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雨の日と月曜日は

『Rainy days and Mondays always get me down 』とカーペンターズが歌ったように、雨の日と月曜日は多くの人にとって憂鬱なものだろう。雨の日はやれることが制限され自由が奪われた気分になるし、それが休日ならなおさら空を恨んでしまう。月曜日の朝が憂鬱なのは言うまでもない。

キャンプに出掛ける予定がありその日が雨予報だったらどうするだろうか。僕が仲間たちとグループでキャンプする場合は大抵中止になる。
一方でソロキャンプの場合だと、行く、行かないの選択は完全に自分自身にゆだねられる。僕は設営日の天気は雨が降ろうが雪が降ろうがあまり気にしない。さすがに片付けが雨の中だとテントを後で乾かさなければならないので後々面倒ではある。だから撤収の時間だけを気にするようになるのだ。
雨のキャンプは嫌う人が多いのだが、雨、もしくは雨上がりにしか味わえない体験は確かに存在していて、そんな体験のためにリスクを承知で度々出かけていくのだ。

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3月のとある週末。出かけた先は静岡県富士宮市にあるハートランド朝霧という牧場と併設されたキャンプ場だ。牧場の隣という立地からサイトは草の刈り取られた牧草地というイメージで、雨が降るとぬかるみになってしまう。そのため、このキャンプ場をよく知る人ほど雨の日は避けるようになるのだろう、実際にチェックインの際に職員さんに聞いたところ、当日キャンセルが相次いでいた。20組以上の予約があったものが僕を含めて7~8組に減少していたのだ。キャンプ場が混雑しないのは雨の日の大きなメリットだ。

チェックインと薪の購入を済ませ設営に取り掛かる。選んだ場所は広大なキャンプ場の中で比較的入口に近いあたりだ。奥の方に居を構えるほうが人の通りも少なく静かな時間を過ごしやすいのだが、今回は雨の降る中でのキャンプだ。そもそも人通りを気にするほど込み合っていないし、トイレや炊事場から遠い位置を選んでしまうと、ぬかるみの中傘をさしてかなりの距離を何度も往復することになるので疲れてしまうだろうと考えた。

車の外は大雨だ。まずは合羽を着る。服は濡らすわけにはいかない。平地ではすっかり春の様相の3月とはいえ、ここは標高が高い。夜には冷え込みが予想され、濡れた衣服は体温を奪う。最悪の場合凍死することだって有り得るのだ。
普段のソロキャンプならまずタープを張ることはないのだけれど、雨を避けて焚火を楽しみたかったので使うことにした。強風に煽られいつもよりは多少なりとも苦戦したが、泥を付着させることなく真っ白なコットンタープを我ながら美しく設営できた。テントはタープの下に差し込む形で設営し、なるべく直接雨が当たらないようにする。こんなちょっとしたいつもと違う工夫が必要になることで、悪天候にも負けない自分のスキルを確認できる(=成長を実感できる)というのも雨キャンプの魅力の一つだと思う。

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一通り設営を終えたところで空腹が限界を迎えてきた。と同時に雨脚と風が強まりとてもタープの軒下で過ごせるような状況ではなくなり、すべてのジッパーを閉じてテントの中に引きこもる。とりあえずは昼食だ。
外は強風と豪雨でテント内はその音だけに支配される。天候というものはどうしようもないものだ。僕達キャンパーに抗う術はなく、祈ったらといって即雨がやんでくれるわけなどない。創意工夫と経験値をフル活用し、テント内への浸水を予防し、染み込みや雨漏りの対策をして寝袋が濡れることだけはないようにしながら自然の猛威にはただ耐え忍ぶしかない。やれるだけのことをやったら、あとは自然が作り出す音響に耳を傾けながら膝を抱えてぼーっと過ごすしかない。

幕内にいると雨音がよく響く。昼食のために点火したシュオーっと燃えるアルコールの音も聞こえなくなるほど響く雨音に包まれる。僕はこの水中に沈みこんだ泡の中で過ごすかのように、水と音とに抱擁される時間がたまらなく好きだ。濡れることを防いでくれる屋根の存在のありがたみ、布一枚の屋根だからこそ感じられる家屋内とは異なる雨音の響き。自宅で引き篭っていても味わえないし、耳を傾けることもないだろう。周囲の家族連れの子供たちの声も、遠く聞こえていた牛の鳴き声もすべてがかき消され、2m×2mの四角錐の空間で聞こえてくるのは雨音だけだ。矛盾するようだが、雨音という騒音の中、僕は確かに静寂に包まれているのだ。

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止まない雨はない。とはいえキャンプ中に必ず止んでくれるような都合のいいこともない。今回大荒れの予報だったのにキャンプを決行した理由は、気象情報やキャンプ場の立地、周囲の状況などから、雨はやがて上がり強風が雲を払いのけ、雨と風とが空気中のチリなどを取り払い、美しい星空が見えると確信があったからだ。

狙い通り、夕方には雨はすっかり上がり、雲は霧散しつつあった。テントから這い出て焚火の準備を始める。タープからちょっと顔を出してみると頂上に傘雲を掲げて富士山が夕陽に照らされていた。

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薪は濡らさないように車に積んだままにしておいたので無事だ。吹き込んだ雨でぬれた焚火台を軽く拭き上げ火を熾す。夜の帳がゆっくりと世界を包んでいく中、焚火とオイルランタンの灯だけを頼りに夕食の支度にとりかかる。

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夕食を終えると辺りはすっかり暗くなっていた。時間はたっぷりあるのでローチェアから腰をあげ、外に出てみることにした。
山のひんやりとした空気の中を、足元をヘッドライトで照らしながら慎重にぬかるみを避けて散歩に出かける。キャンプ場の前の道は国道から一本逸れてるため周辺から人口の光が入り込むことはない。ヘッドライトを消し、空を見上げながら歩く。先程まで少し残っていた雲もすっかりなくなり満天の星空だ。
市部とはいえ東京で生活をしていると2等星ぐらいまでしか視認できない。完全な暗闇と雨上がりの冬空でしか見ることのできない普段は隠れている星の存在をしっかり認識できる。今この景色は完全に僕一人のものだ。

30分ほど散歩した後はテントに戻り焚火の続きを楽しみ、眠くなるのに任せてシュラフに入る。寝ころんだままテントのジッパーを少し開け夜空を見上げ余韻に浸りながら眠りに落ちていくのだ。

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ひんやりとした、それでいて心地よい空気と自然の明るさで身体が目覚める。シュラフからそっと上半身だけを出し外を見ると富士山の向こうに少し太陽が見える。日差しを顔に直接受けて脳まで目が覚める。慌てて飛び起き今回のキャンプ最大の目的を達成するために外に出る。
これだ。これが見たかったのだ。前日の雨と風とが作り出した澄み渡る空と富士山。その向こうから登る朝日、ご来光。ダイヤモンド富士だ。

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こうしてキャンプを振り返ってみると、雨という一見ネガティブな要素も、その変化の予想や対応策さえあればデメリットを補って余りある経験を僕たちに与えてくれるものだとわかる。
憂鬱な雨の日と月曜日は愛してくれる誰かの元に走っていくとカーペンターズは歌った。でも、僕達に本当に必要なのは愛してくれる誰かではなく、雨の日と月曜日そのものを愛する方法なのではないだろうか。
雨の日はキャンプに行けばいい。僕の雨に対する最大の愛情表現だ。だが僕はまだ月曜日の愛し方を知らない。今のところ火曜を休みにするぐらいしか思い浮かばないのだ…。

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