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一貫した発信の力

割引あり

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葛原祥太です。このチャンネルでは、全国の子供たちが自ら考え、自ら学び、自ら生きられるようになるための教育論について話をしていきます。今日は「社会変革を引き起こすための唯一の手段は、同じことをただひたすら言い続けることである」という話をしていきます。


一貫した発信の力

私は発信を始めてから約5年が経ちますが、言っていることは本当に変わっていません。Twitterやブログでの発表も、5年間で言っていることは1mmも変わっていません。変わっていないというよりも、システム上、構造上をさらに深めていけるようなブラッシュアップは毎年繰り返しているので、ブラッシュアップはされていますが、毎年ずっと同じことを言っているという構造の中にいます。

誰が言ったか覚えていませんが、「社会変革の唯一の方法は同じことを言い続けることのみだ」というセリフを見て、心に刺さりました。自分の今の状況と重ねて、かなりそういうことをしているなという感覚があります。社会変革や社会にインパクトを与えていく、何らかの発信をする際に、同じことを言い続けるというのは非常に強い、むしろ唯一の手立てなのではないかと思っています。

実際、5年間ずっと言い続けて、状況は着々と、一刻一刻というか日進月歩ではありますが、良くなっている感じはします。広がっていっているため、ネガティブな情報や、うまくいかないという情報もたくさん出てきています。そういう相談も受けるようになり、それは広がっている証拠でもあります。一方で、実践をして結果が出たという報告も毎年いただいています。

続けていくと、1人また1人と受け取っていただけます。私が言えることには限界があり、受け取ってくださった方がその場で価値を体現して発信していただくことが本当にありがたいことです。その発信の仕方も、結局同じことを言い続けるという話しかないと思います。

「けテぶれ」の広がりと実践

私も現場で「けテぶれ」と言い始めて7、8年目になります。徐々に徐々に広がってきて、今では学年で導入することになりました。3年生で学年導入が成功し、4年生でも全体導入されています。そうなると、3、4年生合わせて300人ちょいの子供たちが「けテぶれ」を知り、1年間活用しているという状況です。

最近は、大ベテランの教務主任の先生が授業を見に来てくださったり、若手の1年目の先生が授業を見に来てくれたりしています。公開授業では5年生や6年生のいろんな先生が見てくださって、良い反応をいただいています。

私はずっと同じことを言ってきただけの人間ですが、だんだん周りが変化していくのを感じます。私も変化していくし、時代も変化していきます。ずっと同じ状況が続いているわけではありません。その中で、ずっと同じことを言い続けて、そういうことを言っている人だということが徐々に認知されてきています。時代の流れや子供たちの様子を見てくださっている先生たちが、だんだん納得していくようなプロセスをたどっています。

地域に根ざした実践の価値

実践歴で言うと、私は7年ぐらいずっとこの学校でやっています。この学校の子供たち向けに実践開発しているので、地域が違えば子供たちも違い、いろんなチューニングが必要になります。「けテぶれ」もそうで、やり方をそのまま再現したら全部同じ結果が出るわけではありません。その子に合わせた、そのクラスに合わせたチューニングは担任がしなければいけません。

現在の地域での実践が長いので、今の子供たち、今の地域の子供たちにかなり最適化された構造をしています。だから受け取りやすいのです。これが現場で広げる、現場で発信する、実践を組み立てるということの価値です。その地域の子供たち相手の実践、その学校の実践というのは、文脈に根ざした実践として非常に価値があると思います。(もちろん全国に向けて発信するからには、全国の状況や中教審など全国に示されている方針との関係性はつねに注視しています)

抽象化と構造化の重要性

私個人の強みとしては、そこから抽象的な構造を抜き出したり、それを言語化したりすることが得意です。ここから、どの地域でも、人であれば、人ってどういうことか、子供が学ぶってどういうことかという抽象的な視点で枠組みを見て、そこから削り出せるような要素を見出し、実践として構造化しています。

そうやって発信をしているので、このフレームワークや枠組みは、本当にどの学校でも、どの子供たちにも使えて有益であるだろうというレベルにおいて抽象化して構造化しています。そのフレームを受け取っていただいて、現場に下ろしていく時に文脈にチューニングしていくという流れは大切だと思います。

継続的なブラッシュアップの必要性

そうやってずっと同じことを言っているということが、徐々に徐々に自分の周りの世界を変えていくことにつながっていくのだろうと思います。同じことを言うというのは、ずっとその場にいるということではなく、磨き続けるということです。新しいことを言い始めるというのは、また1年目に戻るわけです。発信歴が新しくなってしまいます。

私はずっと同じことを言っていますから、発信歴が5年目ですし、実践歴で言うとそれ以上という中で、何年間も同じことをただ無考に繰り返しているだけではなく、毎年磨き上げているという構造を通ることができています。多分ここが強いのでしょう。社会変革の唯一の方法は、同じことがずっと耳に入っていったら、だんだん納得していくという部分ももちろんありますし、それはすごく大きいのですが、発信者となってみると、そういう同じことをずっと言い続けるということが何をもたらすかというと、ブラッシュアップなのです。

これは日々子供たちの学びの中で言っている、ろくろのようにぐるぐる回る構造の中でちょっとずつチューニングを加えていくといいんだよ、という話をしたと思いますが、これは自身の実践のブラッシュアップ、自身の実践力に関してもやはりこの構造を取ることが強いわけです。

教育実践における「ろくろ」のメタファー

毎年毎年、学年は変わりますから、学年が変わったからもう何もかもリセットされて1からになると本当に大変ですし、積み上がりません。そこで、このような構造です。私は6年生担任しようが3年生担任しようが、「けテぶれ」「QNKS」「心マトリクス」ということをガンと柱に置いて、そこで実践をするわけです。そうなると、本当にただただブラッシュアップされていく構造の中に自分も入るし、子供たちも入っていきます。

それを受けた子供たちの反応が違うから、毎年毎年レベルアップがされていくということになります。ろくろを回す時に、ちゃんと大きい土粘土を置いて、ぐるぐるぐるぐる回る構造の中で、何年生を担任しようがこの壺で勝負するんだという壺をガンと目の前に置いて、ひたすら自分はそれを回す。そして、その回っている壺の中に子供たちを入れるみたいな構造を取れるので、それだけ巨大な壺、その壺は壺と言ったらまた怪しいですが、宗教の大名詞みたいですけれども、そういう巨大で精緻で、かつ頑丈な壺というもの、入れ物、焼き物、そこには全教科包括しうるだけの大きさがあり、かつ全学年を包括しうるだけの大きさもあり、またそこには教科領域の学びというものから始まり、自分像まで切り出すというところまで到達しうるだけの深さもあるわけです。

ここまでの容器を作って、それだけ扱うのは大変だと思います。これ全部を扱うとなると、本当にろくろをイメージしていただくと、本当に巨大なものをぐるぐると回すということは、それだけ熟練した、そういうことに熟達していかないと、そこまでの大きな焼き物というものをぐるぐるろくろの上に乗せて回すということはなかなか難しそうではあるのですが、私も本当に私が作って私が考えた実践ですから、そういうことをやっているわけです。

これを受け取るというのは、こんな大きいものをいきなり作れというのは、なかなか厳しいかもしれません。とはいえ、発信する側としては、ここまでのものなんだよということは見せたいわけです。そういう中で受け取っていただけるように、私としては頑張ってずっと同じろくろを回し続けて、ブラッシュアップし続けて良いものを目指して、それを受け取れるだけの言語化というものをずっと繰り返していくことがいいんじゃないかなと思ったりしています。

子供たちへの深い伝達方法

最後に、子供たちの学習に帰っていきましょう。担任として子供たちの1年間の学びを支える担任としての振る舞いの中に、同じことを言い続けるという要素が含まれるとどうなるかという話です。これがちょっと前の「悔い」の話でも言いましたが、結局子供たちに深く深くメッセージを伝えていくというのは、同じこと言い続けてしかないのです。同じことを言い続けていることしか、子供たちの深い意識の中に食い込ませる方法というのは本当にないんじゃないかと思うわけです。

それがもうこの放送ではずっと言っている「いい授業を目指すな、システムを作れ」という話とつながってくるのです。1授業で大変良い語りをしたとて、それが1週間後どの程度の子供たちが覚えているかという話になってくるわけです。それが3年生とか小さい子であればあるほど、もうさっぱり忘れます。そうではなくて、経験です。経験を大量に生み、その大量の経験を支えるだけの言葉というものをシンプルに研ぎ澄まして、それを何度も何度も繰り返し子供たちに伝え続ける。

「けテぶれ」を通じた経験の蓄積

私は「けテぶれ」って1日で、いや1年で何万回言うわけです。子供たちもまた言うわけです。「けテぶれ」って本当に「けテぶれ」という単語をこの1年で何万回も言うわけです。子供たちそして書くわけです。そして、その「けテぶれ」という言葉に象徴される、抽象化された、象徴された体験、経験というものを大量に組み立てていくわけです。

そうなると、「けテぶれ」というもの、概念が体験ベースでの実感として子供たちの中に伝わっていきます。そうなると深い価値とか納得とかいうものをそこに得られ、それが「悔い」の深いところです。それを象徴するアイコンとしてちゃんと「けテぶれ」という言葉です。「悔い」というのは全部埋めてしまってはいけないわけで、地標に見えているその部分として、キャッチーな言葉、4文字に踏み込んだそのメッセージ、4文字がもうバンと出ている、見えやすい、誰でも覚えやすいというもので象徴させるわけです。

この4文字に集約するというのはそういう意図があるので、それ、その4文字の中に大量の経験と大量の実感と大量の学びを含み込ませるわけです。そんで深い深い納得を生んでいくみたいな構造を取る時に、結局単人形としてもその教室という社会に変革を起こしたいのならば、同じことを言うしかないという話です。

ただ、それは無為に毎日毎日同じことを言っていればいいという話では全然なくて、さっきの話で言うと1年間のブラッシュアップです。何年も何年もかけてブラッシュアップをしていくということが実現できるとお話をしましたが、それは何年というスケールだけではなくて、何日というスケールでも同じなわけです。つまりは、1日目から200日目まで、毎日毎日先生はその「けテぶれ」という言葉をブラッシュアップして磨き続けるという構造を、1年間同じことを言い続けるということをすることによって実現しうるわけです。

日々の実践におけるブラッシュアップ

「けテぶれ」って毎日同じことをただただ無思考に繰り返して言うなんて人間できませんから、同じことを言うからには、それがちゃんと機能するだけの試行錯誤というものを日々積み上げることになるのです。という意味で、教師にとって同じことを言い続けるということは、そういう実践ブラッシュアップの柱としても機能しますし、結局そういう構造が生み出す学びというものは、子供たちというクラスという社会を変革するための唯一の手立てとなりうるのではないかということを思ったわけです。

少し前に「未来の先生展」というイベントで、今後ご自身の主張を世に広げていくために何をしようと思っていますかと聞かれた時に、もう同じことを言い続けるしかないと思いますと答えました。そしたら、ファシリテーターの方が痛く共感していただけて、その辺の話も思い出しながら今日は話してみました。

社会変革を生み出すには同じことを言い続けるしかない、この考え方の理解度が少しでも上がれば幸いです。それではまた次の放送でお会いしましょう。バイバイ。

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