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#エッセイ
今になって思えば、無理して学校に行かなくてもよかった
不登校を選んだ方が、私にとって良い選択だったかもしれなかったな、というお話。
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振り返れば小学生から大学生まで、病欠以外で休んだことがなかった。中学に上がる前までは何かと病弱で、誕生日あたりになると決まって風邪で寝込んでいたが、中学に上がると寝込むことも少なくなり、高校では一年皆勤賞目当てにせっせと学校に通っていた。
ここまで書いた文章を読むと、まるで私が学校大好きだった人のように思
ピアッサーを差し出した意味について
その子は、19歳男子。
背も高く、ガッチリとしていて、髪の毛は半分ずつグレイッシュな緑とピンク。
声も大きく、その年齢の子が言うようなジョークを飛ばしながら、
足を組んで椅子に斜めに座っていた。
「よう。先生、はじめてだね。なんの先生?」
そう話しかけてくれたのは、目の端でかなりの時間、私を観察した後だった。
私の一挙手一投足、他の生徒への接し方を「見ているな。」と感じていた。
「美術よ。は
フリースクールでの一コマ
いつも授業の最後は笑って終わろう!
と心がけたフリースクールの美術でした。
写生に使ったレモンをプーさんに改造したら、評判がよかったなあ!
ここには、いろいろな子が来ている。
不登校、妊娠中の高校生も、赤ちゃんを背負った高校生もいます。
なんとか高校の卒業資格を取得し、推薦で専門学校に進んで、保育士さんか看護師さんになりたい、と彼女たちの希望ははっきりしています。
まずは資格。もっと専門的に学び
不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話④
真面目でちょっと熱めだった1年生の時の担任は、三学期に入った頃に学校を去って行った。
私たちのクラスがあまりに荒れていたので精神的に追い詰められてしまったのだろう。
ホームルームや授業中に、時に涙を流しながら、君たちのやっていることは良くないことだということを訴えてくれていたが、彼らには響かなかったようだ。
たしか赴任して1年目だったはずなので、半年ほどで学校を去ることになってしまった。
当時の先
不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話③
出身小学校が同じ者同士は付き合いが長く、あだ名で呼び合っていた。
あだ名を付けて呼び合うのは別に珍しいことでもなんでもなく、もちろん私の母校出身の人たちもあだ名で呼び合っていたのだが、隣の小学校出身の男子たちは悪口をそのままあだ名にしたもので呼び合っていることが多く、私は居心地の悪さを感じていた。
各々が普通のあだ名と悪口のあだ名両方持っている、そんな感じ。
悪口といっても悪ふざけで呼び合っている
不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話②
そんなこんなで始まった中学生活。
担任の先生は関西人だった。
北海道の田舎で暮らしてるとほぼ北海道というかその地域出身の人にしか出会わないから、関西人はとても珍しかった。
熱血というわけではないけど、気持ちが熱く、言葉が丁寧だった記憶がある。
真面目な先生だったんだろう。
思春期真っ只中の中学1年生にとっては、その真面目さ、熱さが、ちょっと鬱陶しくもあり、でも私は割と慕っていた。
クラスメイトは
不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話①
山間の畑が広がる田舎で、私は生まれ育った。町内に保育園一つ、小学校一つで、保育園から小学校へはほとんど面子が変わることなく上がるので、みんな仲が良かった。
小学校も各学年一クラスで6年間ずっと一緒。
6年間も一緒だとさすがに途中でいざこざもあったりしたけど、時間が経てばまた仲直りしてなんやかんや楽しく過ごしてた。
中学生になってもなんやかんや楽しくやっていくんだろうと思っていた。
でも中学は少し