カメラを買うときはご一緒にメモリーカード、保護フィルタ、あとは"品性"も忘れずに。アスリートはバットやラケットの自慢をしない。
そのメーカーをいままで普通に使ってきた人たちは威張らず、見栄も張らず、喧嘩せずで仲良くやってきたのに、昨日今日急に買ったような奴が突然ユーザー代表みたいなツラで他者や買えない人を見下すような成金ムーブを大声ではじめたらまあ誰だって一緒にされたくないって一言言いたくなりますよね。
高い買い物してウキウキしてるのはわかるし、自分の選択こそ最高って思う気持ちも分かりますが、あまりにも内容が幼稚。
遅めの思春期かと。
その物が高いか安いかは年齢や性別、生活水準、家族構成によって変わるんですよ。
そこはもう配慮が無いというか、自分を大きく見せようとしてナチュラルに見下す癖がある人もいますが。
youtube見る客層なんて九割九分が素人のアマチュアですよね。いい気分しない人のほうが多いと思いますけどね。
それにしても、せっかくカメラマンという肩書を名乗れるようになっても、毎週動画撮ってSNSでアマチュア相手に機材マウント取るような人生ってちょっと夢が無いですね。
話すのがお仕事だからしょうがないとは思いますが、撮るのをお仕事にできたらよかったのにな、と思いました。
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「こんな素晴らしいものを使っている私は、きっと特別な存在なのです」
田舎から上京してきた自分が成功した証として「トロフィ」が必要になるんです。
移ろいやすい人々からの評価やカネだけでは不十分。
そのトロフィは道具に限らず、車だったり時計だったり、人間だったり、まあなんでもいいんですけど。
それらは確かに金額としては高いのですが、実のところお金さえ出せば誰でも買えるものばかりである事もまた事実です。
だから自分が特別であり続けるためには、その他大勢の持ち主たちとは違うという事を多くの言葉でアピールしないといけないのです。
それがまさに交換可能である自分自身の価値を、必死に説明し続けているのと完全に一緒であって、見ていて滑稽なんですよ。
芸術家の端くれなら言葉ではなく技術と結果で評価されるべきなのに、持ち物の自慢をしているのがあまりにも滑稽なんです。
アスリートはバットやラケットの自慢をしませんし、まして初心者に「上手くなりたければ一番高い靴を履け」とは言わないでしょうね。
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狂気に呑まれるのは劣等感やコンプレックス、弱さを抱えている人です。
あの年で、丁寧に話していてもつい巻き舌になってしまうところとか、言葉の選びかたとかからも、たぶん家庭とか周りにヒギンズ教授やロッテンマイヤーさんがいなかった環境が透けて見えるんですよね。そして、いまどんな人たちとつきあっているのかも。
いくら金持ちや有名人と付き合っていても、自分の仕草や振舞いのみっともなさには気づけません。
大人になったら誰も注意してくれませんし。
TOKYOという単語に特別な響きを感じていそうなところからも色々と感じるものがありました。
あとはフリーの特権で、見下したりできて居心地のいい客ばかりを選んで相手にしているうちに、だんだん質の低い世界に自分が固定されていって、行き着くところは袋小路かもしれません。
自分が依頼者だったとして、はたして頼みたいと思うかどうかという目線が欠けてますからね。
まあ、できる人は別に貧乏でもマナーや言葉遣いはきちんとしてますけどね。
貧すれば鈍するということわざは、自分の精神を律することができない事の言い訳ではありません。
鈍するから人が離れて貧するんです。
おしまい。
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それにしてもあの極彩色の写真集は笑いました。
蜷川実花かよ。機材関係ねえじゃん。
今までの講釈はなんだったんだよって。
でもまあご自身が一番わかっていると思います。
ああいうのは売れますもんね。
生きていくには金が要る。企業案件だとかセルアウトだとか罵られようとも、妻子を食わせて行かないといけません。
つまるところ、家庭をもちながらアートなんてできるわけないんですよ。
働いている間、家事をしている間、育児をしている間、寝ている間、下らん配信をしている間、ライバルは勉強(練習)しているんです。成長しているんです。作品を作っているんです。
勝てるわけありません。
まあ、実態はともかく、アーティストのようにふるまうのもまた、宣伝方法の一つですけどね。