記事一覧
四足二輪ツーリング 秩父三峯神社(前編)
ゴールデンウィークは実家に帰る。実家は所謂兼業の米農家で、かつて会社勤めであった父の仕事の都合上、田植えはゴールデンウィークというのが決まり事だ。僕は大学進学と同時に東京に出てきたわけだが、それ以来一度たりとも日々の主食としての米を購入したことはない。備蓄がなくなれば実家から送ってもらえば済むことだからだ。お陰さまで我が家の家計は非常に助かっているのだから田植えぐらいは手伝わないと、と思うのは当然
もっとみる髪型と自意識と自己認識と
先日、いつもの美容室に出かけ、いつもの美容師さんに、いつも通り髪を切ってもらった。
この美容師さんとの付き合いは長くて、カット台に座って交わす髪型に関する会話は、前回からどの程度時間が経っているか(切る量の決定)といつも通りで良いか(何か気分的な変化があるか)の確認作業のみだ。
要するに僕は彼を信頼し、彼も(過去の会話ややり取りから)僕の事をよく理解してくれているのだ。
僕は髪型に関してはあまり
姫路で失敗したプロジェクトを走る
2020年10月。姫路への出張の機会を得た。
姫路といえば誰がどう考えても姫路城だ。
白鷺城の名前が示すように白亜輝く姫路城は、市民にとって誇りでありシンボルそのもので、大戦下の夜間姫路空襲でも運よく難を逃れ焼失を免れた姿を見せてくれたこの城に当時の市民は涙したというエピソードも有名だ。国宝であり世界遺産であることからも、その歴史的、文化的価値が国の内外を問わず普遍的なものであることは疑いようも
サウナ室の窓から。或いは浴槽から。
僕は週の半分を出張先で過ごしている。出張といっても全国を飛び回るようなものではなく、行先は決まっている。毎週通っているこのホテルは会社指定の定宿なのだが、こちらでの仕事場は徒歩3分程度だしコンビニも近くにあり大きな不満はない。むしろ、大好きなサウナ付きの大浴場があることで、ある面では自宅以上に癒される場所なのではないかと思うことすらある。
サウナの楽しみといえば、暑い暑い部屋でチンチンになった身体
街の歴史に接続するラン:群馬県太田市
出張先での楽しみ方というのは人それぞれではあるのだと思うのだけれど、実際のところは、観光名所にちょっと寄ってみるとか、ご当地のうまいモノを(主に酒の肴として)探すとか、仕事で出かけているのだから時間が限られている中で何とか楽しもうとするものなのだと思う。
群馬県太田市。ここを訪ねるのは昨年末以来だろうか。数年前は業務の都合でさんざん通った土地だが、取引先とホテルと呑み屋ぐらいしか記憶に残っていない
距離が延びる。世界は拡がる。
土曜の朝6時。けたたましくスマホのアラームが鳴る。同時に階下からは妻の声「時間だよ。起きて」。普段ならまだ夢の中だが今日は起きねばならない。所属するオンラインサロン、PLANETSCLUBの分科会であるランニング部のイベントがあるのだ。
ランニングのイベントといったら一緒に同じ場所を走るとか、大会に参加することをイメージするだろうが今回はオンラインのイベントだ。スタート地点もゴールも走る距離も経路
昔電車で、今ランナー
月曜夜から3泊4日の旅程で愛知県豊田市に滞在する出張がルーティーンになっている。ホテルは会社指定の定宿で丘の上にあり、東西南北どの方角に走っても一旦坂を下らないと平坦な道がない。夕食のために飲食店まで走る前提だと、北へまっすぐ国道沿いを走るか、西へ走り駅周辺に行くかになるのだけれど、どちらも割と栄えているためか信号が多くランニングのリズムが作りにくい。ランニングついでの夕食をあきらめ、田園風景の広
もっとみる運転⇔走る 拡張される身体
この4月から始めたことが二つある。新入社員向けの安全運転教育と、趣味としてのランニングだ。一見すると全く関連のないこの二つの事柄が、僕の中で何とも不思議に結びつきつつある。
レース専用車両を設計、開発、制作するのが僕の職場の主たる事業だ。モータースポーツに関わる技術者として、一般の人よりも運転をはじめとしたクルマとの関わり方については一段高いレベルであることが望ましい。僕は過去にとある自動車メー
僕達の日常を失わないために
非日常的なもの。旅行や観光、イベントやフェス、週末のショッピングセンターをぶらぶらすること、行列のできるレストランで友達と一緒に並んで映える食事をすること、話題の最新作映画をいち早く鑑賞しその感想をシェアすること等々。それらが一時的(であって欲しい)に奪われているこのご時世。「非日常の自分の物語」が奪われることによりストレスが溜まっている人が多いかと思う。
日常を守るための回路として、週末など
はじめに:書くという行為を見直したい
1998年春。ちょうど22年前の僕は、故郷である栃木県を離れ、大学進学のため東京八王子での一人暮らしをはじめた。受験は平たく言えば失敗で、人生はじめての大きな挫折感に溺れていた僕にとって、入学式は翌年に実現される予定のノストラダムスの予言以上に陰鬱なものだった。とは言え、田舎特有のいわゆるムラ社会から脱し、誰が誰だか判別不可能な人数の、どんな距離感かもわからない親戚筋との、これまたどんな距離で接し
もっとみる