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姫路で失敗したプロジェクトを走る

2020年10月。姫路への出張の機会を得た。

姫路といえば誰がどう考えても姫路城だ。
白鷺城の名前が示すように白亜輝く姫路城は、市民にとって誇りでありシンボルそのもので、大戦下の夜間姫路空襲でも運よく難を逃れ焼失を免れた姿を見せてくれたこの城に当時の市民は涙したというエピソードも有名だ。国宝であり世界遺産であることからも、その歴史的、文化的価値が国の内外を問わず普遍的なものであることは疑いようもなく、僕自身も平成の大修理の後、一般公開された直後の春の日に尋ね、おそらくは僕の人生の中で最も白い状態であろうその姿を目に焼き付けたものだ。

姫路訪問は僕にとっては今回で二度目になるのだけど三度目以降のチャンスがあるかないかわからない。
お城はすでに内外ともにじっくりみさせていただいたし、出張なのだから当然昼間は仕事をしていて自由時間になるのは城内への入場ができる時間をとうに過ぎた夕方以降になる。また、前回の訪問では城のみにフォーカスしたため姫路という都市については下調べすらしておらず、前日夜に単身赴任先だった愛知県を出発し、車中で仮眠をとり、観覧後はお土産すら買わずに帰るという、ゼロ泊2日の強行軍だった。つまりは城下町を歩くことすらせずに城のみをみて帰るという今にして思えば勿体なく感じるもので、城という歴史の断面のみをみて、周辺の堀などの遺構がどのように変遷、利用されていったのか等の都市の持つ「文脈」には一切触れることができていなかった。

そんなわけで、今回の旅では姫路城を中心に置きつつも「姫路城ではない」姫路という都市そのものをちょっと掘り下げることを考えたかった。

Google Map を開き「姫路」と検索し画面中央に姫路駅と姫路城をおさめ「史跡」と入力し再度検索をかける。検索結果に期待しているのは姫路城にまつわる周辺の関連施設、武家屋敷や〇〇門、〇〇堀通り等の名称だ。マップを東西南北に動かしながら市内中心地から周囲5km程度の範囲で何度も検索を繰り返していく。
そんな中で城には全く関係のない意外な単語を見つけた。

それが「姫路市営モノレール線 大将軍駅跡」だ。

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姫路市営モノレール線とは

正式名称はないようで「姫路市交通局モノレール線」と呼ぶのがどうやら正解らしい。1966年に開業、1974年に休止(正式廃止は79年)という極端に短命なモノレール線だ。開業の同年に開催された姫路大博覧会会場である手柄山へ姫路駅からの来場者の足として開業されたのだが、総延長距離は2km未満とこちらも極端に短い。博覧会後には郊外の工業地帯や市内環状線の計画、さらには日本海側の島根まで結ぶ壮大な計画だったというから驚きだ。上記の「大将軍駅」は始点からわずか500m地点に存在した駅で、こちらは開業後僅か2年の68年に休止されている。

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大将軍駅跡
レールを吸い込むこの奇妙な建物は
残念ながら既に取り壊されている

さて、想定していた姫路城に関する遺構とは全く異なるものだが、大変に興味深いモノを見つけてしまった。今回の出張先ランニングはこの姫路市営モノレールの面影に沿って走るランニングとすることにしよう。

夕刻、ホテルに到着した。クルマによる数百キロの移動後だったのでちょっと休憩してから走りたかったのだが、ほどなく雨が降り始める予報だ。チェックインを済ませ早速ウェアに着替る。シューズは防水の物も持参していたのでそちらを選んだ。

軽い準備運動をし運転によって凝り固まった身体に刺激をいれてから走り始める。辺りは既に夜の帳が降りている。まずは始点となる(旧モノレール線の)姫路駅を目指そう。ホテルからだと数百メートルだ。

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ここが姫路モノレールの始点だった場所だ。現在は商業施設の入り口となっている。この場所で間違いないはずなのだが特に記念碑などは見当たらない。ちょっと残念な気分だ。
気をとりなおして走り出す。次は大将軍駅があった場所を目指していこう。

西に歩を進めていくといかにも駅前の呑み屋街といった場所に辿り着く。緩やかに進行方向左にカーブしている道を進みながら左手を見上げると早速異様な光景が見つけられた。呑み屋街の屋根から橋脚がにょきにょき生えている様子は間違いなくここでしか見れないものだろう。橋脚自体は恒久建築物として作られたがために解体には多額の費用が必要らしく、保存されているわけでもなく放置されているというのが正解だろうか。桁下の呑み屋の建屋の方が先に老朽化で処置が必要になりそうで心配になる。

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ほどなく大将軍駅のあった場所にたどり着く。
18年に取り壊しされてしまい、現在は更地になっている。ここにも記念碑などは見当たらず、駅前地域の一等地であるにもかかわらずポカンと空間が広がっている印象だ。この駅のあった場所で交差点は不自然な形に曲がっていて、廃止後の都市計画的には非常に邪魔な存在だったのが伺い知れる。
ここで既に存在しないレールを潜る形になりレールは左手から右手に切り替わる。

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大将軍駅を過ぎると左手に大きなイオンのある大通りに出る。右手には橋脚とレールが建物の影から見え隠れする。左に現在、右に過去という感じだ。この辺りで確認できるレールはローマの水道橋のような印象を受ける(実物はみたことがないのだけれど)。

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イオンの敷地が途切れると同時にレール脇を辿ることができなくなった。終点の駅は手柄山公園内にあるようなので一旦はレールの存在を忘れ大回りして公園に向かい、北からではなく南側からアプローチしてみることにした。

・手柄山公園もまた味がある

手柄山公園は姫路大博覧会の跡地に作られた公園だ。山と名前にあるように小高い丘になっている。
Google Mapを頼りに見つけた入口から入ると階段状に道が続く。サンクガーデンと名付けられた庭園は洋風のものだがどこの国をモデルとしたものなのかは暗闇のせいでよく分からない。緩やかな上りの庭園を過ぎると壁に行く手を遮られる。急勾配の坂道を登らないとゴール地点にはたどり着けそうにない。

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坂道は入り組んでいて日が落ちてしまった影響もあり目の前にあるはずのゴールは遠い。周辺にはやはり洋風な建築様式の城とも砦ともとれる尖塔が建っているが、こちらもどの国をモデルととしているのかイマイチ分からない、ロマネスクでもゴシックでもないものだ。いかにも高度成長期の金余りからやり過ぎた感じがして趣深い。
迷いに迷ってついにゴールにたどり着いた。モノレールの記念館と水族館が併設されたここが元々は手柄山駅のあった場所だ。建物の周囲は広場になっていて北側を見ると遠くにライトアップされた真っ白な姫路城が見える。なかなかの眺望だ。

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ポーチからペットボトルの水を取り出しひと呼吸入れる。姫路城をしばらく眺めてホテルに向けて走り出す。



帰りは全く違うルートを選んだ。
姫路駅の北側は姫路城の縄張りの影響なのか、入り組んだ道の作りになっている。一方、手柄山からの帰り道となる南側は見事に整備された碁盤の目の直線道路が交差する全く違う街並みになっている。こちらは恐らく、戦災により街並みが大きく変わったのだろう。焼け野原から再生する際に道路の作りから大きく区画整理され商業的に発展しているのが見受けられる。その発展した南側の西端に位置しているのが上記のイオンのようだ。こういった街並みの違いや変化を流れの中で体感できるのが旅先でのランニングの醍醐味だ。
駅南大通りから姫路駅の北側へ抜けホテル脇のコンビニをゴールとした。距離として6.5kmほど。時間にして1時間弱のランニングを終え、汗だくのままコンビニで夕食を購入しホテルに戻る。
走った後の楽しみは、とりあえずビール、ではなく地図を開いての振り返りだ。

・もう一つの失敗したプロジェクト

さっとシャワーを浴び、晩御飯を食べながらGoogle Mapを開き眺める。実際に走ったルートを目で追いかけ、撮った写真を確認しつつ、今回走らなかった東側を調べていく。そこでまた不思議な固有名詞を見つけた。
外堀川という大きな河川に隣接する公園の名前が「運河公園」なのだ。

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ちょっと調べてみると姫路城の外堀には姫路港と結ぶ運河計画があった事が分かった。総延長は約4kmなのだが、運河建設を進めていく中でこの計画には無理があることが判明する。海面と姫路城周辺の水面差が10mもあったのだ。この事から計画は頓挫し最終的に造られた運河の名残りは2km程のようだ。

海を目指し2kmで頓挫とはどこかで聞いたような話だ。そう、まさにこの運河計画は姫路モノレールのご先祖さまに他ならない。江戸初期と昭和。時代は違えど共に海を目指した交通網計画があったことは非常に興味深い。そもそも姫路港は城から約4kmとそれ程遠いわけではない。なぜそこまでの巨額の財を投じてまで造ろうと考えたのだろうか。今のところ私の中に答えはない。
この2つの失敗したプロジェクトを掘り下げていくことが姫路という街を知っていく上で非常に重要であるということが確信できた。


こうして僕の二度目の姫路訪問はモノレールの遺構の発見から始まり、新たな謎を残して終わった。三度目にここを訪れる際には外堀川を辿り海まで走る事にしようと思っている。モノレール沿いを走る前より姫路という街に対する理解と興味が深まったことは間違いない。

観光ガイド記載された情報に沿って観光することが間違っているとは思わない。観れる景色も口にできる食事も一定のクオリティが約束され失敗のない旅行ができるだろう。しかし自分でルートを決め、自分の足で走り、振り返りながら掘り下げていくこの旅のスタイルの方が、よりその土地に寄り添える。平たく言えばその土地が好きになる。まして、一人旅だ。ルート選びに失敗しても誰にも迷惑をかけることはないのだから。

これからも自分のGoogleマップ上、日本全国津々浦々に「好き」のピンを増やしていきたい。


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