木の親は朝日新聞ファンらしく、浜崎の親は国語の教師だった。つまり親が四年制大学を出ている「インテリ」の家庭であり、おそらく「リベラル」な家風だった。


二人は親元で、「リベラルな世界観」に適応して育ったのだろう。

しかし、大学に入って親元を離れ、自分探しをするうちに、保守思想に触れて「故郷」を発見し、解放感を覚える。


その実存レベルでの体験を説明するのに、岸田の理論がハマるのだろう。

子供時代の「リベラル」は強いられた「外的自己」で、「保守」がみずからの「内的自己」だった、という。

その実感から、近代日本の強いられた「外的自己」から、古層に眠る「内的自己」を解放する保守思想を指向するのだろう。


彼らの思想には、そういう人生経験に裏づけられた強さを感じる。


岸田思想の弱点


人生のなかでつかんだ実感と、「思想」とが一致するのは、健全なことだ。

岸田秀の理論も、みずからの神経症を治す過程で考えたものだから、人生の実感をともなっているのが強みだった。

そういう点でも、岸田の思想が、若手保守に「隔世遺伝」する必然があるのかもしれない。


しかし、岸田秀の「すべては幻想だ」という思想は、つきつめれば、すべての思想は虚しいという考えに行き着く。

「どんな主張も、しょせん幻想だから、ムキになるな」というのが、彼が繰り返し唱えていたことだった。


岸田の「近代日本の精神分析」論には、愚かな戦争でたくさんの日本人が死んでしまった、というかれの憤りが根本にあると思う。

その意味で、かれの真情があらわれた議論だったと思うが、「すべては幻想だ」という議論がブーメランしてきて、主張の強さを損なってしまう。その主張もまた幻想でしょ、と言われてしまう。いわば思想の自家中毒を起こすのだ。

だから岸田の議論は、結局はソフィストの議論、相対主義に陥らざるを得ない、という致命的な弱さがあった。


また、理論の根拠にも疑問が投げかけられた。

岸田の「精神分析」は、ハードな科学的知見にもとづいたものではない。

精神分析自体が「疑似科学」として退けられる傾向にあり、認知理論や進化心理学などが、新たな科学的心理学を築きつつある。


本人も、ある時期から、社会に発言する熱意を失ったように見えた。

90年代後半には、本人がうつ病になったり、「門下」の伊丹十三が自殺したり、博士号詐称問題などがあった。

そういうことも理由だろうが、岸田の議論が急速に忘れられていった根本的理由は、かれの「理論」の信頼性の薄さにあると思う。

それは、わたしのなかでは、1980年代思想が中途半端に終わってしまったこととも通じている。


同じ弱さを、茂木や浜崎ら若い保守も、共有しているのではないか。

自分の「実感」以外の客観性や真理性が不足して、「言いっぱなし」になっていないか。


そのあたりを、茂木や浜崎はどう思っているのだろうか。

岸田はまだ生きているはずだから、引っ張り出して議論してほしいものだと思った。



<参考>



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