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生き延びたい

どうしてもうつを患っていると、濃度の差はあれ希死念慮が四六時中まとわりつく。
酷い時は死ねる高さでもないのに、発作的に自宅ベランダに身を乗り出しそうになる自分を必死に抑えつけている。
死が怖いのではない。死に失敗した時の後遺症が怖いのだ。私には事故で脊髄損傷した親族がいるのだが、彼の生き地獄の有り様を幼少に見せつけられると、死ぬ事より後遺症を抱えて生きる事は辛く思えた。
そうして中途覚醒したAM3:00,ぬいぐるみを抱き締めて馬鹿みたいに明るい音楽を流して灯りを点け、あまりにも大きな口を開け自分を呑み込まんとしている希死念慮がその爆音で霞むことを祈って、息を潜めながら朝を待っている。

そうしている内に寝不足の朝が来る。
当然、頭は回らないのでコーヒーを流し込んで、プロテインを飲んで何とか出社する。
休日ならそのまま浅い眠りと酷い悪夢を繰り返す惰眠へと落ちていく。
それらは全て、ただ確実に死ねる方法を見つけられないから失敗後の後遺症に悩みたくなかったり、辞表を書く気力もなかったりという消極的な理由だ。

でも今は同じ状況に見舞われても、何とか生き延びたい、そう思えなくても生き延びたいと思えるようになりたいという心持ちで日々を過ごしている。

深く昏い海の底の窒息しそうな水圧を抜け、陽の光の下で美味しいコーヒーに舌鼓を打ち、隣に誰かいてもいなくても笑う。
或いは朝が来なくても対岸がどんなに遠くても、その夜の灯りの元まで泳ぎ、浮き上がり、岸辺へと辿り着く。
今が真っ暗闇でも必ず光の下へと抜ける。

きっと私が知らないだけで、世界にはまだ私に新しい感情を与えてくれるものが沢山ある。
その“何か“に辿り着くためにもここで死ぬ訳には行かない。

“死ねていないだけ“という消極的理由ではなく、“生きて何かをしたい“という積極的理由で生き延びたい。

確かにいま私はそう思っている。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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