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サウナ室の窓から。或いは浴槽から。

僕は週の半分を出張先で過ごしている。出張といっても全国を飛び回るようなものではなく、行先は決まっている。毎週通っているこのホテルは会社指定の定宿なのだが、こちらでの仕事場は徒歩3分程度だしコンビニも近くにあり大きな不満はない。むしろ、大好きなサウナ付きの大浴場があることで、ある面では自宅以上に癒される場所なのではないかと思うことすらある。
サウナの楽しみといえば、暑い暑い部屋でチンチンになった身体をキンキンに冷えた水風呂でクールダウンし、冷え切った身体を再び加熱するのを繰り返すことで身も心も「整える」ことをイメージすると思うが、僕にはもう一つ楽しみがある。そう、人間観察だ。
この大浴場は宿泊客以外にも開放されていて、近所の人が定期入浴券を購入して足しげく通っているようだ。一年以上もこの生活を続けていると常連の顔は覚えるし中にはめちゃくちゃ個性的な人が含まれていることに気付く。
今回はそんな常連さんの一部を紹介しようと思う。

んなぁ~ おじさん

「んなぁ~」といえばメイドインアビスのマスコット、ナナチ(CV:井澤詩織)を思い浮かべるわけだが、もちろんナナチのような可愛さは微塵もない。どちらかというと見た目はトトロだ。いやもちろんトトロのような可愛げもなくCV:若本規夫 というイメージだ。
一つ一つ動作をするたびに「んなぁ~」と声を上げる。シャワーを出す、シャワーを止める、サウナに入る、座る、立つ、出ていく、水風呂に入る等々、すべての動作に「んなぁ~」が伴う。僕が先に入浴しているときも、逆に後から入浴するときも、姿は見えずともその声だけで存在を確認できる。彼が常連だと認識できてすぐのころは、黙って入れないのかなこの人は?など不満を覚えたものだが慣れてしまえば可愛いものだ(見た目の話ではない)。「んなぁ~」が聞こえるたびに、「お、今日も来てるねー」ぐらいに思えるようになるのだから慣れとは不思議なものだ。

絶対シャワー使わないマン

顔を洗う時も、髪を洗う時も、もちろん身体を流す時も、さらに浴室の床の泡を流す時も、彼は決してシャワーを使用しない。洗い場ではきちんと背筋を伸ばし鏡に正対する。だが、彼がお湯を欲するときは蛇口をひねるでもシャワーを出すでもなく、必ず後ろを振り向き浴槽のお湯を使うのだ。だから彼は浴槽が真後ろにある範囲の洗い場にしか座らない。そして手数が半端なく多い。かなり非効率だ。浴槽に何人浸かっていようが彼は気にも留めずお湯を汲み続けるのだ。
何が彼をそうさせるのか?浴槽内から15分ほど観察したことがある。むしろ、見かける度に「今日こそは」と観察と考察を続ける(なので見かけたときはサウナ室に入れず浴槽でのぼせ気味になる)。だがどんなに観察を続けてもその答えには辿り着けそうにない。謎は深まるばかりだ。

エターナル歯磨きおじさん

彼の歯磨きの時間は長い。長いなんてもんではない。何しろ「歯磨きの開始」を目撃したことはあるが「歯磨きの終了」を確認したことは一度もないのだ。いつも彼は決まって一番奥の洗い場に座る。歯を確認するために使う鏡の状態が最も安定しているその席を選んでいるのだろう。浴室に入ると真っ先にその席に向かい、マイ入浴セットからマイ歯ブラシを取り出す。フロスや歯間ブラシは使用しない様だ。水温を適温にセットすると勢いよくシャワーを浴びる。歯磨き中に気が散るのだろうか?この時点では決して頭を濡らさない。シャワーは常時出たままだ(寒いのか?)。
ある日大浴場に入ると彼はすでに歯磨きを開始していた。この時の僕はサウナ8分、水風呂2分のルーティーンを4セット繰り返した。身体や髪を洗う時間を含めると45分程度だ。この45分の間、彼は立ったり座ったり、鏡に映す口の角度の調整を繰り返しながら身体にはシャワーを浴び続け休むことなく歯を磨き続けていたのだ・・・。話盛り過ぎだろ!と思われるだろうが残念ながら全く盛っていない。だからこそ彼を見るたびに彼の歯茎が消滅してやしないかと、僕は不安を覚えるのだ。
いつかはきっと、僕のサウナルーティーン時間で彼の歯磨き時間を上回ってやろう!と思いながらも敗北を繰り返している。

サウナとは自分との戦いだ。決して他者は介入しない。ひたすらに無言で温と冷とを往復しながら自己との対話を繰り返す作業だ。
だが、そこには確かに他者が存在する。ここに紹介した彼らとは口をきいたことも、挨拶はおろか会釈もしたことはない。あくまで無言だが互いに観察しあうというコミュニケーションがそこには確かに存在するのだ。だから、(定年をとうに過ぎたであろう)彼らの入浴中に万が一何か事故があったとしたら、僕は迷わず手を差し伸べるだろう。
そして、彼らが僕の方に「ランニング青年」とか「ストレッチ兄ちゃん」とか、心のニックネームをつけてくれていたらそれはそれで嬉しいのだ。

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