見出し画像

うつ闘病日記6/14 〜最悪の体調と引き続くACの孤立〜

今日も目覚めは悪かったです。
特に中々入眠できず、追加的に眠剤を投入しましたがそれもダメ。
そのため悪手ですが食べ物を満腹まで詰め込んで無理やり副交感神経を優位にして胃もたれと吐き気と共に起きました。

仕事はぼんやりとした頭の中、右から左へと他人事のように流れていきました。
自分自身がなぜここにいるのかも不明瞭でした。

ひょっとしたら私は生涯誰からも愛されない価値のない人間なのかもしれない。
また、誰も愛せない根本的な欠落のある人間かもしれない。

そんな思いが雨の日のしつこい歯痛の様に、ずっと私の頭を占拠していました。

周りの障害者を見ても、不思議なことに理解のある親や恋人や配偶者がいるのです。
私にはそのどれもありません。

満たされた人は優しいです。
私が幼少期に虐待を受けていた話をひょんなことから知っていてくれる人も、原家庭の環境にも恵まれ、理解のあるパートナーにも恵まれています。


環境が整っていると世界への基本的信頼があり、正しく愛を注がれたため、要所では危険な人物を遠ざけられる。
すると当然次のステージに進む。
仮に離婚しても直ぐに次のステージに恵まれる。
そのプラスの循環は手に取るようにわかります。

だから彼らが幸福なのは当然なのです。
そうした満たされた人ならではの優しさの恩恵に預かった経験もある以上、私が彼らを嫉妬することは許されません。
彼らはそもそもステージが違う人達なのです。
それはメジャーリーガーに嫉妬する運動音痴くらい滑稽なことでしょう。

ただ、どうにも気分が暗澹としてしまいます。
自分の人生は自分で動かすもの。
それはそうです。
虐待も過去のもの、それもそうです。
そのトラウマ治療に乗り出すには、今の状態では危険だと見送られている自分が一番腹立たしいのです。

来る日もないのに延々とバッターボックスで見当違いの素振りを続ける惨めな障害者のようで。
トラウマが治る頃には体が動かなくなっているかもしれません。
そんな状態で誰と触れあえと言うのでしょう。
この触れ合いたいのに触れ合えない障害をどうすれば良いのでしょうか。
せめて、虐待の様に自分に非のない事だけでもなかったら、今頃スキンシップ一つに氷を背中に入れられた様な寒気を味合わずに、人の掌の温かさに感じ入れたでしょう。

でも今の私には無理なのです。
それでも虚しく時間だけは無情に過ぎていきます。

そうして独りで生涯誰とも触れ合えることなく死んでいく。

そんな自分の未来をぼんやりと予想しながらベランダに出て見上げた空は、曇りで何の光も射していませんでした。
見えた光は目下の他人の一軒家だけでした。
独りの人間のための光はどこにもありませんでした。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
同じ境遇やお気持ちの方がいれば同じ闇の中にいるのはあなた一人ではないことが何かになりますように。
そうでない方は明るい陽の下、屈託なく笑える穏やかな日々が続きますように。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?