ASDという社会的スティグマ、ADHDという社会的エクスキューズ
こんばんは、Kairiです。
今回は過激なタイトルで恐縮ですが、自分がASDかつADHD随伴性ありの当事者として生きながら、自分の中で社会的にASDにはスティグマ性が、そしてADHDにはエクスキューズ性があるのではないかという思いが膨らみ、それについて認(したため)めました。
※あくまでも全て個人的見解です。ご不快になった方がいらしたら、私の知識・考えの不足、偏りによりご気分を害してしまい大変申し訳ございません※
定義
まずはそれぞれの診断基準を見ていきましょう。
ASD
ASDは現在の診断基準(DSM-5)によると
複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的欠陥があること
行動、興味、または活動の限定された反復的な様式が2つ以上あること(情動的、反復的な身体の運動や会話、固執やこだわり、極めて限定され執着する興味、感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ など)
発達早期から1,2の症状が存在していること
発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
これらの障害が、知的能力障害(知的障害)や全般性発達遅延ではうまく説明されないこと
参考↓
ADHD
ADHDは現在の診断基準(DSM-5)によると
「不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動-衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人のじゃまをしてしまうなど)」が同程度の年齢の発達水準に比べてより頻繁に強く認められること
症状のいくつかが12歳以前より認められること
2つ以上の状況において(家庭、学校、職場、その他の活動中など)障害となっていること
発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
その症状が、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中に起こるものではなく、他の精神疾患ではうまく説明されないこと
参考↓
いかがでしょう。
これを読んでいる方の中で、「どちらかと関わらなければらならないとなったら、どちらかと言えばADHDが良い」と思った方、多いのではないでしょうか。
私自身、暴力的ではありますが、自分がASDでありながら、正直なところASDよりADHDの方がまだ関わりやすそうだと感じます。
笑えるADHDの失敗、笑えないASDの失敗
正直なところ、当事者の方々と話をしていても、ADHDの失敗はまだ一般的にも笑える範疇のものが多い気がします。(ご本人はもちろん困っていて痛手も負っているのですが…)
例えば、
「新卒生を迎える入社式を忘れて業務に集中し続けていた上に、カジュアルスタイルOKの会社だったので、一人だけ私服で入社式に参加することになった」
「留年したと早とちりして、SNSのプロフィールに大学5年生と書いてしまっていた(実際はスレスレで卒業範囲だった)」
これらは当人は大変でしたでしょうが、後になれば笑い話として雑談の中で人々の笑いを誘いがちな気がします。
子供で言えば遠足の日に誤ってランドセルで来てしまう人が一定数いたかと思いますが、あんな感じのエピソードが多いなと思います。
(もちろんクレカや公共料金の支払いの滞納など笑い話にならない切実な話もありますが…)
要はADHDの失敗談は、誰かを不快にすると言うより本人の自己管理の範囲の事が多い印象なので(当事者で困っている人は堪ったものではないでしょうが)、まだ笑える事が多い気がします。
※もちろん、衝動的に暴言を吐いてしまったなど対人関係のトラブルになるようなエピソードもありますが※
他方、ASDの場合は
「会社の役員に失礼なことを言って激怒させ、上司から役員に対して謝罪させてしまった」
「"また今度"を字義通りに解釈して次の予定を聞き続けたら相手を怖がらせてしまい、相手から避けられるようになった」
時と場や話し方によっては笑い話にも成りうるかもしれませんが、中々ハードな話が多いなと言う印象です。
ASDはコミュニケーションの障害が中核にある以上、どうしても周囲に迷惑をかけるようなエピソードも多い気がすると同時に、聞いている側としても気まずい話が多いなと感じています。
※もちろん、上司からの出張時のお土産の注文に忠実に応えるなど、特性ゆえのほのぼのとしたエピソードもありますが※
私自身、ASDにADHDの随伴性の可能性を指定された人間ですが、
多分ASDだなと思うエピソードは、
「友達の内緒にしてほしかったらしい話を(内緒にしてと言われなかったため)察することが出来ず、他の人に言ってしまい、友達を傷つけてしまった」
「大学の学部長の研究に興味がなかったので、卒業式で一緒に写真を撮らないか誘われても断った」
など相手の気分を害するものでした(当時ご迷惑をお掛けした方々には、今思い出しても申し訳無さを感じると同時に、それでも友人関係を続けてくれた友人には頭が下がります)。
他方、ADHD性はと言うと
「健診日を間違えて、1日検尿を自宅で温存することになった」
「試験日を間違えてバイトを入れてしまったので、追試を受けることになった」
など、やはり他人に被害が及ばない自己管理の範囲、或いは及んでも「ちゃんとしろよ」と苦笑される程度の範囲の問題で、ADHDでない人でも「そういう時もある」と共感も得やすく、笑い話に出来そうな話が多いです。
ネット上の空気読めない人・話の通じない人=アスペというスラング、言い訳としてカジュアルに使われるADHD
ソースを見つけられなかったので、個人的な記憶になりますが(※誤っていたらお手数ですが、ご教示願います※)、2000年代後半位か2010年頃からネット上では「空気読めない(KY)、話通じない=アスペ」という流れ、スラングが出来たように思います。
或いは統合失調症=統失=トウシツ。
中には本当に該当する人もいるのでしょうが、単に思考が偏っているだけの人もいるでしょう。
いずれにせよ、"相手にしてはいけない奴"=アスペ、統失というのは、それ自体が当事者にとってその偏見も含め一つのスティグマだなと感じます。
他方、近年ネット上でしばしばインフルエンサー達の失言の言い訳やキャラ付けの様にカジュアルに使われるADHD。
これらは当事者で困り感のある人々としては堪ったものではないと感じる方もいるでしょうが、前者の「他者からの蔑称」というよりは「本人からの自己申告(未診断)」という点でスティグマ性を感じません。
まとめ
上記の事実、偏見=スラング化、以上から最早ASDである事自体がどうもスティグマ性を感じ、ADHD性にはエクスキューズ性を感じます。
実際、私も障害者雇用として働きながら、悲しいことに社内トラブルを起こした大半がASDだったこともあり、身内にASDがいるかASD当事者、または障害名は異なれど同じ障害者雇用である人以外には「ASDだからヤバい奴の可能性高いな」と思われると仕事がやり辛くなるので、あまりオープンにしていません。
最後に
未来のない話で恐縮ですが、今回は日々、ASDとして人として障害者として生きる中で感じたことを記事にしてみました。
この記事に傷ついた方がいたら、大変申し訳ないですが、世の中には偏見を持つ人ばかりではないこと、他方で偏見を持ち相手がASDと知るや否や気狂いと言わんばかりに吹聴する人もいることも含めて、ご参考になればと思います。
私もあなたも加害者にも被害者にもしないために。
また、加害者にも被害者にもなってもその修復が可能になるために。
そんなことを願って、今回は終了とさせていただきます。
同じ様な思いを抱えている方がいたら、その苦しみを抱えているのはあなた一人ではない事実が何かになりますように。
この記事にショックを受けてしまった方がいたら、それでも理解してくれる人は必ずいることが希望となりますように(実際、私のASD性で傷つけてしまった友人は、その友人の寛大さのお陰で今でも友人です)。
そうでない方には、ASDだからといって異常者ではないこと、人に迷惑をかける言動を健常者位のレベルで取らない「受動型」というパターンの人もたくさんいること、話が通じない時もあるかもしれないけれど、工夫をすれば面白がれる相手もいることを少しでも感じていただければ幸いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。