記事一覧
舞台『長い墓標の列』が男女逆転キャストで再演!
はじめに
2024年1月11日から2024年1月18日にかけて座・高円寺1で「明後日の方向」による舞台『長い墓標の列』と『赤目』の二作品が上演された。本年は『長い墓標の列』の主人公の山名庄策教授のモデルで全体主義に抗した思想家の河合栄治郎(1891~1944)の没後80年に当たる。本作は戦時中に起きた河合栄治郎事件という東京帝国大学経済学部を舞台にした思想弾圧事件を題材にしており、日本学術会議の
「ハマスと熱心党 安彦良和『イエス』と相澤文蔵の古代ユダヤ民族史研究」
5月22日に発売予定の『情況 2024年春号 特集 食』に「ハマスと熱心党 安彦良和『イエス』と相澤文蔵の古代ユダヤ民族史研究」を寄稿しました。ご高覧いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
なぜ今のタイミングで文フリにデビューしたのか
亡父の大病を機に家業を継承することになったが、編集の仕事も片手間に続けており、本業もデスクワークなので、目に悪いことしかしておらず、長年の無理が祟って、視力が急激に低下してしまった。いよいよ失明のリスクも現実味を帯びてきたわけだが、機会があるごとに雑文を発表してきたものの、今まで学んできたことの大半をまだ書き残していないことに強い危機感を覚えたのである。小田実の『何でも見てやろう』の精神で、気づ
もっとみる「AWC(アートワーカーズ連合)アーカイブ展」(倉敷)と「Punk! The Revolution of Everyday Life」展(札幌)が開催!
今年3月に初の単著となる『パンクの系譜学』(書肆侃侃房)を上梓し、アナキズム界隈でも話題となっている『思想としてのアナキズム』(以文社)の「第11章 パンクとアナキズム」を担当した倉敷芸術科学大学の川上幸之介氏が八面六臂の大活躍を続けている。毎年国際女性デーに合わせて先鋭的な展覧会を行っている渋谷区松濤にあるセレクトブティック「Sister」においても、昨年の「ゲリラ・ガールズ展 「F」ワードの
もっとみる川上澄生作『夏の夜の夢』
鹿沼市にある川上澄生美術館の友の会だより『朴花居 第29号』(2023年12月発行)に川上澄生の版画作品『夏の夜の夢』(1925年頃)が取り上げられています。タイトルどおりウィリアム・シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』が題材になっていますが、坪内逍遙のようにmidsummerを「真夏」とは訳さず、本作を影絵として描いたことからも、最終段落の妖精パックの台詞「我らは影の者」(we shadows)
もっとみる「アーサー王伝説:ラファエル前派のラブストーリー」展について—ヴィクトリア朝の女流画家エリザベス・シダルを中心に
はじめに
2022年10月14日から2023年1月22日にかけてロンドンにあるウィリアム・モリス・ギャラリーで「アーサー王伝説:ラファエル前派のラブストーリー」展(The Legend of King Arthur: A Pre-Raphaelite Love Story)が開催された。ファルマス美術館やタリーハウス博物館にも巡回したが、監修を務めるファルマス美術館のナタリー・リグビー(Nat
ジャンヌ・ダルクとアーサー王伝説
ジャンヌ・ダルクのアダプテーション
二〇二二年はジャンヌ・ダルク(一四一二年頃~一四三一年)の生誕六一〇周年の節目であった。そのため、諸説あるものの、本稿では主題化されることの少ないジャンヌ・ダルクとアーサー王伝説の関連性について私見を述べたい。筆者はオルレアンの姉妹都市である宇都宮市で生まれ育ったが、子供時代はジャンヌ・ダルク研究の大家である中世史家のレジーヌ・ペルヌー(一九〇九年~一九九八
「真理を観察することで精神が高められ、精神を現実のみじめさから解放してくれる」
「科学は、ファーブルにとってはたんにパンを稼ぐ手段ではなかった。彼は弟にこう書き送っている。「それは、もっとも気高いもののひとつである。真理を観察することで精神が高められ、精神を現実のみじめさから解放してくれる。そしてその精神の領域において、私たちは、私たちに許されている唯一幸せな十五分を享受することができるのだ。」」
マルティン・アウアー著『ファーブルの庭』(NHK出版,2000年)より引用。
ジョゼフ・ニーダムはヘーゲルに於けるライプニッツの影響を強調している。
「弁証法は、もちろんマルクス、エンゲルスが大成をしたわけですが、マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルに非常に多くを拠っている。ヘーゲルがどこに拠っているかを突止めていくと、ライプニッツです。ではライプニッツ以前に、いったいどこに始祖があったかというと、これはどこへつなげていいかわからない。プロティノスにそのつながりを求める人もいますけれども、私はやはり、ライプニッツが、中国から帰ってきたイエズス会の
もっとみる権威主義ではなく、know who
私は古今東西の文学や哲学の伝統を踏まえた上で、現代的意義のある仕事をすべく、その道のオーソリティーの書いた古典的名著に依拠して議論を展開するのだが、「哲学ではなく哲学史をしている」とか、「有名人の名前や教授のブランドをありがたがる権威主義者である」との人聞きの悪い批判も受けることもある。しかし、こうした意見は私のコンセプトを全く理解していないと言わざるを得ない。
吉本隆明が書いているように、