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インドネシアを知る⑧インドネシアの経済的な外国語教育の歴史的変遷

はじめに


今日は、視点を変えて、インドネシアでの経済的な外国語教育の「変還」について、書いていきたいと思います。インドネシアは、多様な言語を持つ国であり、700以上の異なる言語が話されています。これは、インドネシアが世界最大の島国であり、多数の島々が、独自の言語や文化を持っているためです。

また、2019年のインドネシア宗教省の統計によると、イスラム教信仰する人たちは、86.69%にもなることから、コーランやアラビア語の教育は、欠かせないのではないかと思います。

ところが、インドネシアの公用語はインドネシア語(バハサ・インドネシア)です。また、アラビア語も、外国語教育の中では、選択科目の一つとされています。

その外国語の教育の変遷は、とても興味深いものだと思います。インドネシアは多様な文化と歴史を持つ国であり、その影響は、外国語教育にも見られます。


1. イスラム教の伝播期(13〜16世紀)

アラビア語の学習の歴史は、イスラム教がインドネシアに伝播した時期に遡ります。特に、トレードと宗教的ミッションを通じて、アラビア商人や宣教師たちがこの地域に到来したことに起因します。この時期、クルアーンの教えやイスラム法(シャリーア)の学習のために、アラビア語が、学ばれ始めました。

2. オランダ植民地時代

オランダの植民地支配が、約350年にわたって、続いたため、オランダ語の教育は主要な位置を占めていました。この時代のエリートや教育を受けた人々の多くは、オランダ語を流暢に話すことができました。

この時期、オランダ語の教育が主流でしたが、イスラム教の教育機関ペサントレン(イスラム学校)では、クルアーンやイスラムの文献を学ぶためにアラビア語の学習が続けられました。

3. 第二次世界大戦後

日本の占領は、短期間でしたが、その影響は文化や教育にも及びました。日本語の教育が、一時的に導入され、多くのインドネシア人が、基本的な日本語を学びました。

4. 独立後の20世紀中頃

インドネシアが独立を宣言した後も、ペサントレンやマドラサ(イスラム学校)において、アラビア語の学習は継続されました。国の教育制度の中で、アラビア語は、選択科目として、提供されるようになりました。

インドネシアは、独立宣言後、国際的なコミュニケーションの主要言語として英語の重要性が増しました。西洋の教育システムや経済の影響を受けて、英語は、学校教育の中心的な役割を果たすようになりました。

5. 1980年代から

イスラム世界との関係強化や、中東の経済的な重要性の増加に伴い、アラビア語の学習の需要が増加しました。多くの大学や学校で、アラビア語のプログラムが、開始され、ビジネスや外交の分野でのアラビア語の必要性も高まりました。

インドネシアの経済が急成長し、国際的なビジネスの中心としての役割が増してきました。日本や中国との貿易が増え、これに伴い、日本語や中国語の教育の需要も増大しました。

6. 21世紀

今日、インドネシアはASEANの重要なメンバー国として、地域の経済や政治に大きな役割を果たしています。英語の重要性は、引き続き高まっている一方で、ASEAN諸国の言語、日本語や中国語の教育も、増加しています。

最後に

インドネシアにおけるアラビア語の学習は、宗教的背景から始まり、経済や外交のニーズに応じて変遷してきました。

現在も、アラビア語はインドネシアの学校教育や大学での教育の中で重要な位置を占めています。

インドネシアの外国語教育は、その歴史的背景や経済的状況、外交政策に応じて大きく変化してきました。現代のインドネシアにおいては、グローバルな経済の中心としての位置づけや近隣諸国との関係を強化するために、多様な言語の教育が、推進されています。

明日以降もインドネシアを知ることを書いていきたいと思います。

お読みいただき、みなさま本当にありがとうございます。


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